439.居住区にて
軟禁状態の孤独な暮らしが、ヒルシュタッフの精神に負担をかけていると判断し、レオポルドたちは王城のララロア医師に連絡してから竜騎士団に戻った。
「生きものが飼えるよう申請してみよう。六年前の事件か……前宰相が口にした件、レオポルドは知っていたか?」
「いや……当時は私もまだ見習いだったから。私かグレンに接触するのは、皇太子でも難しかったろう」
「皇太子と親しかったユーティリスに話を聞くしかないか」
ヌーメリアが書いた報告書や、毒物の分析結果については閲覧可能だが、当時は、〝赤の儀式〟に参加した皇太子を見かけたぐらいで、とくに言葉を交わした記憶もない。
「……彼女を巻きこむことになるな」
レオポルドが漏らしたつぶやきを拾い、ライアスが彼をふり向いた。
「彼女をサルジアに行かせるよう、進言した俺を恨むか?」
「行くと言いだしたのは彼女だ。それを止める手立てはない」
彼女が王都にやってきた時点で、いやもっと前から、もうとっくに巻きこんでいるのだ。
「陛下に報告したら、いったん研究棟に戻る。準備をしたらすぐ出発する」
レオポルドが報告を終えて居住区に戻れば、水色の髪と瞳のオートマタがすぐに姿を見せた。
「おかえりなさい、レオ」
「ソラ……彼女は無事か?」
問いかけにソラはこてりと首をかしげ、ギュッと拳をにぎり右腕をあげて曲げてみせる。
「こうして私は動けますし、契約が切れていないのですからご無事です」
ネリアがいつもやるしぐさを真似て、ソラはどうやら力こぶを作っているらしい。オートマタがやっても筋肉は盛りあがらないが、そのしぐさがレオポルドのほほを緩ませた。
居住区のリビングで、ソファーに足を投げだしてすわり、レオポルドはぼんやりと天井をみあげた。
(サルジアの皇太子は本当にグレンや私に接触しようとしたのか、調書では触れられていなかった……)
もし事実ならば皇太子にとっても命がけで、まわりには知られないよう細心の注意を払っただろう。
「ソラ、知りたいことがある」
「何でしょうか」
呼びかければソラがすっと近寄ってきて、レオポルドの顔を上からのぞきこんだ。
「研究棟に〝カラス〟が出入りするようになったのはいつからだ?」
「カラスですか、気づいたときにはおりました」
「気づいたときとは?」
レオポルドはまばたきをする以外、無表情なソラを見あげた。
「気づいたときです。コランテトラの木にはいろんな鳥がきます。実がなる時期は朝から騒がしく、梢に巣を作られそうになったことも一度や二度ではありません」
「…………」
どうやら聞きかたをまちがえたようだ。さらりとした銀の髪をかきあげて、レオポルドは質問を言い直した。
「オドゥ・イグネルが連れている使い魔の〝カラス〟は、いつから研究棟に出入りしている」
ソラはがまばたきをすると、澄んだ水色の瞳がまつ毛に一瞬だけ隠れる。
「ルルゥはオドゥが連れてきました。よくオヤツをあげて研究棟の窓から飛ばしています。けれど以前は『ルルゥ』という名ではありませんでした」
レオポルドはさらに何年前かとたずねようとして、建国と同じくらいの歳月を生きている木精には、十年や二十年などたいした差ではないことに気づく。
「以前とは……グレンが研究棟に来たばかりのころか?」
「いいえ、グレンが研究棟にくるよりもずっと、ずっと前です」
その答えにレオポルドは目をみひらいて、勢いよくソファーから身を起こした。カラスの寿命は種類にもよるが十年、長くても二十年ぐらいだ。使い魔は魔力を与えることで、その能力を開花させるがいくら何でも長すぎる。
もしも〝カラス〟が、はるか以前から王都の空を飛んでいたとしたら。レオポルドは心に浮かんだ疑問を口にした。父から子へ引き継がれた使い魔、それがオドゥの父からオドゥへの、一代限りでないとしたら。
「あれはふつうのカラスではないのか?」
「あれは『ルルゥ』です。いまの私が『ソラ』なのと同様に」
「どういうことだ?」
使い魔にする動物は、魔力持ちの魔力への親和性が高いものが選ばれる。
親和性が高いとはつまり、より精霊に近しい個体だということだ。主が名をつけることで、その性質が変化するのは〝精霊契約〟に似ている。
ソラは中庭のコランテトラから、生まれた木精を魂として封じている。ネリアと契約したときに、髪と瞳の色が変化した今の〝ソラ〟は以前よりもずっと家庭的だ。
ナイフさばきなどオートマタとしての機能は変わらないが、ネリアの求めに応じてほほえむし、お菓子作りまでするようになった。
「ルルゥも変化している、ということか。あれも精霊なのか?」
「ちがいますが、それに近いです。精霊はもともと実体を持ちません。われわれが実体を持てば、精霊としての記憶は失われていきます。それほどに体を持つことがもたらす、情報量は多いのです」
オドゥの肩に止まったり、ネリアの手からクッキーを食べたり、ルルゥには実体がある。
「精霊とて体を持てば重力につかまり、風が吹けば暑さ寒さを感じます。食事を摂らねば体を維持できず、飢えやノドの渇きを覚えます。それらは精霊の身には必要なかった情報ですが、それらが記憶を上書きしていくのです」
「オドゥの『ルルゥ』が精霊だったとしても、その記憶は失われているということか」
ソラはこくりとうなずいて、窓から中庭のコランテトラを見た。
「そうなります。私にも木精としての記憶は芯にありますが、グレンやレオがいた日常、ネリア様のお世話をした時間が、また新たに〝ソラ〟としての私を作っていきます」
実体を持たない精霊はいつのまにか生まれ、また消えていく。もしも精霊が体を手にいれたならば、それは有限の命を持つ者ではないけれど、とてもヒトに近しい存在として。
「グレン様から与えられたのは人形の体ですから、私は食事も必要とせず感覚もありません。記憶を失う速度はルルゥより遅いですが、いずれはただのオートマタと変わらなくなります。精霊はそうして世界に溶けていくのです」
ひんやりとした居住区で、ソラはささやくようにつぶやいた。目の前にいるオートマタをしばらく眺め、レオポルドは自分の右手を持ちあげる。光のかげんで色を変える黄昏色の瞳が、真剣な光を帯びた。
「精霊の記憶は失われても、お前に魔道具としての記憶はあるはずだ。師団長室を守ってきたオートマタとして」
やがてレオポルドは決意したように、その指で複雑な形をした魔法陣を、立体的にソラのまわりに構築していった。
「〝レブラの秘術〟は術者を消耗させます。時の迷路に迷いこんだらレオとて無事では……」
「それほど昔ではない。グレンの死の真相、師団長室が閉じられたいきさつについて知りたい」
ソラの忠告にも耳を貸さず、レオポルドは魔法陣を操る手を止めなかった。とくに〝精霊契約〟は大量の魔素が動く。魔道具に魔素が流れた瞬間を追うのは、そんなに難しいことではない。
やがて複雑に編まれた魔法陣が光を放ち、レオポルドの意識はソラの中へ吸いこまれていった。









