476.休憩室
「まぁ、あれは花嫁衣裳だからね。染めた男は責任取らないと」
「もちろんです」
うなずくレオポルドの視線が何となく痛いけれど、ヌーメリアのドレス姿にわたしもみんなも大興奮で大喜びだった。
「ヌーメリア、とってもきれい!」
「やっぱり私の仕事は完璧ね!」
「本当にお美しい……」
「あ、フォト撮ろうよ。みんなでと、ヌーメリアとも!」
舞踏会はなくとも楽団は呼ばれていて、その演奏に合わせてふたりは恥ずかしそうにダンスを披露した。
わたしは知っている。もっと慎ましやかでいいと主張するふたりに、ローラとフラウが頑として譲らなかったのだ。
ヌーメリアにはミーナの〝履くだけで華麗にステップが踏めるヒール〟があったけれど、ヴェリガンはライアスから特訓を受けた。竜騎士たちはみんな踊り慣れているからね!
ライアスが女性パートをやって、彼に姿勢からステップの足さばきに、顔の向きや視線の動かしかた……それはもうみっちりと特訓した。
ヴェリガンは最初うまく踊るどころか、ライアスにぶら下がっているみたいだった。
いまの彼は堂々と、それでも真っ赤になりながら、ヌーメリアの腰に手を添えて、ダンス中ずっと口を動かしている。
いつも口数が少ないのに、あんなに何を話しているんだろう……と思ったら、すれ違いざまにブツブツと声が聞こえてきた。
「右、左、右、右。くるっと回ってホールド……」
頭の中でステップの順を追うのに、ヴェリガンは必死だったらしい。ヌーメリアの顔を見たら、彼女は必死に笑いをこらえていて。
結局たまらず笑いだしたヌーメリアが、満開の笑顔で踊る会場は、いっきに華やぎに包まれる。
「さすがに会話術までは手が回らなかったが、様になってるじゃないか」
ライアスが満足そうに特訓の成果を見守って、発泡酒のグラスをかたむけた。
「ねぇ、レオポルド」
「なんだ」
わたしは船の甲板で手すりにもたれて、波打つ海面を見下ろした。
「人はつらいことや悲しいことがあっても、それを上回るようなうれしいこと、楽しいことがあれば上書きされるよね。苦しみや悲しみは消えることがなくても、人は……笑うことができるよね」
「ああ」
見上げれば黄昏色の瞳が揺れていた。たぶんふたりとも同じ人物のことを考えている。
――オドゥ・イグネル。みんなそろっているのに、この場にただひとりいない、彼のことを。
ハルモニア号でわたしにあてがわれた部屋はとても広くて、リビングに書斎、寝室にクローゼットまでついている。そんな部屋でレオポルドとふたりで休憩し、ソファーに座ってお茶を飲むのは落ちつかない。
「あのさ、このまま船上で披露宴を兼ねた晩餐会だけど、初対面の人も多いから、レオポルドのこと頼りにしてるね」
「ああ」
さっきからいつにも増して無言だったレオポルドが、ようやく口を開いた。
「少しだけ、きみとだったらどうだったろう……と考えていた」
「はいっ⁉」
彼はおかしそうに口の端を持ちあげる。
「そろそろ現実に考えてくれてもいいと思うがな」
「えっ、はい……そうだね」
そんな未来を現実に。わたしたちは前に進んでいる。
「きみの瞳はペリドットでできていると言っていたな。今も陽光が当たるとそれだけできらめく」
「……!」
夜会のときわたしは楽しんで踊りながら、「バレたら絶対殺される!」とビビりまくっていた。今ならバレても殺されないだろうか……恐る恐る彼を見あげれば、カチリと視線がぶつかった。
(めっちゃ怪しんでるよね。限りなくクロとか思ってそう……ていうか、バレてる?)
彼の指が伸ばされ、わたしのあごに手をかけると、黄昏色の目が瞳を探るようにのぞきこんだ。
彼が見ているわたしの瞳は、今もピアスのペリドットみたいに、キラキラと輝いているのだろうか。しばらく観察してから、彼はためらうように口を開いた。
「本来は黒、それも虹彩に茶が混じった?」
いつかは話そうと思ってた。伝えるタイミングとかいろいろ考えて……ちがう、〝奈々〟を隠しておきたかった。〝ネリア・ネリス〟じゃなくなったら、何もかもガラガラと崩れてしまうような気がして……。
「うん。黙っててごめんなさい」
唇をぎゅっとかんでうつむけば、彼は小さくため息をついた。
「ならば黒曜石と紫陽石を組み合わせるべきだったか……」
そう言って取りだしたビロードの平たい箱を、彼はわたしによく見えるように目の前でフタを開けた。あふれだす輝きにわたしは目を丸くする。
そう言って取りだしたビロードの平たい箱を、彼はわたしによく見えるように目の前でフタを開けた。あふれだす輝きにわたしは目を丸くする。
「えっ、これって……」
「石が余ったからな、作った」
それは紫陽石とペリドットを組み合わせたネックレスで、首のまわりをぐるりと取り囲むようになっており、今身につけているピアスとは段違いの豪華さだ。わたしはびびって涙目になる。
「余ったって……これ、貴重な宝石なんでしょ。わたしに変なプレッシャーかけないでよおぉ!」
ペリドットは貴石と呼ばれる石で、魔力親和性も高いから重宝されるけれど、それほど珍しくはない。
だけど紫陽石は色味が複雑で、とくにレオポルドの瞳みたいな輝きを内包した石は、値段がつけられないほど高価だと聞いた。
レオポルドはすっとソファーから立ち上がり、わたしの後ろに回りこむと、しゃらりとネックレスを首にかけて留め金をとめる。
「石はただの石だ。それにこれは……ナナ、きみが身につけねば意味がない」
「そ、そうなんだけど……」
どうやら彼はわたしの手を離さないでいてくれるらしい。
「ようやくきみの名を呼ぶことができる。マイレディ、ナナ」
胸の奥底から何かが湧いてくる。それが喜びだとわかるのにそれほど時間はかからなかった。わたしは彼にせがんだ。
「もういちど……もういちど呼んでくれる?」
「望むなら、何度でも。ナナ……きみは本当に欲がないな」
「え?」
彼は長い指でわたしの胸元を飾る紫陽石のネックレスを弾いた。
「職人たちが腕をふるった紫陽石のネックレスよりも、ただ名前を呼ばれるほうがうれしそうだ」
「や、ネックレスもうれしいよ。うれしいけど……そうだね、あなたに名前を呼んでもらうほうがうれしい。でもわたしの願いごとはそれだけじゃないよ」
こんどはわたしから指を伸ばして彼のほっぺをつつく。
「わたしの名を呼んで、あなたが笑ってくれたらうれしいな」
――わたしだけに見せて、あなたの笑顔を。
彼の口元からふわりと広がったほほえみ、夕暮れを迎えた黄昏色の空を映したような瞳は、魔導ランプの明かりを受けて輝いて。それはわたしだけの宝物。
おかげで晩餐会に遅刻しそうになったわたしたちは、気恥ずかしさ満点だったけど……それはまた別のお話。









