488.ジェイの果樹園
短編集①が4/26に発売されます。
8、9巻も制作決定!
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発売日にはもうひとつお知らせがあります。
タクラ郊外にあるという果樹園までは、ドラゴンの翼だと一瞬だった。わたしたちは上空を周回して、タクラ湾を望む崖にぽつんと建つ一軒家を見おろす。
金色の実をつけた緑の樹々に囲まれ、海に面したバルコニーがある二階建ての家に、ジェイは暮らしているらしい。わたしはアガテリスの背から身を乗りだす。
「家はあれだけだね」
指させばレオポルドはアガテリスを駆りながら、徐々に高度を下げていく。
「この辺り一帯がジェイの果樹園だ。崖の下に小さな波止場があるだろう、あそこから収穫したものをタクラに運んでいるらしい。魔力持ちならではの器用さだな」
「魔術師って、ずっと魔術師なのかと思ってた」
「そんなことはない。ジェイのような例は珍しいが、塔を辞めて魔術学園の教師に転職した者もいる。竜騎士はもっと早く四十ぐらいで職を辞す。よほどのことがなければ、どちらも転職先には困らない」
「へぇ、意外と流動的なんだ」
「ああ。だが一介の魔術師なら転職もできるが、師団長だとそうもいかない」
地表を見つめていたわたしは、そのひと言に顔を上げた。
「そうもいかないって?」
「どうしたって国家の中枢にかかわるから、簡単には辞められない。だからライアスもためらった」
「ライアスが竜騎士団長になるのをためらったの?」
アガテリスの脚が大地をとらえる。着地の衝撃は思ったよりも少なく、レオポルドが竜騎士としてもきちんと訓練を受けたのが分かった。
アガテリスが翼をたたむと、息をついた彼はゆるく首を振る。
「いいや、竜王戦を制して竜騎士団長になるのは名誉なことだ。それについては覚悟もしていたろう。だがおそらくきみには、師団長を続けてほしくなかったろうな。私も最初きみには、いろんな選択肢があると思っていた。今では『選択肢はない』と言ったきみの事情を理解しているが」
そう言って目を細めたレオポルドは、ライアスに合図を送って固定具を外すと、わたしの体を抱きかかえてドラゴンから飛び降りた。
「ちょっ⁉」
てっきり地上に転移するかと思っていたのに、空中にいくつもの魔法陣が展開し、レオポルドは必死にしがみつくわたしを抱えて、ゆっくりふわふわと着地した。
「ねぇっ、飛び降りる必要あったの⁉」
風にあおられた銀の髪が吹き流しのように上空に流れ、薄紫の瞳を輝かせたレオポルドは、わたしを抱える腕に力をこめる。
「きみがしがみつくほうが、うれしいし温かい」
「そのためだけに、びっくりさせないでよ!」
しがみついていた腕を解き、わたしがポカポカと彼の肩を叩いても、ちっとも響かないようだ。筋肉強化もしていない魔術師のくせに、何でこんなにがっちりしてるんだろう。
一部始終を見ていたライアスが、軽々とミストレイから飛びおりてレオポルドに話しかける。
「楽しそうだな」
「着地を楽しめるように術式を工夫してみた」
いやいや、わたしはちっとも楽しくないから!
「ネリアはそうでもなさそうだぞ?」
気づかうようにわたしを見おろすライアスに、レオポルドの腕の中で硬直したままコクコクとうなずくと、レオポルドは驚いたように目を見開いた。
「あれだけライガを乗りこなすくせに、飛びおりるのが怖いのか?」
「ライガは座っているだけだもん。墜ちるとしても一瞬だし」
「その感覚もどうかと思うが……」
ライアスが苦笑していると家からでてきた、長い黒髪をひとつにまとめた男が、わたしを地面に下ろしたレオポルドに顔をしかめる。
「ドラゴン二体の来訪とは何事か……と思えばお前か、レオポルド」
「ひさしぶりだな、ジェイ」
「ミストレイもいるってことは、そっちは竜騎士団長だな」
「ああ。ライアス・ゴールディホーンだ。よろしく頼む」
不機嫌そうにライアスも見たジェイは、アメジストのような濃い紫の瞳で、わたしに探るような視線をよこした。
「で、そっちのケサランパサランぽいお嬢ちゃんは……」
「私の婚約者だ」
「こん……」
驚いて絶句したジェイに、レオポルドは無表情にうなずく。
「婚約者のネリア・ネリス錬金術師団長だ」
ジェイが信じられないといったようすで、わたしたちふたりを見比べる。
「ケサランパサランが錬金術師で……しかも師団長で婚約者ってお前……対抗戦で錬金術師団に負けて、その身を差しだしたってウワサは本当だったのか⁉」
「それはものすごい誤解ですっ!」
とんでもない誤解をわたしは速攻で否定した。しかもなんでケサランパサランなんだろう。
(ハッ、もしかしてわたしの髪ボワボワなんじゃ⁉)
あわてて頭に手をやれば、ドラゴンの背で風に吹かれたのがいけないのか、赤茶の髪がみごとなボワボワだった。
「いやあぁ、しょっぱなからわたし、怪しい人になってる!」
待ってほしい。アガテリスから飛びおりる五秒前に戻って、人生をやり直させてほしい。
びっくりしてレオポルドにしがみついてないで、エルサの秘法を使うんだった!
もちろんそんなくだらない理由で時が巻き戻るはずもなく……。べそべそとエルサの秘法を使うわたしに、いまさらのように彼は首をかしげる。
「きみがどんな姿でも私は気にしない」
「わたしは気にするの!」
黙っていれば『精霊のよう』と評されるヤツの隣に、頭ボワボワで立ちたくはない。
婚約者とか死ぬほど恥ずかしいし、できたらモブでいたいのに!
真っ赤になってレオポルドに言い返していると、ジェイが気まずそうに謝ってきた。
「失礼した、レディ。それにしてもよくこんなのと婚約する気になったな」
「あっ、えと……彼の愛情表現は分かりにくいですけど、そのっ、ちゃんとわたしに気持ちを伝えてくれているので……むしろ、わたしのほうがうまく言葉を返せなくて、困ってるというか」
モゴモゴと返事をすれば、ジェイがヒュウと口笛を吹く。
「驚いたな。王都新聞を読んだ時は師団長同士の婚約なんて、絶対政略的なもんだろうと思ったのに」
居住区でいっしょに暮らしはじめた頃には、こんなに心が変化するなんて思ってなかった。眺めるだけでよかったのに。
そのとき家の中からクスクスと笑う声がして、茜色の髪をした女性が顔をだす。
「みなさん、果樹園へようこそ。妻のモイラです。ジェイ、お客様を果樹園に案内して差しあげて。戻ってきたら海を見ながらランチにしましょう」
「モイラ」
返事はしたものの渋い顔になったジェイに、レオポルドは淡々と率直な感想を口にする。
「結婚していたとは意外だ」
「お前に言われたかないね。こっちだ、複数の品種を組み合わせて植えている」
ぶっきらぼうに言い返し、ジェイは先に立って果樹園へと歩きだした。下草がなく、きれいに整地された土地に、等間隔をあけて黄金色の実をつけた樹木が植えてある。
「すごい……この木を全部ジェイさんが?」
「ああ、果樹栽培に適した土地を探した。日当たりがよくて、海のそばだから雨もよく降る。陸路は不便だが船を使えば作物も運べる。こんなところに果樹園を造ろうとするヤツは、俺ぐらいだから土地も安かった」
ライアスが感心したように、崖からどこまでも続く果樹園を眺めた。
「これだけの広さで魔力持ちとなれば、領地持ちの貴族と変わらないではないか」
「領民がいないから貴族とは違うが、土地を管理するために魔力は役立っている。ほら、よく見ろ」
ジェイの言った通り、果樹園のあちこちに魔法陣が敷かれていて、水やりや下草とり、虫除け……とさまざまな働きをしているようだ。
「すごい……ここ、ヴェリガンを連れて来たいかも」
ヴェリガンの研究室で見る魔法陣は、植物に寄り添う感じだけれど、ここのは作物をきちんと育てるために作られたもので、魔術師だったジェイの描く魔法陣はとてもよくできていた。
「ヴェリガンといったらあの、塔を花だらけにしたヤツか?」
「花だらけは知りませんけど、ヴェリガンはすごいんですよ。対抗戦の最優秀殊勲者なんですから!」
変な顔をしたジェイに、わたしがあわてて説明すると、彼は目をむいてレオポルドを問いただした。
「最優秀殊勲者ってお前……対抗戦であのヒョロヒョロしたのに負けたのか⁉だからその身を差しだしたのか……」
「それはものすごい誤解ですっ!」
真っ赤になって否定するわたしの横で、レオポルドは気まずげにジェイから目をそらす。
「私も己の不見識を恥じている」
「俺もそれについては何とも言えないな」
銀の魔術師と金の竜騎士……エクグラシアの誇る双璧が、ふたりそろってしょっぱい顔をした。









