489.超長い孫の手
『魔術師の杖短編集①錬金術師グレンの育てし者』明日発売です!
「ジェイさん、あっちの魔法陣も見せてもらっていいですか?」
せっかく来たのだから、あれこれ見て回りたい。
果樹園といったら王立植物園での激しい戦いを思い出すけれど、あちこちに作業用の魔道具が置いてあり、農業に特化した魔法陣が設置してある以外は、いたってふつうの果樹園だった。
「ここの植物たちはわたしがイメージするものに近いっていうか、歩き回ったりしないんですね!」
「朝晩ちゃんと散歩させてるからな」
……やっぱり活動的だった。
「日当たりがよくて風が強い場所を好むピュラルの木は、実をつけるとおとなしくなる。俺は苗木から育てたピュラルを引き連れて、ここに移住してきた。だからこいつら、俺に従順なんだ」
……羊飼いが羊を連れて移動するようなものかしら。ジェイが手のひらを上にむけると、木からぽとりと実が落ちてくる。
「ほら」
「わ、いい香り!」
硬くて黄色い皮からは、さわやかな芳香がした。
ピュラルは生で食べてもいいし、ゼリーにしても皮ごと刻んでジャムにしてもおいしい。果汁はそのまま飲んでも料理に使ってもいい。後味がさっぱりするし、何より香りがいいのだ。
「走り回るヤツのほうが甘くなるが、しっかり水も与えないとみずみずしさがなくなる」
「全国のピュラル農家さんは大変なんですね」
これからはピュラルを食べるときは、農家の皆さんに感謝を捧げたい。
「いや、俺みたいに大規模にやっているのは珍しい。たいていは庭先に数本植えたピュラルをいつも走り回らせて、収穫する時だけ縄で捕まえて、わさわさ揺すって実を落とすんだ」
「へぇ……」
庭先を走り回る元気なピュラル……ちょっと想像もつかなくて、植えられている木の幹をなでてみたら、葉っぱがザワザワと揺れる。
「くすぐったいそうだ」
「ご、ごめんなさい!」
あわてて手を引っこめたら、ジェイに大人の背丈より長い二ムゥぐらいの棒を渡される。棒の先端は孫の手みたいに軽く曲がっていた。
「ヒマならかいてやってくれ。こればっかりは魔道具だと不評でな。枝の付け根や、樹液が固まってるところを、かいてやると喜ぶ」
「こうですか?」
わたしは腕を伸ばしてピュラルの木を超長い孫の手でかいた。
……カキカキカキカキ。
「ジェイさんは毎日これを?」
「手が空いたらな」
「そうですか、それは忙しいですね」
……カキカキカキカキ。
「タクラまで船で運べば赤字にはならないが、全部ひとりでやるからな。作業がない時も術式の補修や、魔道具の手入れで忙しいし、ローラの訪問も断っていた」
「なるほど」
……カキカキカキカキ。
「上ばっか見てると首が疲れるぞ。こう……木によりかかる感じで、ひっかかるところをチョイチョイとやればいい」
「こうですか?」
「そうだ、筋がいいな」
「ありがとうございます!」
……カキカキカキカキ。わたしが木から木へ移動しながら、ピュラルをかきまくっていると、レオポルドが首をかしげてわたしたちを眺めている。
「不思議だ。気難しいジェイがすんなり打ち解けるとは」
「お前に言われたかないね。まぁピュラルが懐くやつに、悪いやつはいないからな」
「ピュラルは痒がりなのだな。俺も手伝おうか?」
「うん。おもしろいけど腕がプルプルしてきた」
ライアスに孫の手を渡し、彼がピュラルの木を見あげたとたん、木がのけぞってプルプル震えだした。
「怖がられているな」
「俺が?」
「前にどこかで木を素手で切り倒したか?」
けげんそうなライアスにジェイが確認すると、思い当たったのか彼はうなずく。
「素手ではないが、遠征中に風魔法で薪を作った」
「それだ」
「それじゃ、レオポルドお前やれ」
ところがレオポルドが孫の手を手にしたとたん、ザザザッとすごい勢いで彼の周囲から木が遠ざかる。
「炎の魔術師が木に好かれるわけがないだろう」
「こんなにハッキリ嫌われるもの?」
ジェイはポリポリと自分のあごをかいた。
「俺も嫌っているからな」
「わたしもパパロスすりおろしたことあるけど」
心配になってたずねると、ジェイは複雑な術式を組み合わせて、ピュラルのまわりに魔法陣を構築し、しばらくしてから教えてくれた。
「……『芋は芋だから俺たちとは関係ない』と言ってる」
「今のやりとりには時間がかかったな」
レオポルドの指摘に、ジェイは息を吐いて肩をすくめる。
「俺は〝森の民〟みたいに植物と話せない。竜騎士の感覚共有と似て、『かゆい』『怖い』ぐらいは伝わるが術式頼みだ。できることなら緑の魔女に弟子入りしたいよ」
「それ、やりましょう!」
「は?」
レオポルドが目をむいて、ライアスはあっけにとられているけれど、わたしは急いでジェイに話しかけた。
ピュラルを大規模に栽培しているならば、六番街の市場にあるコールドプレスジュースの屋台で使える。
港があって活気があるタクラの街に、新たに出店したっていいんだし!
「ジェイさん、錬金術師団と契約しましょう。ヴェリガン・ネグスコと緑の魔女を、この果樹園に派遣します。彼と協力してピュラルの栽培に取り組んでください」
「まて。ヴェリガンはともかく、緑の魔女が協力するか?」
「わたしをだれだと思っているんですか」
ちっちっち。右手のひとさし指を軽く振り、腰に両手をあてて仁王立ちした。よく考えたら全員わたしより背が高い、くぅ……。
ジェイはわたしを、頭のてっぺんから足のつま先まで見おろして、ライアスのほうを向いて確認した。
「錬金術……師団長だよな?」
どうやら彼は、レオポルドとはあまり話したくないらしい。わたしは精一杯胸を張り、深呼吸してから力強くうなずく。
「そうです、不可能を可能にする錬金術師です。で、ジェイさんにお聞きしますが」
「何だ」
気になったことはどんどん聞くべきだ。
「ジェイさんはピュラル農家をするために、塔を辞めたんですか?」
ジェイはクイッと自分の親指をレオポルドに向けた。
「いいや、大部分はこいつのせいだ。俺は師団長を目指していた。なのにこいつがあらわれた。後はわかるだろう」
「わかりません」
「はァ⁉」
「わたしにはその説明だけではわかりません。ジェイさんは優秀な魔術師だとレオポルドに聞きました。師団長を目指していたのに、彼があらわれたから塔を辞めたということですか?」
「優秀な魔術師だと……こいつがそう言ったのか?」
顔をゆがませてレオポルドをにらみつけるジェイに、レオポルドは淡々と応じた。
「お前はまちがいなく、師団長を務められる実力を持つ魔術師だ」
「俺の古傷をえぐりに来たんなら帰れ」
そっけなく言い捨て、くるりと背を向けたジェイの後ろで、ライアスがようやく言葉を発した。
「たしか……一年の見習い期間を終えたとき、塔で魔力勝負が行われたと聞いた。レオポルドの相手をしたのは黒髪の魔術師だったと」












