449.呪術師マグナゼ
9巻準備に伴い、改稿しています。
「ちっ、いまいましい!」
季節はさかのぼって秋の終わり。サルジスの広大な皇宮にある豪華な一室で、赤いローブに身を包んだ、ゆるくカーブした黒髪の男が毒づく。。
「どうかされましたか、マグナゼ様」
皇族の一員でもある呪術師マグナゼ・レン・サルジアは、皇帝が住まう黒曜殿に一室を与えられていた。部屋にいた二体の傀儡が、ローブの合わせから腕を突っこみ、自分の体をかきむしる彼を振りかえる。
「痒い!」
「痒いとは」
「何でございましょう」
美しい顔をした傀儡たちは、そろってこてりと首をかしげる。
「傀儡は痒みも感じぬか……薬を持て!」
かけばかくほど痒くなる。イライラしたようにマグナゼが叫んでも、傀儡たちはまたそろって首をかしげる。
「薬湯ですか?」
「それとも膏薬?」
「両方だ!」
きちんと返事はしても、傀儡たちは単純なことしかできない。それぞれ別々に動いて薬湯と膏薬を取りにいった。
(何が原因かはわからないが……思い当たるとしたら、エクグラシアで受けたあれしかない)
ヒルシュタッフ邸でネリアにかけられた、魔法陣の意味をマグナゼは知らない。まばゆく光る魔法陣とともに、大量の魔素が体を吹き抜けたが、ただそれだけで何も感じなかった。
死に物狂いで樹海を抜け、国境にたどりついて故国に逃げこみ、夏はずっと床についていた。だから動けるようになり、自分の工房に入ろうとして彼は愕然とした。
工房に一歩でも足を踏み入れれば、涙や鼻水がでて体が痒くなる。何かの病気かと思ったが、体をいくら調べても異常は何もない。けれど彼は呪術の素材すらさわれなくなった。
魔術や魔道具、魔法陣は使えるが、呪術が使えない呪術師など、何の役にも立たない。
ふれても平気なものもあるが、ダメなものはまったくダメになった。彼はギリギリと歯を食いしばり、工房を閉ざすしかなかった。
(呪いとしか思えないが……あれはいったい、どんな呪術なのだ?)
あの場にいたふたり……エクグラシアの第一王子と、赤茶の髪をした娘ならきっと知っているはず。
「マグナゼ様、お薬をお持ちしました」
「マグナゼ様、お薬をお持ちしました」
それぞれ別のところから傀儡たちは、片方が湯気の立つ薬湯入りの鉄瓶、もう片方は膏薬入りのツボを持ち戻ってくる。バッと赤いローブを脱ぎ捨て、マグナゼは上半身裸になった。
「ああ、さっそく塗ってくれ。背中が痒い」
「かしこまりました」
膏薬を塗って痒みを鎮め、ゆっくりと薬湯を飲むつもりだった。男盛りの頑健な体の背中には、かきむしった赤い筋がいくつもある。そこへ鉄瓶を持った傀儡が、遠慮なく湯気の立つ薬湯を注いだ。
「うわちちちっ!」
「あれ、さらに赤く……」
薬湯を注ぐ傀儡の後ろで、膏薬入りのツボを持った傀儡がこてりと首をかしげる。
姿形は美しく愛らしいが、彼らは何も考えていない。薬湯を注いだほうは無表情に白い指を動かし、ジャバジャバとかけた薬湯を背に広げた。
「ひいぃっ、いてっ、やめろっ、塗るのはそっちじゃない!」
広い皇宮に男の悲鳴が響きわたった。
六年前、危険を冒してまで、マグナゼがエクグラシアに向かったのは、留学中の皇太子リーエンに関して、ある情報を手にいれたからだ。
――リーエン・レン・サルジアは女性である。
周囲の反対を押し切ってエクグラシアに留学した皇太子は、学園で第一王子と親しくなった。
もしもリーエンが皇女であれば、彼女はマグナゼかシュライに嫁ぐべきで、辺境の国から王子を皇帝候補に迎えるつもりはない。
(ふざけた王子には即死毒を、リーエンには傀儡毒を含ませてやろう)
呪術師の技でもある〝潜入〟は変装ではなく、そこで生活していた個人の情報を、そっくり自分のものにする。貿易商の肩書きを手にいれた彼は、タクラの港から魔導列車に乗った。
〝魔力持ち〟は世界中で生まれる。二百年前に魔石鉱床が発見されたエクグラシアは、近年グレンという錬金術師が魔導列車を開発し、〝魔導大国〟とまで呼ばれるようになった。
興味本位で降りたルルスで、マグナゼは大規模な魔石鉱床に目を奪われた。魔石を山積みにした魔導トロッコが坑道を走る。
(『エクグラシアに学ぶべきだ』という、皇太子の主張にもうなずけるな……まるで〝大地の精霊〟の力が結晶化したようだ)
鉱床ひとつで皇都サルジスを何百年と輝かせられるほどの埋蔵量。
(……ほしい。斜陽のサルジアなどシュライにくれてやればいい。俺はエクグラシアの初代皇帝となる。ドラゴンを駆る竜騎士団を我が軍隊とし、魔術師団を傘下に置く)
繫栄するエクグラシアの活気が、彼に壮大な野心を抱かせた。傀儡だらけで静まり返った皇宮も、呪術師に頼りきって生活する、サルジアのひとびとにも飽き飽きしていた。
新たな野心を抱いて王都シャングリラに向かった彼に、サルジア貴族出身の妻を持つ、エクグラシア宰相ヒルシュタッフが力を貸した。
一人娘を王都の社交界で華々しくデビューさせるため、宰相にはとにかく金が必要だった。
「リーエンが変な動きをしなければ……」
皇帝の座に座っていたのは、マグナゼだったかもしれない。リーエンの機転でユーティリス王子は難を逃れ、皇太子の死で申し開きに追われた彼のかわりに、シュライが皇帝の座についた。
事件後、ユーティリス王子は王城にこもり、成人しても公の場に姿を見せなくなった。
一部始終を知る彼の口をふさぐため、エクグラシア王族を抹殺するために開発された、〝呪いの赤〟を今度こそはと持参して罠をかけた。
周到に準備した呪術はまちがいなく発動し、第一王子は研究棟内の密室で謎の死を遂げるはずだった。
第一王子さえ始末すれば数年後には、サルジアの影響下にある王太子夫妻が誕生する。
三十代でまだ若いマグナゼは、それまでにエクグラシア国内で、しっかりとした基盤を築く予定だった。
しかしそのすべてが覆された。事態を察知した王都三師団の動きは素早かった。竜騎士団の機動力と魔術師団の緻密な攻撃により、関係者はことごとく逮捕され、マグナゼが国内各所に築いた拠点は破壊された。
(まるで罠にかけられたのは、こちらのようだった。ドラゴンを駆る竜騎士に対抗できる戦力、魔術師たちを封じる術が必要だ。死霊使いがいれば役に立ったものを)
『水が命を生み、生まれた命は風が運び、炎がその運命を変える。そして土は命の終わり……すべては星へ還る』
〝地の精霊〟が司るのは命の終焉。死を統括する死霊使いは、三人の子たちの中でも一番強い力を持ち、生命すらも扱う術を使えた。
精霊の本体である〝体〟を与えられた彼らは、その本質を強く受け継いでいた。
恐ろしい術を使いながら、その性格は人懐こく穏やかであったという。ただし目が金色に光るときだけは、別人のようだったらしい。
地上で生者が謳歌する繁栄は、おびただしい数の死者の魂に支えられていた。
死霊使いの一族はある日を境に、サルジアの歴史から忽然と姿を消し、その実態はマグナゼですらよく知らない。
皇帝シュライが顔を上げ、磨きぬいた黒曜石のような瞳で、茶器の向こうからマグナゼを見やる。
「……マグナゼはまたエクグラシアに向かうのか?」
ほほえみを浮かべたシュライに問いかけられ、男の背中に汗が噴き、かきむしった傷がまたじくりと痛む。
「はい」
「筆頭呪術師であるそなたも、リーエンと同じくエクグラシアに魅せられたか」
「この体では筆頭呪術師としての責務を果たせません。治療法を探るつもりでおります」
茶器を置いたマグナゼは神妙な顔で頭を下げる。エクグラシアには彼のほしいものがある。魔石鉱床、〝灰色の魔女〟……。
(王都で働く〝毒〟に精通した錬金術師……そんな魔女が手の内にあれば、国を支配するなど簡単だ)
けれどそんな黒い心の内を、皇帝に見せる訳にはいかなかった。









