497.兄と弟 後編
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「オーランド兄さん、負けちゃったね」
ライアスと手合わせを終えたばかりのオドゥが、フラフラと立ちあがったオーランドに話しかけてきた。
「ああ。すごい一撃だった」
「ま、ね。あいつとんでもない化け物になるよ」
そういってオドゥは銀髪の少年に視線を向ける。レオポルドは今度はひとりで受け身の練習をはじめ、ころころと地面を転がっていた。
「あきらめないんだよな、あいつ。体が軽いから投げ飛ばされることが多くてさ。受け身をかなり練習したみたいだ。今じゃライアスだって手こずることがある。魔術を組み合わせたら、どんな攻撃が飛びだしてくるかわからない」
「オドゥでも手強いと思うのか」
「ああ。ライアスよりもね」
オドゥはライアスやレオポルドとは違う。最初からオーランドよりも強く、彼も〝弟〟だと思わずに、拳のぶつかり合いに集中できた。オーランドを打ち負かすようになったライアスでさえ、いまだにオドゥを苦手としている。
汗をぬぐいながら水を飲むオドゥに、オーランドは聞いた。
「なぜそう思う」
ライアスだって毎日きちんと鍛錬をしている。オーランドの目から見ても、竜騎士になれる素質はじゅうぶんある。弟よりもレオポルドのほうが手強いと、オドゥが感じる根拠を知りたかった。
オドゥは森の奥でひっそりと水をたたえる、底知れぬ淵のような謎めいた深緑の瞳で、オーランドを見上げた。
「身体的能力が上か下かじゃなくて、勝負は勝つか負けるかだからさ」
「どういうことだ?」
ふっと息をつき浄化の魔法を使って汗を飛ばすと、オドゥのこげ茶色をした髪が揺れた。
「ちょっとズルなんだけどさ……僕はこうやって手合わせをしながら、ライアスの裏をかいて、僕に対する苦手意識をすりこんでいる。けれどレオポルドにはそれが効かない。あいつは何でもよく見ているんだ」
ごくふつうの平凡な風貌の少年に戻った彼から、先ほど手合わせを終えたばかりの、野獣みたいな凶暴さはなりを潜めたが、その口からこぼれた言葉は物騒だった。
「僕にはレオポルドの裏はかけない……あいつを出し抜くには何か別の要素がないと」
なぜかオーランドは背筋がぞくりとした。オドゥの目つきは同級生を眺めるそれではなかった。その言葉の裏を返せば、ライアスならいつでも出し抜けるということになる。
「驚いたな。いつもそんなことを考えているのか?」
「そういうわけじゃないけど、身近だからね。動きとかも観察しやすいし……ついクセなんだ」
そういってオドゥは、鍛錬場のすみに生えるガトの木で、枝にとまる一羽のカラスを見あげた。
「今ここにいる全員が敵になったら、どうやって生き延びるかを考えろ……父さんにそう教わった。勝つのって結局、生きるってことだからさ。父さんは負けちゃったけど」
「オーランドさん、だいじょうぶ?」
明るい茶髪に紫の瞳を持つ少女が、心配そうにオーランドをのぞきこんでいて、オーランドはハッと我に返った。メレッタは横でオロオロとしている婚約者をじろりとにらむ。
「カディアンてば、やりすぎじゃない?」
「えっ、だっていつもは俺のほうが、ぶっ飛ばされるのに」
風魔法が使えるカディアンは、防御のときも自然と風の守りが発動する。ライアスと同じで激しい戦闘に身をさらしても、それほどダメージを受けない。いくら体を鍛えても、格闘の技術を学んでも……オーランドには得られなかったスキルだ。
「夏よりはだいぶ強くなられました。まだまだ殿下は強くなりますよ」
苦笑しつつ取りだした眼鏡をかけ、レンズをきらりと光らせて保証すれば、カディアンはうれしそうな顔をする。
「へへっ、毎日鍛錬したもんな。キツかったけど。少しは兄上に追いつけたかな」
「ユーティリス殿下の実力は、たいしたことはありません」
あっさりといい放ったオーランドに、カディアンは目をむいた。
「えっ⁉」
「あのかたは……ごまかすのがうまいだけです。鍛錬もそれほどしていません」
「ウソだろ⁉」
本気で驚いているらしいカディアンに、オーランドは冷静に指摘した。
「考えてもみてください。毎日鍛錬などしていたら、錬金術師団で研究する時間はありません」
「そりゃそうだけど……俺、兄上に勝てたことなんて一度もないぞ?」
ふしぎそうに首をひねるカディアンを見てオーランドはふと、昔オドゥが鍛錬場で言った言葉を思いだす。
『ちょっとズルなんだけどさ……僕はこうやって手合わせをしながら、ライアスの裏をかいて、僕に対する苦手意識をすりこんでいる』
あの王子はだいぶオドゥに、鍛えられているようだった。
「苦手意識があるのかもしれませんね、無意識に体が委縮するような」
「そうなのかな……けど兄上はいつだってすごいんだ!」
「あのかたがすごいのは……」
あなたがいるからですよ……と言うのはやめて、オーランドは無言で立ちあがった。弟というヤツはいつだって、キラキラした目で一心に自分を追いかけてくるくせに、追い越してしまった時にはもう自分を見ていない。
まっすぐに前を向いて、未来を見つめて走っていく。だがぼうぜんとして途方に暮れたような表情をされるぐらいなら、きっとそのほうがいい。
それに追い越されまいと、必死に努力した自分の人生だって、振り返ってみれば悪くはない。
オドゥみたいに意識してすりこんだつもりはなかったが、ライアスはいまだにオーランド相手だと緊張するようだ。
「いいなぁ、私はひとりっ子だから、お兄さんとか憧れちゃう。ユーリ先輩もすっごくステキよね!」
カディアンが情けなさそうに眉を下げた。
「俺も、少しは兄上に近づけたかな」
「そうですね、今の調子で努力されればいつかは」
賢いユーティリスと素直なカディアン、どちらが王位にふさわしいかという問いに、答えることは難しい。ただ歴史というものは一本の線しかなく、途中にいくら分岐や選択肢があろうと、紡ぎだす未来はひとつしかない。
『たのむよ』
いつか追い越される、そうわかっていて相手を鍛えあげる。オーランドにも覚えのある感覚だが、彼に依頼してきた赤髪の青年はその顔に、ふだんは見せないやんちゃな表情を浮かべていた。
『僕はちょっと危なっかしいことがしたいんだ。今はカディアンがいてくれれば安心だって思える。あいつさ、いい顔つきになってきたろう?』
その危なっかしいこと……はちょっとどころではなく、きっと国を揺るがすようなことだろう。
『勝つのって結局、生きるってことだからさ』
なぜかオドゥの言葉が、オーランドの頭をかすめた。












