459.イルミエンツ
夕食の後、パチパチと燃える大きな暖炉がある談話室で、ライアスとローラ、それにユーリとテルジオが話をした。
「あたしは王都にいたときのネリア・ネリスを知らないけれど、婚約したばかりとはいえ、レオ坊があそこまで辛抱強く接するとはねぇ」
ローラが不思議がれば、ライアスも難しい顔をする。
「俺が知る彼女は人前であんなにベタベタすることはないが……記憶が混濁している不安ゆえかもしれん」
戻ってきたネリアは錬金術については何も語らない。食べて飲んでレオポルドに甘えるだけだ。怪しすぎるが彼女の耳に揺れるピアスは、まちがいなく自分が作ったものだと彼も認めた。
「いくら気難しい魔術師団長でも女性に、しかも婚約者にひどい態度はとらないでしょう」
テルジオがとりなしても、塔での彼を知っているローラは首をかしげる。
「塔の魔女たちは遠慮なく氷漬けにされたけどねぇ。どう思う、竜騎士団長」
「彼女に関してはレオポルドも必死だとしか……」
ライアスも強烈な違和感があるものの、姿形はどう見てもネリアだし、レオポルドが贈ったピアスも身につけている。
「レオ坊が『ネリア・ネリスだ』と言うならそれでもいいさ。だけどあれにサルジアへの使節団が務まるかね」
「心もとないですね……」
ローラの疑問には、テルジオも正直に答えるしかない。眉間にぐっとシワを寄せたライアスが口をひらく。
「それより彼女がピアス以外の所持品を、何も持っていなかったのが気になる。あらためて彼女の足取りを追い、オドゥの工房も捜索するつもりだ。明日ユーティリスは竜騎士団で事情聴取を行う」
「それには私も参加する」
「レオポルド⁉」
レオポルドは疲れきった顔で談話室に入ってくると、酒がならぶカウンターへと歩いていく。
置いてあったクマル酒の瓶を取りあげると、グラスに注いで乱暴にぐいとあおった。
「彼女の世話はテルジオに頼む。きみは贈りものを探す手伝いをすると、魔導列車で話したのだろう?」
「は、はい。でも今のネリアさんは覚えてないみたいで……」
「きみが覚えていればそれでいい。我々が動きやすいように彼女の気をひいてくれ。ライアス、工房の場所はどこだ」
「タクラ中層の好立地で市場も近い。空間魔法で工房を広くとっていて、素材倉庫のようだった。貿易船も寄港するから、タクラではいろいろな素材が手に入る。」
「デーダスの造りを応用したのか」
空間魔法を使えば壁の中に、部屋を造ることだって可能だ。もちろん魔力を必要とするが、どこにでも身を潜められる。考えこむレオポルドに、ライアスは気になっていたことをたずねる。
「ところでレオポルド、お前は彼女についてどう思っているのだ?」
銀の魔術師はクマル酒のグラスを握りしめ、暖炉の炎をにらみつけるようにして答えた。
「……少なくともピアスは本物だ」
「受取人指定の魔法陣であれば、本人か確認できる。ロビンス教諭からの手紙を使ったらどうだ」
「その必要はない」
「では偽物なのか?」
青い目を光らせるライアスに、レオポルドはため息をついて応じる。
「重要なのはあれが何かということではなく、ピアスが本物だということだ。何か手がかりが見つかるまで、彼女が〝ネリア・ネリスだ。錬金術師団長として遇し、予定通りサルジアにも向かわせる」
ユーリが慎重に口を開く。
「レオポルドは……ネリアがあの状態なのは、彼女自身の意志かもしれないと考えているんですね」
レオポルドは二杯目のクマル酒をグラスにとぷりと注ぐ。グラスに入った液体を揺らす男の、黄昏色の瞳に暖炉の炎を映した火が灯る。
ゴトリと鈍い音をさせてグラスをカウンターに置き、銀の魔術師は腕を持ちあげて右手を暖炉に向けた。
「イルミエンツ」
どこか目が据わったようにも見える男が、暖炉に向かって術式を放った。
複雑で緻密な陣形が炎のまわりに構築され、やがて魔法陣が輝くと炎が白く燃えあがる。
イルミエンツはどこにいるかもわからない人物あてに、炎を使ってキーワードのみを頼りに連絡をとる手段だ。
部屋にいた者は全員口をつぐみ、息をのんで魔術の行使を見守った。
使う炎はロウソクや暖炉、あるいはかまどでも何でもいい。だが小さくとも複雑で高度な術式を書けて、発動させるのにも高い魔力が必要となるため、今では使う者がほとんといない。
「錬金術師」
低くよく通る声が、しんとした室内でことさらに響く。白く輝く炎を包む魔法陣に、レオポルドはさらに魔力を注いだ。
輝きを増した炎の色が青に変わり、それを見つめる黄昏色の瞳に光を添えた。
みなが無言で炎を見つめていると、少ししてレオポルドは次のキーワードを口にする。
「オドゥ・イグネル」
暖炉の炎が青から赤に色を変え、魔術師の銀髪を赤く染めた。
鮮血のように赤く色づいた炎の中で、パチパチと薪が爆ぜて火の粉が飛ぶ。最後のキーワードとともに、魔法陣に魔素が放たれる。
「イグネラーシェの末裔」
赤い炎が鮮やかな緑に変わる瞬間、積みあげられた薪がゴロリと崩れ、その断面からも炎が噴きだした。緑色に揺らめく炎にむかい、彼はよく通る低い声で用件を告げた。
「オドゥ・イグネル、イグネラーシェについて話が聞きたい。それと父の遺品だという眼鏡、ネリア・ネリスについて……お前が知るすべてを」
燃え続ける炎はだんだん色を失っていく。しばらくたってその中からボヤくような声が聞こえた。
「おい、イルミエンツなんてカビの生えた呪文使うなよ。危うく前髪を焦がすところだった」
レオポルドはその声に向かって、強い口調で告げる。
「オドゥ、姿をあらわさねばひきずりだすぞ」
炎の向こうから笑う気配がする。
「どうぞご自由に。それだけの情報に支払う〝対価〟はあるんだろうね?」
「カロク山に棲む火竜の牙を用意した。お前がほしがるだろう、大地を焼き尽くす力を持つ強力な炎属性の素材だ」
火竜狩りで手にいれた素材を挙げれば、ヒュウと口笛を吹く音と同時に、炎は暖かみのある橙色をとりもどす。
静かになった室内ではパチパチと爆ぜる音とともに、薪がまたボロリと形を崩した。
「オドゥとネリア……タクラではふたりを探さねばならない、ということか」
ライアスが言うと、ローラが弟子に話しかける。
「レオポルド……あんたにはまだ薬湯がいりそうだね」
ローラの言葉にレオポルドは、ため息をついて注文をつけた。
「何杯でも飲みますが、こんどは眠くならないヤツでお願いします」












