467.港の見えるカフェ
そういえばわたしはお城の舞踏会に招待されるぐらいの、いいとこのお嬢様だと彼に思われているんだっけ。
レオポルドは師団長の黒いローブではなく、竜騎士が着る紺色の騎士服を着て、髪は邪魔にならないよう束ねている。いつもつけている護符も外しているから、パッと見では魔術師とわからない。
(この人、目立たない格好もできるんだ……)
返事もせずにポカンと彼をながめていると、花屋のテレサさんがあわてて、わたしたちのあいだに割ってはいってくれた。
「ちょっと、お嬢さんは相談をするためにウチへひとりできたんだよ。手を離してあげておくれ!」
「相談?」
わたしの肘から手を離した彼に、テレサさんは説明する。
「そう、『男の人に贈るならどんな花がいいか』って。そういう話はお供がいたら聞きづらいだろ。だからお忍びで……ねっ?」
一生懸命にとりなしてくれるテレサさんに、わたしもコクコクと必死にうなずくしかない。
彼はようやく厳しい表情をやわらげ、店頭に並べられた色とりどりの花へと視線を向けた。
「贈る花を……」
「レ、レオポルドさんは、もらうとしたらどんな花がいいですかっ!」
聞いちゃった。贈るのはネリアだもん、わたしが聞いたっていいよね。答えを待っていると彼はあごに手をあてて考えこむ。
「花……」
「花じゃなくても、船乗りさんたちには実のなる鉢植えが人気らしいですっ!」
受け売りだけどそういうと、彼は店先に置いてある鉢植えにも目を向ける。そんなわたしと彼を交互にみくらべて突然、花屋のテレサさんが叫んだ。
「ああっ!もしかしてお嬢さんが〝夜の精霊〟⁉」
「はい⁉」
彼女はポンと手を打ち、納得したようにうなずく。
「黒髪に黒い瞳で好奇心旺盛……ってまさしく〝夜の精霊〟じゃないか。行く先々でトラブルに巻きこまれて、そのたびに銀の魔術師があらわれて彼女を助ける。王都新聞に特集記事がのってたよ!」
「あ、いや、その……」
たしかに行く先々でトラブルに巻きこまれるけど、それは四番街の大劇場で評判だという劇の話じゃないかなぁ。
彼は黄昏色の瞳をわたしに向けてくる。
「ひとまずここを離れよう、少し話がしたい」
そういって彼はわたしに逃げるスキを与えず、転移魔法陣を展開した。
転移したとたんゴミゴミした市場街から、眼下に港の絶景が広がる場所にでる。
「わ、すごい」
タクラ上層にあたる貝殻のように港を覆うドームの先端、空に突きだすような場所に造られたカフェで、テルジオに渡された記録石でもオススメされていた。
テーブルを縫うように歩く彼に注目する人はおらず、窓際のテーブルにわたしたちは案内された。
(なんで?)
顔にでていたのが伝わったのか、彼はおかしそうに口の端を持ちあげた。
「〝認識阻害〟だ。その魔法陣を使った眼鏡を見る機会があって、術式を解析した。眼鏡がなくても使える」
「……天才ですね」
そういえばこの人、天才魔術師だったよ!
注文を終えたところで、彼がわたしにむかい頭をさげる。
「まずはきみに謝罪したい、夜会ではすまなかった」
「へっ、あの?」
めんくらっていると彼は心配そうにたずねてくる。
「夜会のことが話題になったのは知っていたが、とくに手を打たなかった。私は婚約したが……きみは縁談に差し障りがあったのではないか?」
「だいじょうぶです、お気になさらず。ご婚約……おめでとうございます」
わたしはワタワタと両手をふって否定し、何とか言葉をしぼりだす。
「あぁ」
彼はうなずくと椅子の肘置きに片肘をついて、そのままぼんやりと海を眺める。
(少し話がしたいって……謝罪のことだったのかな)
それにしても婚約者がいる男性がこんなところで、別の女とお茶しているのってどうなんだろう。
浮気かっていうとネリア・ネリスはわたしだけど、でも今は奈々なわけで……。
風が彼の髪をなぶるけれど、黄昏色の瞳は淡い空の色を映してやわらかい色彩をしていた。
「あの、見晴らしもよくてステキなカフェですね」
思いきって話しかけると、彼は海を眺めたまま深くため息をつく。
「本当はここに彼女を連れてくるつもりだった。タクラにいるあいだに何とか時間を作って……」
わたしは内心ダラダラと汗をかく。
「それなら彼女さんとくれば……」
「彼女には逃げられた。タクラに向かう数日間、目を離しただけでこの有り様だ。戻ってきたらまるで別人になっていた」
「そ、そうですか……」
(これわたし、バレたら殺されるのでは⁉)
入れ替わったのはリリエラのせいだけど、わたしのせいもあるわけで……何と言いわけすべきかわからず、頭の中でグルグルしていると、彼はとんでもないことを言いだした。
「正直、手を焼いている。コートやローブを脱がせるぐらいならまだしも、ボタンをはめたり靴下を脱ぐのにも私の手を借りようとする」
「はぁあ⁉」
わたしは椅子がガタンとなるのもかまわず、思いっきりテーブルに手をついて立ちあがり身を乗りだした。
「わっ、わた……彼女がそんなことを⁉」
「ああ」
彼はわたしを見上げてまばたきしただけで、淡々とうなずきコーヒーカップを口に運ぶ。
カフェ中の注目を集めてしまったことに気づいて、わたしはストンと腰をおろした。
「それはすみません……」
「きみが謝ることじゃない」
「そうだけど同じ女子として恥ずかしいというか」
いや自分として恥ずかしいけれど……リリエラ何やってんのよぉ!
「おまけに人前でもおはようやおやすみのキスをねだってくる」
聞き捨てならないセリフに思わず顔をあげ、わたしは食い気味に彼へとつめ寄った。
「したんですか?」
「何を?」
「おはようやおやすみのキスですよ、彼女としたんですか?」
「できるわけがなかろう!ライアスや我が師ローラ・ラーラの前でだぞ!」
彼の眉間にぐっと寄ったシワに、このときほど安心したことはない。もしもデレデレされたら、さすがにいたたまれない。不安で勝手に言葉が口からこぼれでた。
「よかったぁ……でもふたりきりだったら……」
(バカバカ、わたしったら何聞いてんの!)
これ、ぜったい聞いちゃいけないヤツ。どんな答えが返ってきてもいたたまれなくなるヤツ!
耳をふさぎたい気分のわたしに、低くよく通る声が滑らかに疑問を解消してくれた。
「彼女とはふたりきりになってない。タクラに滞在しているのはサルジアに渡る準備のためだ。婚約したばかりとはいえ師団長の寝室は、それぞれ別に用意されている」
「あ、そうですか」
何となくホッとすると、彼は黄昏色の瞳をキラリと光らせた。
「サカってるとでも思ったか?」
「レオポルドさんっ、お下品っ!言いかたがお下品ですよっ!」
「ふん」
ふいっとそっぽを向いたレオポルドはすぐに肩を揺らし始め、笑いながらわたしを横目で見た。ちょっ、流し目になってるから、それ!
「きみはすぐ真っ赤になるな。魔導ランプではわからなくとも、昼の光ではごまかせまい」
「大笑いするとこですか、そこ……」
わたしがむくれていると、銀の髪をかきあげながら彼は晴れやかに笑う。
「失敬、いい気分転換になった」
「気分転換……」
そういえば彼の全身を包んでいた、緊張感のようなものがだいぶやわらいでいる。
「あの、なぜわたしに?」
いまのわたしはドレスだって着ていない。会ったのは夜会のとき一度きりだ。
「その長い黒髪は目立つが、最初に気づいたのは声だ。花屋の店先で『ひゃあああ!』と叫んでいたろう。間抜けな感じが彼女の声によく似ていた」
「間抜けな感じ……」
彼女とはだれのこと、なんて聞かなくてもわかった。失礼な言い方なのに、続けられた彼の言葉にわたしは何も言えなくなる。
「一瞬、彼女がそこにいるかと思い、必死に人ごみをかきわけて探したらきみがいた。供も連れずたったひとりで。思わず肘を捕まえていた」
海を見ていた黄昏色の瞳が、まっすぐにわたしへと向けられた。
「私がずっと探していたのは……きみだったのかもしれない」
 









