455.ホテルの朝
短編集に『カイ、王都にいく』を掲載しました。レオポルドとカイのドタバタです。
朝、ホテルのベッドで目を覚ましたカディアンは、一瞬自分がどこにいるかわからなかった。
真っ白なシーツに明るい色で塗られた天井、なぜかメレッタが彼の顔をのぞきこんで、『おはよう』とにっこり笑いかけてくる。
「俺、なんかすげぇイイ夢見てる……」
「イイ夢って?」
ふしぎそうに聞いてくる婚約者は今日もかわいい。カディアンはにへらと笑って彼女へと手を伸ばした。こんな夢なら毎日だって見たい。
(メレッタをギュッと抱きしめて、そして……)
「え、ちょっとカディアン⁉」
「わ、もがくとこなんか、すげぇリアル」
カディアンはちゃんとしゃべったつもりだったが、実際は口をむにむに動かして、言葉にならない音をほにゃほにゃと発しただけだった。
メレッタはやわらかくて温かくて、とにかくかわいい。
「~~~~っ!」
――バチーン!
メレッタの平手打ちが炸裂して、カディアンはようやくパキッと目が覚めた。
「……え?」
「信じらんない。さっさと起きなさいよっ!」
目の前にいるメレッタは、夢とちがって真っ赤な顔をして怒っている。カディアンはぼんやりしたまま、頭をボリボリとかいてひとりで納得した。
唇にあたったやわらかい感触は彼の願望が見せた夢で、ヒリヒリするほほが現実だろう。
「そうだよな……現実ってこんなものだよな。でも起こすのに殴ることないだろ」
「知らないっ。私、きょうはヌーメリアさんとタクラの街に行くから!」
「えっ、何で?」
なぜかカディアンは機嫌の悪い婚約者に、ホテルへ取り残されることになった。
王太子一行の滞在先になっている、ホテル・タクラの最上階からは港が一望に見渡せる。
テルジオは港を照らす朝日に感謝して、ソファーに座るローラに礼を言う。
「また朝日が拝めるとは思いませんでした。おかげで私は今日も生きていられます」
卓越した知識と魔力を持つ大魔女は、ゆったりとした手つきで銀のスプーンを取りあげる。
「ヌーメリアに調薬を手伝わせたからね。レオ坊はしばらく目を覚まさないさ」
「はぁ、そのあいだにネリアさんが見つかればいいんですが」
今朝になり、ニーナ・クロウズから『ユーティリス殿下とホテルに戻る』と連絡はあったものの、ネリアは昨晩でかけたまま戻ってこないという。
「婚約したならば片時も婚約者から離れちゃいけない。それをしなかったあの子が悪い。それにレオ坊からは『突風もしくは嵐のような女性』と聞いている」
ローラはカラカラと笑って、リルの香りがするシロップ漬けにした氷砂糖を、ヴェルヤンシャ摘みの茶葉を使った紅茶にいれる。
そのまま銀のスプーンでゆっくりかき回せば、ふわりと甘い香りがあたりに漂った。
「突風か嵐……まさしくそうですね」
のんびりと香りを楽しむローラに、テルジオもだんだんと気分が落ち着いてきた。
ソファーに座りこむと脱力して、気の毒そうな顔をしているヌーメリア相手にグチをこぼす。
「私、ちゃんと準備したんですよ。港湾事務所で働いている知り合いにも聞いて、タクラ料理の名店や屋台の情報まで仕入れたのに!」
「その情報はヌーメリアが使うといい。あたしはレオポルドが持ってきた魔導具を調べるから、師団長を探すついでに、タクラの観光をしておいで」
ローラが言うと、ヌーメリアは穏やかにほほえむ。
「私もネリアが行きそうな場所を探してみますわ」
「ううう、ヌーメリアさん優しいぃ……」
テルジオは涙ぐみそうになりながら、ヌーメリアから目が離せなかった。
(ヌーメリアさん、きれいになったな……もう少しマウナカイアで話してみたかった)
以前はさびしそうな雰囲気を漂わせていた彼女は、婚約者から贈られたアミュレットの髪飾りを身につけ、落ち着いた印象ながら華やかさも感じさせている。
「レオポルドのようすは?」
ライアスに聞かれたローラはカップをソーサーに置くと、ため息をついて彼に答える。
「肉体的な疲労よりも魔力の調律が乱れていた。術式を連続で構築したから、かなり消耗しているはずだ。ずいぶんと無茶をしたね」
ライアスは心配そうに眉を寄せた。
「強行軍であったことは認めます。錬金術師オドゥ・イグネルのことはご存知ですか?」
メニアラ支部にいたローラ・ラーラは、対抗戦に参加していない。
「名前だけは。対抗戦では錬金術師団の総大将だった男だろう」
「我々と魔術学園では同級生でした。彼の故郷イグネラーシェには、あらためて調査団を派遣しています」
「デーダスに続いて、イグネラーシェまで調べる必要が?」
「ええ。俺はこれから港湾事務所にある竜騎士団の詰め所に行くため、あとはレオポルドが目覚めたら話します」
そこへカディアンの部屋にいっていたメレッタが、顔を赤くして戻ってきた。バチンと両手でほほを叩き、アメジストのような紫の瞳をきらめかせる。
「カディアンはまだ起きたばっかりみたい。ヌーメリアさん、私たちだけで街へ行きましょ」
「私たちだけで?」
「あんまり大人数だと動きにくいし、カディアンは目立つもの。ネリアさんが行きそうなところ、あたってみませんか」
「それならヤーンを護衛につけよう」
竜騎士のヤーンは茶髪の親しみやすいナイスガイで、メレッタはにこにこして彼に話しかける。
「よろしくお願いします、ヤーンさん。対抗戦でユーリ先輩が飛んだ、ライガの飛行ルートにも興味があって。その話も聞かせてください!」
「ああ。あのめちゃくちゃな飛びかたかぁ、あれにはまいったよ」
メレッタとヌーメリアはヤーンを連れて、にぎやかに街へとでかけていった。
目覚めたレオポルドは、しょんぼりと落ちこむカディアンと朝食をとる羽目になった。
「うう、メレッタに置いてかれたぁ」
「…………」
カディアンは眉を下げて、それでもダルシュが添えられた朝食をしっかり食べつつ、レオポルドに声をかける。
「そうだレオポルドさん、俺たちも街にでかけませんか?」
「きみと?」
「はい。アガテリスに乗せてもらったし、何かお礼がしたいです」
「礼など……」
カディアンにとっては超絶美形の魔術師団長より、メレッタを誘うほうが緊張する。
「どうせならメレッタたちが行かなそうなところにしましょう。俺、タクラの自然史博物館や近代美術館にも興味があるんです」
レオポルドはまばたきをしてカディアンを見た。
「きみはそれでいいのか?」
ニコニコしてパンをかじる第二王子に、レオポルドは何となく興味を覚える。
「はい。もしでかけるのが大変なら、軽くクロッキーを描かせてもらえませんか。イグネルさんが学園生だったころの話も聞きたいです」
カディアンが気を遣って提案すると、レオポルドはピキリと固まった。
オドゥの話となれば、とうぜん彼自身の話にもなる。それをじっと絵のモデルになりながら話すことになる……。
レオポルドはため息をついてスッと立ち上がった。テーブルを回りこみカディアンのアゴに手をかけて持ち上げ、そのまま第二王子の顔をのぞきこむ。
「ふむ」
「あ、あの……レオポルドさん?」
給仕をしていたホテルのスタッフがクレードルをとり落し、パンのカゴを持った別のスタッフも凍りついたように固まった。
窓から射しこむ光の中……気だるげに私服を着崩した魔術師団長が、朝食に夢中な第二王子にアゴくいをして、身をかがめているように見える。
当のカディアンもめちゃくちゃ焦った。
(ち、近すぎるんだけど⁉)
まともに見たら魂を吸いとられそうな精霊級の美貌、光のかげんで色を変える黄昏色の瞳がすぐ目の前にある。
顔を真っ赤にしてカディアンが汗をかいていると、やがて銀の魔術師は納得したようにうなずいた。
「上背があるから、服を調えれば子どもには見えまい」
「お、俺の背が何か……」
「私に礼がしたいのだったな」
彼がふっと笑った瞬間、その光景を目撃して固まっていたスタッフたちは、そろって声にならない悲鳴をあげた。









