454.オドゥのほしいもの
理由はユーリにもわからないが、この提案はオドゥを怒らせたらしい。彼は吐き捨てるように言った。
「それで? エクグラシアが貴族の顔色をうかがわずに済むような、師団長以上の地位を僕に用意するとでも?」
「師団長は国王とともに並び立つ。それ以上の地位なんて……」
オドゥの顔を見て、ユーリは口をつぐんだ。何かを決定的にまちがえている。
「ひょっとしてグレン並み……ではイヤだとか?」
オドゥは黒縁眼鏡のブリッジに指をかけ、気乗りしないようすで首を横に振った。
「べつに地位は重要じゃない。やりたいことが自由にやれたらそれでいい」
「僕とカディアンがそろって錬金術師団に入り、エクグラシアが錬金術の重要性を認めたとなれば、いずれ各国も追随するでしょう。そうなれば他国が師団長のポストを用意して、あなたを勧誘するかもしれない……」
(そうだ。何でそれを今まで考えなかったんだろう。ヌーメリアだってサルジアに興味を持たれるぐらいだ。彼ほどの腕や実力があれば……)
言っていて自分の言葉に驚いたユーリを見て、オドゥは意外そうに目を見開く。
「へぇ、そんな可能性もあるのか。まるで僕がどこかに行くとでも、思っているみたいだな」
(どこまでも平凡で印象に残らない。血族設定までほどこした眼鏡は、まるでオドゥの存在を隠そうとしているかのようだ。本当の彼はそんなんじゃないのに!)
「未来はわかりませんから。だからオドゥ。僕はあなたを本気で引き留めたいんです」
「僕がほしいのは……」
深緑の瞳が暗くかげる。ユーリはオドゥの腕をつかみ、真剣に言い募った。
「言ってください、オドゥ。何がほしいのか……何ならあなたを満足させられるんですか!」
「…………」
勢いにひるんだように、オドゥは一歩後ずさる。赤い瞳から視線をそらした男が不満そうに漏らしたのは、ユーリの想像とはまったく異なっていて。
「お前……素直すぎ。そういうのさぁ、僕じゃなくてアイリに言えよ。肝心なとこでバッカじゃねぇの?」
あきれたように言われて、ユーリはますます顔が熱くなり、オドゥに食ってかかる。
「何でそこでアイリがでてくるんですか!」
「何でって……まぁいいや。早くニーナを呼んでこいよ」
くるりときびすを返したオドゥの背中を、ユーリはむくれた顔でにらみつけた。
「……今、ようやくアイリの気持ちがわかりました」
「は?」
投げやりに返事をしてふり向いた男に、ユーリはもどかしさと歯がゆさをぶつけた。
「オドゥ、あなたは『過去』に生きている。その手でつかもうとしている未来が、自分で描いた夢や希望でないなら、僕は決してそれを認めない。世界は今を生きる生者のためのものだ」
「……僕がほしいのは『未来』じゃないし、世界はだれのものでもない」
黒縁眼鏡のブリッジに指をかけた男は、それだけ言ってそのままタクラの街にでていった。
「……あいつが必死になって、あんなことを言うなんて」
四年前にグレンが工房を築いてから、足しげく通っていたデーダス荒野から、そのころオドゥは遠ざけられていた。
研究棟で気まぐれにユーリをかまったのは、ただの暇つぶしでしかない。
恵まれた出自、約束された将来、華やかな容姿に明晰な頭脳……最初は何もかも気にいらなかった。だからあえて挑発して叩きのめし、プライドを粉々にしてやった。
予想外だったのは、それでも彼が研究棟に通い続けたことだ。ウブルグからカタツムリの話を聞かされるのには、うんざりしていたようだが、魔道具の話になると瞳を輝かせた。
――意外と狭い世界で生きているんだな。
ユーリを観察していてオドゥは思った。王城にいる文官や王族に貴族……似たような価値観の者たちが集まっている。
ちっぽけな山間の村のほうが自由で、広大な王城のほうが窮屈だなんて、だれも思わないだろう。
(グレンの価値観は僕と似ていた。あいつは世界を知っていた)
それはオドゥが目にしてきたものよりも、はるかに深く広く大きくて。オドゥにとって世界を広げてくれたグレンという存在が、ユーリにとっては彼なのだと思うと、不思議な感情が心に湧く。
――けれどいつかは追いつかれる。そして先を越される。
それは学園で知り合った銀髪の少年みたいに。背中に注がれる視線を常に感じて、追いかけてくる足音を耳でとらえる。
「あいつと戦うのは骨が折れるから、やりたくなかったんだけどな」
――もっともっと世界は広いのだと。
追われる立場でいることが、自分が一歩先に進むための原動力となる。追いつかれないために、悪あがきに近い努力を必死にやる。
「グレンもこんな気持ちだったのかな」
彼の真似をしてオドゥはタクラに工房を造った。何も持たなかった学生のころにくらべれば、自分の工房を持てたのは誇らしかった。それでもまだグレンには追いつけない。
銀の錬金術師は見つけてしまったのだ。この世界の理を超えた存在、精霊にも等しい力と強い意志を持つあの娘を。
知識の深淵を究めたはずの彼を凌駕する、まったく知らない世界への扉を開く未知の生命体を。
「〝彼女〟を……手にいれなきゃ」
タクラの街を歩くオドゥは、もう工房に戻るつもりはない。もともと素材の仕分けや保管に使っていただけだ。王都を通さずタクラで直接仕入れ、デーダスに運ぶ素材もあったからだ。
――すべては〝彼女〟のためだ。
『誓いなさいオドゥ、杖作りに協力すると。わたしが生きていくために協力すると!』
「バカだな、ネリアも……僕はきみが生きられるよう、ずっとグレンに協力してきたのに。どれだけ僕がきみを大切にしてきたか、ゆっくり教えてあげないと。対価はきみ自身だ」
オドゥはポケットからグレンが彼女に与えた、金属製のプレートを取りだした。
「僕がほしいのはデーダスの工房と、ネリア……きみだ。それ以外ないね」
そのとき彼の前に、潮風に踊るふわふわとした赤茶の髪を押さえ、ラベンダーメルのポンチョを着た娘が、寒そうに身をすくめてあらわれた。
ショートブーツを履いたラフなスタイルにはそぐわない、きらめく魔法陣が刻まれた、みごとな紫陽石とペリドットのピアスを耳につけている。
「うぅ、さぶ。でもこのポンチョ、あったかいわ。北のほうで買ったんだって」
得意そうに腕を広げて見せびらかす娘に、オドゥはたずねた、
「へぇ、それで〝彼女〟は?」
「それぐらい自分で探しなよ」
じろりとオドゥをにらみ、小柄な娘はぷいっと横を向く。ふくれっ面の横顔まで、まさしく〝ネリア・ネリス〟だった。
「カナイニラウでは世話になったし、あんたに一度だけ力を貸すと約束したけど。こんなことだとはね」
黒縁眼鏡のブリッジに指をかけ、オドゥ・イグネルは苦笑した。
「ちぇ。僕は〝彼女〟を知らないから、ヒントぐらいほしいのに。きみはこのまま?」
「そうね」
つんとあごをそらせ、オドゥの横を通り過ぎる娘に、彼はアドバイスをした。
「少しくだって花屋の横から路地に入るといい。曲がりくねった小道をいけば、ホテルの裏にでる。それなら人目につかない」
「あら、何でコソコソするのかしら。これがあるんだもの。向こうからあたしを探しにくるわよ」
あどけない顔の娘は小首をかしげ、口元に妖艶な笑みを浮かべた。手袋をした手で耳たぶに揺れるピアスの石をつつく。
足取りも軽く去っていく娘のうしろ姿を見送る男の肩に、カラスのルルゥが舞い降りる。
魔力を練りこんだクッキーをひとカケラ、オドゥは使い魔に食べさせて、楽しそうに話しかけた。
「ルルゥ……狩りの時間だ。どうやって獲物をあぶりだそうか?」












