444.残念な三兄弟
工房にいたオドゥは眼鏡をはずし、作業台に頬杖をつくと、しばらくぼんやりしてからため息をついた。
「ネリアにルルゥをつけたのは失敗だったかなぁ。ご飯食べて本読んでドレスの相談……変わったことといえばルルスの町でネリアが倒れて、テルジオ先輩に運ばれたぐらいだ」
それを耳にしたユーリが、びっくりしたように顔をあげる。
「何をぼんやりしているのかと思ったら、のぞきは趣味が悪いですよ、オドゥ。それよりネリア倒れたんですか?」
「うん。かわいそうに先輩、真っ青になってレオポルドにエンツ送ってた。よりによってあいつと婚約するなんて、僕ってばホントついてないよ。彼女に必要なのは僕なのにさぁ」
かわいそうと言いつつ、テルジオにちっとも同情はしていない。
「オドゥは最初から対象外でしょ。ネリアはだいじょうぶですか?」
「魔石鉱床との相性が悪かったみたいだ」
「具合が悪くなる魔力持ちがいるとは聞きますが、倒れるほどだったんですか……」
ユーリが首をひねっていると、オドゥは遠くを見つめるようにして深緑の目を細めた。
「こっちも焦るよ。準備がまるで追いつかない」
「準備って何の?」
「さぁね。まぁいずれ彼女のほうから、僕に会いにくるだろうさ」
オドゥははぐらかすように笑い、いつのまにか冷めていたコーヒーを飲みほした。
ユーリはユーリで、手元にある魔法陣とにらめっこをしている。サルジアの隠し魔法陣を読み解けても、それを魔道具に刻むのが難しい。
「眼鏡もぜんぜん完成しませんしね。おかげでタクラの街にはくわしくなりましたけど」
「まぁね。今は女の子たちもいるし、羽を伸ばすにはちょうどよかったろ?」
「ねぇ、今日の食事当番だれ?」
ミーナが二階からトントンと軽い足取りでおりてきて、オドゥは座っていた椅子をギギッときしませ、伸びをするように手を挙げた。
「僕だけど何かリクエストでも?」
「ダルシュはそろそろ飽きちゃったし、ほかのにしてくれない?」
「じゃあ気分転換に買いだしして、たまには僕が料理でもするかなぁ。ユーリを行かせるとすぐ絡まれるし。お前が警備隊に捕まったら、王都に知らせが行くから気をつけろよ」
「服に手を入れてもらってからは減りましたよ。最近は運動不足も解消できてますし」
ミーナはパンと両手を打ってにっこりとした。
「オドゥ先輩が何作るのか楽しみだわ。ね、アイリを見てくれる?」
「アイリ?」
階下にいたふたりは、ミーナのあとから階段をおりてきた人物に目が点になった。
「きみ、アイリかい?」
「髪がショートだからか」
「ウェストは調整したし、特徴のある目元は帽子で影になるようにしたの。ほら、少年に見えるでしょ」
港の古着屋で買ったズボンは、漁師がよく履く紺地のもので、ミーナが裾を折り返した。首はタートルネックで覆って、すそが擦り切れたコートは、潮風で風合いがあせている。
ラベンダー色のショートカットに帽子をかぶると、いつも潤むような大きな紅の瞳は影になり、ただギョロリとして見える。アイリもといアイル少年は、ズボンのポケットに両手をつっこみ大股で歩いた。
「歩幅も変えたら、それっぽくない?」
「歩くの難しい……だぜ」
ギクシャクと歩くアイリに、けれどオドゥは不満そうだ。
「お兄ちゃんとしては、連れ歩くなら女の子がいいなぁ。キレイな格好させて港の見えるカフェに行って、店の中央にある目立つ席でいっしょに食事して、ほかの男たちから嫉妬と羨望の眼差しを浴びたいのにぃ」
「オドゥ、僕ら潜伏中ですよ」
港近くの路地をウロウロするぐらいならいいが、上層であるタクラ駅近くまで行くのはまずい。
「先輩の料理、楽しみ……ですだぜ」
「ですだぜ……って。僕もでかけるので眼鏡貸してください」
アイリの言葉遣いにユーリは吹きだして、オドゥに手を差しだした。
「当然のように借りようとするなよ。すっかりタクラを満喫しやがって」
「とっても楽しいですよ。テルジオと港を視察して回るよりずっとましです」
とぼけて答えるユーリに、先輩錬金術師は渋い顔で注意する。
「お前ね、そこは視察してやれよ。テルジオ先輩が一生懸命準備したんだから」
「私……お、俺もひとりっ子だから、兄弟がいるみたいで新鮮、ですだぜ」
料理をするといっても調理設備などない。錬金釜を鍋のかわりに使うと、それこそホントの闇鍋になる。酔った勢いで工房にある素材もほうりこみ、食べた翌日なぜか全身紫色になったこともある。害はなかったが、色を落とす薬を調合するのが大変だった。
火の魔法陣を敷いて魚の切り身を焼くことにして、水揚げされたばかりの新鮮な魚介がならぶ、中層にある市場へとみんなで向かった。
冬に手に入る野菜は少ないが、どうせ食べるならうまいほうがいい。オドゥはけっこう真剣に食材を選びだした。
「この時期だとブーブリがうまい。貝を入れて出汁をとろう。油で焼いてパポ茸や香草を入れて、少し煮ればそれだけでうまい。あっちでスパイスが量り売りで買える。値段は交渉だけど」
「そんなに量はいらないものね。タクラは地元だし、それは私がやるわ」
タクラ郊外の子爵領で育ったミーナが、交渉役を買ってでた。
「よろしく」
「ついでに食器も買っていいかしら。乳鉢にスープをいれて、スパーテルで食事をするのはちょっとね」
「あ、気にいらなかった?」
「あ、私……俺も自分のマグほしいし、いっしょに行きますだぜ」
「ますだぜ……って。アイル、きみしゃべんないほうがいいよ」
すかさず手を挙げるアイリに、ユーリが笑いをこらえきれずお腹を押さえて、オドゥは天を仰いだ。
「なんか僕、めんどうを見なきゃいけない子が、増えただけのような気がする……」
三人を順にながめて、黄緑の髪をお団子にしたミーナは肩をすくめた。
「この残念すぎる三兄弟、どうにかならないかしらねぇ」
にぎやかな食事の後は作業台でユーリとアイリが、レンズの錬成に取り組む。
「アイリ、きみが削った術式、省略した部分にも意味があったみたいだ。ほらここ」
「ホントだわ、気づかなかった。もとに戻さないとダメですね」
アイリがため息をついて術式を書き直し、ユーリはレンズになり損ねたガラスのかけらをつまむ。調べてみるとレンズは何層にも別れており、その隙間に魔法陣が配置されている。再現するのはとても難しかった。
「眼鏡を複製するのがこんなに大変だなんて。この魔導回路を設計したヤツ、ぜったい性格悪いよな」
「魔法陣も複雑ですが、レンズのガラスも薄くて硬いですね。オドゥ先輩、眼鏡を分解してもいいですか?」
アイリの言葉に、オドゥはぎょっとして振りかえる。
「え、きみときどき過激だよね。それにその眼鏡、意外とじょうぶだよ。土石流の中から拾ったんだから」
「調べるだけですよ。土石流の中からって、どうやって?」
「僕じゃなくてルルゥがね……っと、ネリアが動いた」
オドゥは顔をしかめて、こめかみを指で押さえた。虚空をにらみつけて歯を食いしばり、眉間にシワを寄せる。
「オドゥ?」
「魔導列車でおとなしくしていると思ったのに。ライガを展開して……後ろに乗せているのはミーナか?」
「私はここにいるわよ。ニーナじゃない?」
すみで裁縫をしていたミーナが顔をあげ、すぐにニーナへエンツを送ったけれど、姉からの返事はなかった。
「そうか、きみたち双子だったっけ。おそらく明日の朝にはタクラに着くよ」
ユーリはコップに水差しから水を汲み、肩で息をするオドゥに差しだした。
「使い魔を操るのって大変そうですね」
「そう。魔力を食うわりに見張りや伝言ぐらいで、たいしたことはできないからね。ふたりを出迎えるかい?」
ユーリはアゴに手をあてて難しい顔をした。
「そうか、潜伏生活ももう終わりですね。眼鏡は完成してないのに」
オドゥが振り向き、ユーリに黒いケースを放ってよこす。
「ほれ」
「何ですか……ってこれ!」
言いながら開けたユーリの目は、中にきっちりと収められた眼鏡を見て輝いた。
「グレンが作ったレプリカだよ。あいつが作れるなら僕にだって完成させられると思ったのに、まさかサルジアの隠し魔法陣とはね。腹が立つのはグレンがそれを作ったのは、遊び半分だったってとこだ」
悔しそうなオドゥはそっちのけで、魔道具好きなユーリはさっそく術式を調べはじめた。枠がすっきりした眼鏡は、そのままでもユーリにも似合いそうだ。
「すごい。認識阻害のレベルも変えられるようになっている。こっちのほうが高性能じゃないですか!」
「それでいいなら竜玉をよこせ」
「あ、はい。こんなのがあるなら最初からだしてくださいよ」
ユーリが文句を言いながら竜玉を渡すと、受けとったオドゥは複雑そうな表情を浮かべた。
「それだとありがたみがないだろ」













