496.兄と弟 前編
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届かないと思っていたものに手が届いた瞬間、超えられないと思っていたものを超えてしまった瞬間、人はこんな顔をするのだろう。
第二王子のぼうぜんとした表情に、オーランドはそんなことを考えた。彼の体はカディアンの拳にふっ飛ばされ、庭石に激突したばかりだ。
身体強化は使えても、オーランドは風魔法による防御ができない。衝撃で横隔膜が硬直し、しばらく息ができなかった。
「オーランド、俺……」
心配そうに眉を寄せてカディアンは、ゆっくりした足取りで、そろそろと近づいてくる。まるで今にもオーランドが飛びかかるのではないかと、警戒しているようだ。
「届くとは思わなかった。俺、勝てたのか?」
「ええ。私は王城勤めの文官で、ライアスとは根本的にちが……ゴホッ」
言いながら、オーランドは腹を抑えたままむせた。
「オ、オーランド⁉」
「だいじょうぶ、です……グッ」
吐き気がこみあげ、脂汗がにじみ出そうになるのを懸命にこらえる。どんなにとりつくろっても、カディアンの目に浮かぶ、気づかうような視線に己の無様さを自覚する。
こういうとき自分が〝兄〟なのだと、つくづく思う。
どれほど体を鍛えても、どれほど稽古を重ねても、相手が〝弟〟だと感じると、ギリギリのところで踏みとどまってしまう。
向こうはそんなことおかまいなしに、がむしゃらに突っこんでくるのに。
それでいて自分を打ち負かしてしまうと、ぼうぜんとして途方にくれたような表情を浮かべるのだ。
まるで目の前に倒す敵がいなくなって、目標を見失ってしまったような顔で。
一度目はライアスだった。
十二歳で魔術学園に入学して受けた魔力適性検査で、風の属性がないとわかったとき、手元のファイルに何やら書きこんでいるロビンス先生に、オーランドはそれでもすがった。
「訓練で属性を伸ばすことはできませんか?」
丸眼鏡に口ひげがトレードマークのロビンス先生は、ユーモアのセンスもあって生徒たちに人気がある。落ちこんでいる生徒がいれば、穏やかに冗談も交えながら励ましてくれる。
だがその時の彼は違っていた。小さくため息をついたあと、オーランドの青い目を見てきっぱりと告げた。
「残念だがね、ハッキリ教えたほうが君のためだろう。属性を伸ばせる子はその属性の〝芽〟を持っている。不安定で変幻自在な魔力を、その方向に誘導してやるのだ。だが君にはそれがない」
「訓練でも……どうにもならないと?」
ロビンス先生はパタリとファイルを閉じた。
「君の魔力はとても安定しているし、体格、骨格ともに恵まれている。望めばどんな職業にもつけるよ……竜騎士以外はね」
「でも僕は……」
それきり言葉がでてこなかった。たった今見せられた結果を塗りかえられるなら、何度だって検査にチャレンジしただろう。竜騎士になるため弟もつき合わせて、毎朝欠かさず鍛錬をした。いまだに発現する気配のない風魔法も、学園に入れば使えるようになる……そう信じていた。
「君のお父さんは竜騎士だったね。君も竜騎士になりたかったかい?」
――なりたかった、なんてものじゃない。なるものだと思っていた。
月の光より冴え冴えとした白銀のミスリル鎧、ドラゴンの背ではるか地上を見おろし、天高く飛ぶ竜騎士たち。家に遊びにくる父の同僚たちはみな気さくで、幼いオーランドをかわいがり、時には稽古をつけてくれた。自分もあんな風になるのだと……。
そのあと先生と何を話して、どうやって帰ったのかも覚えていない。ぼんやりしていたところで、弟とケンカになった。きっかけはささいなことだったのに、むしゃくしゃしていた気持ちがそのまま拳にうつったのだろう、手加減せずに殴り飛ばした弟の顔が苦痛にゆがむ。
ハッとするヒマもなかった。次の瞬間にはごうという音とともに、オーランドの体が庭にふっ飛ばされていた。
気がついた時は庭にひっくり返って、澄み切った青空を見あげていた。きっといつものパトロールだろう、おたけびをあげながら舞う白竜はうんと高く飛んでいて、乗っているのがダグかどうかもわからない。
空のような蒼玉の瞳を持つ弟のライアスが、蒼白な顔でオーランドをのぞきこんでいた。
「兄さん、ホントにごめん。俺、うっかり魔力を使っちゃったみたいで!」
泣きそうな顔で必死に謝る弟の後ろで、家からでてきた母のマグダがのんびりと言う。
「あらあら、そろそろライアスにも魔力制御の腕輪がいるかしらねぇ」
いつも兄弟げんかをすれば、真っ赤な顔で悔しそうに向かってくる弟が、今日に限ってはオロオロと母の顔を見て取り乱している。
「俺、そんなつもりじゃなくて。兄さんがケガするなんて!」
――ケガ?
痛みはまったく感じず、オーランドがあたりを見回せば、金の髪がパラパラと落ちていた。額に手をやると前髪の一部が短くなっていて、指に赤い血がつく。マグダがしゃがんで額の傷をしらべた。
「ざっくり切れたわけじゃないし、だいじょうぶよ。かまいたちが目に当たらなくてよかったわ」
「かまいたち……」
かまいたちは風の属性。そういえばライアスがはしゃぐと、そのまわりでときどき木の葉が踊る。
「俺っ、消毒薬とってくる!」
バタバタと家に駆けていく弟を見て、オーランドは悟った。
(あいつは竜騎士になれるんだ……)
不思議と悔しくも悲しくもなかった。
二度目は……そう、サラサラした輝く銀髪に黄昏色の瞳をした少年だった。
(まるでミスリルみたいだな)
初対面の時はそう思った。月の光を閉じこめたような銀色は、竜騎士たちが着る鎧の色と同じ。
ライアスと同級生だというが、体格は成長期前の子どものそれで、声も澄んだボーイソプラノをしている。細い体にそれほどパワーがあるとも思えず、最初は軽くいなすつもりだった。
こんな小さな子にまさか……と思ったが、オーランドはあっさり負けた。オドゥに体術を教わったらしく、体の大きさを生かして懐に飛びこみ、くりだす打撃は強烈だった。小さな拳に風魔法を乗せていたとは後で知った。
「まいった。俺も弱くなったな……」
鍛錬も大切だが、そのころのオーランドは、文官になるための勉強時間を増やしていた。体がなまっていたのかと、鍛錬メニューの見直しを考えていると、レオポルドは首を横に振る。
「違う」
さらりとした銀髪から、それだけで光がこぼれた。
「あなたはとても強い。だから僕は勝てた」
「どういうことだ」
意味がわからなくて聞き返したオーランドに、レオポルドはぽつりと答える。
「強い人には負けたくない、から」
色素の薄い唇をキュッとかみしめ、大きな黄昏色の瞳はいつもより強い光を放つ。
「負けるのは悔しい。踏みつけにされるのは、絶対にイヤだ」
そういって拳を握る姿に、やっぱり悔しいとは思えなかった。淡々としているレオポルドは、ライアスのようにぼうぜんとはしていなかった。自分の勝利を知ってもなお、強くなりたいと思っている顔だった。
(俺は負けても悔しくないから、強くなれないんだろうな)
オーランドはふと思った。












