44.海猫亭
よろしくおねがいします。
店の外に出たライアスは申し訳なさそうに眉を下げた。
「すまない、ネリィ……昼食を食い損ねてしまったな……しかも、噂を否定するためにきみを利用した形になってしまった……」
「大丈夫だよ、お世話になってるのはこちらなんだし、虫除けでも何でも使っちゃっていいよ」
ライアスは「虫除けというわけでは……」と、まだ何か言おうとしたけれど、別に『ネリィ』がどう使われようと問題はない。『ネリィ』はあくまで街歩き用のキャラクターで、王城で働く『ネリア・ネリス』とは別人だと思っている。要は正体がバレなければいいのだ。
「それよりお昼どうする?この近くで何かあるかな?」
「そうだな……この近くにある美味い店といえば……あ!」
しばらく考え込んだライアスが、何かを思いだしたように声を上げたものの、困ったように顔をしかめた。
「あるにはあるが、そこは女性を連れて行くような店では……」
ほうほう?なんか俄然気になるよ?大丈夫!わたしは牛丼屋もひとりで入れる女子高生!……だった(過去形)。
「そこ、間違いなく美味しいお店?」
「ああ、間違いなく、旨い」
ライアスはためらいなく頷いた。
「女性ひとりではきっと入りにくいお店だよね?」
「ああ」
「なら、ライアスが一緒の今こそ行けるチャンスじゃん!そこ行こうよ!ライアスのおすすめ食べてみたい!」
「えっ?ああ……そういう考え方もできるのか」
六番街の表通りを一本入った裏路地に連れていかれたそのお店の名前は『海猫亭』……おお!なんだか漂う香りといい、場末感漂う雰囲気といい……『ラーメン屋』っぽい!素晴らしい‼︎
狭い間口をくぐるとカウンター席がいくつも並び、客達は皆同じ大きさのどんぶりを前に麺をすすっている。
「いらっしゃい!……ライアスじゃないか!久しぶりだねぇ!」
「おぉ!ライアス!今じゃ団長様か、すっかり偉くなっちまってよぉ!」
わぉ、歓迎ムードだね。ライアスの後ろからちょこんと顔だけだして「こんにちは」と言ってみると、おかみさんの目が見開かれ、まじまじとわたしの顔を見つめた。
「まぁまぁまぁ!可愛らしいお嬢さんだね!ライアスったら何もこんな小汚い店に連れて来なくても……ちょっとそこ詰めとくれ!ライアスとお嬢さんの場所作ってあげな!」
人の隙間を縫うようにして、用意された席へ移動すると、方々からヤジが飛ぶ。
「ライアス、こんな可愛い子、お前連れてくる店間違ってんぞー!ガハハハッ!」
「あちこちの夜会に顔をだしてるって話じゃねぇか……モテまくって大変なんだろぉ?団長サマは!」
「つーと、ライザ・デゲリゴラル嬢と婚約するっつー話はガセか?あり得ねぇとは思ったけどよぉ!」
「こんな所までそんな噂が広がってるのか……」
ライアスは渋面を作って頭を抱えて唸った。
「ライアス、マジで少しもライザ嬢の可能性はないの?」
「ない!絶対にない!……社交の義務を果たしているつもりだったんだが……あんな噂を立てられるようじゃ、これからは改めないといけないな……」
まぁ、確かに見た目の割に苛烈そうな令嬢だったから、結婚すると苦労しそうだけど。
「この店は、船着き場にドラゴンの餌が荷揚げされた際に、よく先輩達に連れて来られたんだ……餌の検品と運搬は見習いの仕事だからな」
『海猫亭』は船着き場で働く、荷揚げ作業に携わる人達がよく利用する店らしい。見た目は日に焼けていて入れ墨を入れていたりとまるで海賊のようだが、ライアスに接する態度をみる限り、朗らかな気のいい人達のようだ。
「でも一年ぶりくらいかねぇ、団長様になってからとんと顔を見せなくなってさぁ」
そう言いながら、おかみさんがライアスとわたしの前に、グラスを置いた。
「皆『団長』になったライアスの活躍を新聞で読むのを楽しみにしてるんだよ!さぁ、お嬢さんは何にする?『ター麺』でいいかい?」
「あ、はい!それでお願いします!」
周りのどんぶりをよく見ると、油で炒めた野菜と魚介がふんだんに載せられていて、麺は太い……あ!これどっちかって言うと『ちゃんぽん』だ。わたしは期待にそわそわする。
「さぁ、どうぞ!『ター麺』だよ!熱いので気をつけとくれ……こっちはサービス!『ムンチョのから揚げ』さぁ」
『ムンチョのから揚げ』はムンチョという魚を、下味と衣をつけて揚げたものらしい。齧ってみると、外はカリッカリの、中はむっちりした肉厚の白身魚で、噛むと口の中に甘味が広がる。
「ん~!おいひい!」
「うん!……うまい!」
添えられていた柑橘類を絞ってかけると、また違う爽やかな風味になる。ター麺の方もスープをそっとすすってみる。
「うっわ!凄い出汁が効いてる!くぅ!この味!体に沁みる~!」
魚介の出汁が効いてさっぱりした塩ラーメンのような味だ。ラーメンともチャンポンとも似て非なるものだけれど、懐かしい感じがする滋味豊かなスープに涙がでそうになる。海だ!海の味だよ!懐かしい!
「あら、お嬢さん分かるんだねぇ!ウチは爺さんの代から八十年ここで商売しててね、スープは毎朝五時間かけて仕込むんだよ」
「そーいうおかみさんも、その道四十年のベテランだもんなぁ」
「なるほど、間違いのないお味ですね!最高です!」
はふはふしながら麺を夢中でいただいていると、隣の席のライアスが、ぽつりとひとりごちた。
「俺は……『海猫亭』の味を忘れるほど……余裕がなかったんだな……」
「ライアス?」
「いや、竜騎士団の団長を拝命して一年……『海猫亭』のことを思いだしもしなかった……こんなに旨いのに忘れてしまうとはな」
「それだけ一生懸命だったんじゃないの?」
「一生懸命か……だがそれだけじゃダメなんだ……周りも見渡す余裕がないと」
「でもライアスはたくさんの人に支えられているじゃない、こうして応援してくれる人も居れば、竜騎士団の皆だって助けてくれる……ライアスが一生懸命やってるから、困った時は必ず助けになる人が現れるんだよ」
だから大丈夫……そう言うと、ライアスは目をみはり、それからくしゃりと笑った。
「そうか……一生懸命だからこそ、助けが必ずある……そうだな、俺は支えられているからこそ、『団長』をやっていられる……ありがとうネリィ……君のおかげで初心を思いだせたよ」
いえいえ、こちらこそこんな美味しい店に連れて来てもらって、ライアスにマジ感謝だよ!
『海猫亭』の様子を窺う『一号』の所に『エンツ』が来た。
「『二号』だ。屋敷から『三号』が到着したので、交代してそちらに向かう」
「『一号』了解。裏通り『海猫亭』を張っている」
『エンツ』を返すとほどなくして、『二号』が現れた。名前でなく番号で呼び合うのは、身を明かしたくないためだ。国軍兵士の徽章も外している。『二号』はため息交じりに店の看板を見上げた。
「『海猫亭』か……イイな……『ムンチョのから揚げ』が旨いんだ」
「こんな仕事じゃなかったら、中で一杯やりたい所だがな……お嬢様はなんだって?」
「……『好きにしていい』と言われた。女にゴールディホーン騎士団長の前から姿を消してほしいらしい」
「はぁ?俺ら国軍の兵士だぜ?ならず者と勘違いしてんじゃねぇの?」
『一号』も『二号』も国防大臣がライザ嬢につけた護衛であり、国軍兵士の精鋭達だ。捕縛や尋問のやり方は知っている。だが、この仕事は明らかに『護衛』の業務を逸脱している。
『好きにしていい』と明言は避けているが、『拉致』や『脅迫』を行え、と言われているようなものだ。お嬢様も随分と無茶を言う。
精鋭と言えど、鬼神のような強さを誇る竜騎士団長に、真っ向から向かえるほどの技量はない。かといって、お嬢様の機嫌を損ねれば、ある事ない事告げ口されて左遷……下手すれば首が飛ぶ。
「どうすっかな……」
二つの影は『海猫亭』を眺めながら、思案に暮れた。
ずーっと陸の物を食べていたので、海の物は久しぶりのネリアでした。












