451.ローラの薬湯
ホテルに到着すればさすがにレオポルドも、ローラ・ラーラが渋い顔をして差しだす薬湯は、おとなしく飲まないわけにいかなかった。
師団長用に用意された豪奢な部屋のベッドで、彼はなみなみと薬湯が注がれたカップを受けとり、顔をしかめてため息をついた。
「量が多すぎます」
「調律が必要なほど魔力が乱れている。レブラの秘術を連発したとはね。命取りになる危険な術だと教えたはずだけど。魔道具には寿命なんてない。その記憶を辿り時の迷路に迷いこめば、帰ってこられない恐れだってある」
「……申し訳ありません」
永遠に魔素を消費して記憶を見続け、そのうち自分の肉体が滅んでしまう。
レオポルドが薬湯を飲むのを見届けるため、ローラはベッドサイドに置かれた椅子にドカッと腰をおろして脚を組んだ。
「師団長としての自覚を持ちな。見習いのころはしょっちゅう無茶をして、ひっくり返っていたんだから」
「イグネラーシェの真実は……生存者がいない今、魔道具の記憶を見るしかありませんでした」
レオポルドは苦笑してぐいっと薬湯をあおる。塔の仮眠室にある棚にはクマル酒のビンだけでなく、いざというときに使う薬の材料が並んでいる。
何度も倒れて自分の限界を知り、不調を隠すのだけは上手くなった。
(彼女はたやすくその限界を超えてしまうが……)
ローラはそんな自分の弟子を不機嫌そうに眺めていたが、彼が薬湯を飲み終えると話しだした。
「デーダス荒野に行ったんだってね。婚約したのはそのすぐ後だとか」
「工房で実際に何が行われたのか……それと私や王太子に使われたチョーカーについて調べるためです」
レオポルドがぽつぽつと話し、ローラは先をうながす。
「それで?」
「チョーカーについては何も。杖の設計図が残されていました」
それを聞いたローラは遠い目をして、切なそうにつぶやいた。
「レイメリアがデーダス荒野を候補地として選んだんだよ。グレンはやはりそこに工房を建てたんだね」
「母が?」
驚くレオポルドにローラは小首をかしげた。
「あんたにレイメリアの手記を渡したろう。彼女はエクグラシア中を飛び回って、あちこち調べて検討していた」
「何がおいしかったかとか、買うべき特産品とかを書いた、あのメモみたいな手記ですか?」
「そうだよ」
こんどはレオポルドが首をかしげる番だった。
工房の候補地なら魔素の流れや力を借りる精霊たちの気配など、ほかに検討すべきことがいくつもある。それにデーダス荒野について、手記には何も記されていなかった。
「あれにデーダスのことは何も書かれていませんでしたが」
「エルリカの街については書いてあったろう。あれはあんたやグレンを連れて行きたい場所を記したおでかけメモだよ。レイメリアはその工房で子育てするつもりだったから」
「子育て……」
レオポルドにとっては思ってもみないことだった。母が『子育て』というからには自分のことだろう。
言葉を失ってピシリと固まった弟子を見て、ローラは気まずそうに天井を見上げた。
「あたしの説明が足りなかったかねぇ」
「想像もしませんでした」
レイメリアは気に入った場所を見つけると、メモを取って大騒ぎしていた。
『工房を建てるとして……レオポルドが大きくなったら、気軽に出かけられる場所も必要よね!』
魔術師団で働いていれば、デーダス荒野以外は行く機会がある。
仕事の合間にレオポルドも、その手記を元に楽しむだろうと、ローラは気楽に考えていた。
(そういえばレイメリアは感覚で魔術を使うクセがあるから、メモも断片的でわかりにくかったねぇ)
パラパラとめくっただけでレオポルドに渡した手記には、おいしかったものの名前だけはハッキリと書いてあった。
「まぁ、今からでも楽しめばいいよ。研究棟からはいつでもデーダスに行けるだろ」
レオポルドはその言葉に微妙な気分でうなずく。レイメリアの手記はネリアにも見せたが、彼女は『いらない』と言い、現在はアルバーン公爵夫人が所持して、〝聖地巡礼〟に使われている。彼はぼんやり考えた。
(ルルスで働いた魔法陣が今は動かないのであれば、ひとまず彼女は無事だ)
薬湯が効いてきたらしい。レオポルドのまぶたが重くなってきたのを見て、ローラは金の瞳を光らせた。
彼女は彼から本当に聞きたかった、だいじな質問を口にする。
「対抗戦では完敗したそうだね。魔術師団や竜騎士団にとって、錬金術師団は脅威となり得るのか……あんたの見解を聞きたい。あいつらはあたしたちの敵になるのかい?」
「……なり得ます」
正直な答えだった。対抗戦の詳細までは報じられていない。
けれど〝滅びの魔女〟の異名を持つ彼女は、塔でも好戦派の魔術師として知られている。錬金術師団を敵とみなせば、その攻撃は苛烈で容赦しないだろう。
「あんたが婚約したのはそのためか?」
「……ちがいます」
目を閉じたまま返事をするレオポルドに、覆いかぶさるようにしてローラは声を低める。
「それなら〝杖〟のため?」
長い銀のまつ毛がピクっと動き、黄昏色の瞳がローラを見あげた。薄い唇がひらき、しっかりした声で返事がある。
「いいえ。婚約を受け入れたのは……私のためです」
「レイメリアのためにグレンが作った杖は、師団長となったあんたが使うには物足りない。魔力の調律が難しいし、使い続ければいつかは壊れる。扱える杖を失ったら、あんた師団長を辞めるしかない」
「……なぜそれを」
レオポルドの問いに、ローラはふんと鼻を鳴らした。
「モリア山から杖を持ち帰ったのはあたしだからね」
「そうでしたか」
乱れた銀髪に長い指を差しいれ、物憂げに髪をかきあげたレオポルドは、息をつくとふたたび目をつむる。
「デーダスの工房でもレブラの秘術を使いました」
「デーダスでも?」
夜会の夜に見たあの笑顔が、思いだせそうな気がした。けれどレブラの秘術で見た彼女は、笑っていなかった。
「彼女は泣いていた」
「え?」
ローラは『彼女』というのがだれのことか、一瞬わからなかっただろうが、レオポルドは説明せずに続けた。
「彼女は突風もしくは嵐のような女性で。私よりも魔力の制御に苦しみ、高熱や痛みにのたうち回って、吐いてうめいて泣きじゃくっていた」
ネリアにとって穏やかだったのは、恒温槽で眠っていた日々だけで、続くリハビリは地獄のようだった。
――どうやったら魔法を使えるの?
――わかんないよ、グレン。魔素の流れなんて感じ取れない。
魔素は自然界に広く存在する。体内にある魔素の内包量が多い個体を、人間ならば〝魔力持ち〟、獣ならば〝魔獣〟または〝魔物〟と呼ぶ。そういう意味では〝魔力持ち〟も〝魔物〟も化け物であることには変わりない。
泣きじゃくる彼女を冷徹なまでに観察し、必要な物を与えて手を貸しながら、グレンは言い放った。
――『生きたい』と願え、ネリア。
――この世界で生きていくために、まず魔素の扱いを覚えろ。免疫系の術式を覚えねば、あっけなく感染症で死ぬぞ。
(まるで荒れ狂う嵐のように強大な力を、彼女は泣きながら制御する方法を身につけた)
それなのに夜会の晩、レオポルドが聞かされた彼女の願いは、彼が脱力するほど取るに足らないことだった。
(デーダスではあんなに泣いて苦しんでいたのに)
――わたしの名前を呼んで。
――あなたが笑ってくれたらうれしいな。
(それだけのことで……)
それだけのことで、心からの笑顔を見せてくれるなら、自分はどんなことでもするだろう……デーダス荒野の工房で、レブラの魔法陣が解けて崩れたとき、レオポルドはそう決意したのだった。
レオポルドの呼吸がやがて規則正しい寝息に変わり、閉じられたまぶたはもうぴくりとも動かない。
暗い室内で虚空をにらみつける、ローラの瞳だけが金色に光った。
「錬金術師ネリア・ネリス……グレンの手により、デーダスの大地から遣わされた者か……」
やがて彼女は椅子から立ち上がり、静かに部屋を出ていった。
さすがにレオポルドもダウンしました。









