438.前宰相を来訪した者
『魔術師の杖』シリーズ
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かつては〝国王の懐刀〟として、王城の文官たちを震えあがらせたヒルシュタッフ前宰相は、来客の知らせに顔をあげた。
数ヵ月前までは、その仕事を支える大勢のスタッフに囲まれていた。今は彼を訪問する者すらおらず、ひさしぶりの来客に会うためヒルシュタッフは、鏡で自分の姿を確かめる。
髪には白髪が増え、紅の瞳はどんよりとして精彩に欠く。それでも精一杯の威厳を保って、彼は応接室に向かった。
「アルバーン魔術師団長にゴールディホーン竜騎士団長か。今さら私に何用かね」
「おひさしぶりです、ヒルシュタッフ前宰相」
「突然の訪問をお許しいただきたい」
国王自らがここに来ることはないだろう……それを理解していてもなぜか、ヒルシュタッフは落胆した。
『陛下、じゃ堅苦しいな。公務の時以外はアーネストと呼んでくれ。子ども同士もおなじ年だろう、父親の気持ちを相談できる相手がほしかったんだ』
――照れたように笑うあの男にほだされた。
心によぎった考えをふりはらい、蒼玉の瞳を持つ竜騎士団長を眺めた。夏に言葉を交わしたときは好青年としか感じなかったが、しっかりとした大人の男らしい顔つきに変わっていた。
王太子となるはずの少年は聡明だが、身体的な弱点を抱えていた。魔術師団長となったレオポルド・アルバーンは、錬金術師団長であるグレン・ディアレスと、血をわけた親子でありながら折りあいが悪かった。
ふたりが協力しあえばアルバーン公爵家の威光は、王家をしのぐほど増しただろうに現実はそうならなかった。ヒルシュタッフがはじめて危機感を覚えたのは、竜騎士団長が代替わりしたときだ。
――新王のための布陣。
頼りない王太子でも、それを支える師団長たちがいれば、その治世は安泰となる。宰相が使える力など限られていた。彼ははじめて焦った。
『どこか地方の貴族でいいから、怪しまれることなく王城に出入りできる、正式な身分を手にいれたい』
存続が危ぶまれる領主家など、探せばいくらでもある。リコリスの名を挙げたとき、男の目が妖しく光った。
『ヌーメリア・リコリス……あの有名な〝灰色の魔女〟ですか?』
歴史ある一族のリコリス家は、古く王城の庭で薬草園を任されていた薬師の家系で、薬草栽培に適した土地を与えられていた。
『名前だけだ。本人は研究棟の地下にひきこもったままだという。名ばかりの契約婚でも後ろ盾になってやるといえば、素直にうなずくのではないか』
新しくやってきた錬金術師団長はぽけっとした感じの小娘だった。マグナスが笑ったとき、背筋がぞくりとしたのを覚えている。
『故郷なら呼び寄せられるでしょう。グワバンに近いのもありがたい。あそこには私の商会がありますからね』
ところがマグナスが王都を離れたスキに、思わぬ形で第一王子が牙をむいた。マグナスの助けを借りて塗りつぶした、不正の証拠を暴いたのだ。
ヒルシュタッフが失脚すれば、娘のアイリにも影響がおよぶ。なりふりかまっていられなかった。
――夢から醒めたような気分で、ヒルシュタッフは目の前に並ぶ、綺羅綺羅しい師団長たちをあらためて眺めた。
「私が知っていることは、あらかた話したはずだが」
「あなたに聞きたいことがある。わが父グレン・ディアレスのことだ」
「あなたのお父上についてだと?」
ヒルシュタッフが軽く驚くと、銀の魔術師は淡々と問うてきた。
「グレンという人物について、あなたの見解を聞かせてもらいたい」
「……さて。グレン老と私に接点はない」
ヒルシュタッフが首をかしげると、こんどは竜騎士団長が口をひらく。
「第一王子を狙うために、サルジアの者たちは危険を冒して研究棟への侵入を試みた。王城でもチャンスはあったはずだ。ほかに彼らの興味を引くものが、あの研究棟にあったのではないか?」
魔術師団長が自分の父親についてたずねる。腹芸は苦手だった竜騎士団長が、内面を探るような質問をする。
(奇妙だな……このようなことで時の経過を感じるとは。とはいえ、まだ単刀直入すぎる)
ヒルシュタッフは老獪な政治家の顔を取り戻し、紅の瞳でまっすぐにライアスを見た。
「だれでもグレンには関心を持つだろう。魔導列車や転移門を開発した彼の名声は知れ渡っている」
「サルジアは、いやマグナスはグレンに関心があったのか?」
「私の記憶を探るかね?」
ヒルシュタッフも素直に答えるつもりはなく、ライアスはぐっと言葉につまる。かわりにレオポルドが口を開いた。
「脳に損傷を与えるつもりはない。アイリ嬢すら認識できなくなる可能性もある」
「甘いことだな」
あざ笑うように吐き捨てたものの、口を閉ざす必要もない。たいした記憶でもなかった。
はじめて足を踏みいれた研究棟は、壁や柱に古びた建物の風格を感じさせた。
通された師団長室も落ちついた雰囲気で、壁は天井まで届く本棚となっており、グレンの机や椅子のほかに、会議でもできそうな大きなテーブルが置かれていた。白い無機質な仮面をつけた男は、やってきた国王に首をかしげた。
『何の用だ』
声の鋭さにビクリとしたヒルシュタッフの横で、アーネストが緊張したようすで答えた。
『即位式に出席してくれた礼と、宰相を務めるヒルシュタッフを紹介しにきた。グワバンで地方長官をしていた実務派だ』
『ヒルシュタッフと申します。王都で働くのは魔術学園を卒業して以来です』
『そうか』
仮面の男はうなずき、それきり師団長室に沈黙が流れた。それだけだった。
(そういえば目の前にいる青年は、レイメリアという女性と、グレンとのあいだに生まれたのだったか)
ふと思いだしてヒルシュタッフは口をひらいた。
「サルジアは死んだグレンよりも、彼が抱える者たちに関心を寄せていた。マグナスはヌーメリア・リコリスをほしがり、〝カラス〟という人物のことも話していた。ネリア・ネリスの情報も要求された」
「カラス?」
静かな部屋に落ちたつぶやきは、レオポルドのものだった。端正な顔立ちの青年からは、こうしていても強い魔力の波動を感じる。
「グレンのかわりに素材を調達する子飼いの者がいて、カラスの使い魔を持つことから、そう呼ばれると聞いた。グレンが死に、マグナスはその者がどうしているか気にしていた」
マグナスから聞いたときは半信半疑だったが、ふだんから無表情なレオポルドはともかく、ライアスまで顔色ひとつ変えない。たかが宰相では知ることのできない、何かが研究棟にはある。
(〝カラス〟は本当にいるのだ。それをあの王子が……)
「第一王子にしてやられた。マグナスは勝利を確信していた。お前たちは後手にまわり、術は完成するところだった。それを命がけで防いだのはわが娘だ!」
吐き捨てるようにヒルシュタッフは続ける。ここ数ヵ月の鬱屈した感情が噴きだした。痛みを感じるほど強く拳を握りしめれば、爪が手のひらに食いこんだ。
いつもヒルシュタッフを頼っては、めんどうなことを丸投げしてきた国王の信頼には、しっかりと応えてきたつもりだ。
聡明と評されるあの王子が、宰相を警戒しだしたのはいつからか。
「そうか〝カラス〟……マグナスでさえその力を認めていた、そやつが第一王子に力を貸したのだな」
「王太子は間違ったことはしていない。道を誤ったのはあなたのほうだ」
銀の魔術師が淡々と告げれば、金の竜騎士もうなずく。
ヒルシュタッフはふと、精霊の化身とも評される、涼やかで整った顔を歪ませたくなった。
「これ以上知りたければ、第一王子に聞け。グレンのことは〝カラス〟が知っている」
最後にヒルシュタッフは精一杯の毒をこめて、銀の魔術師に言葉の矢を放った。
「シャングリラ魔術学園に留学してきたサルジアの皇太子は、グレンに……そしてそなたへの接触を試みた。だからあの皇太子は死んだ!」
彼の期待どおり、黄昏色の瞳が驚きに見開かれた。
レオポルドとリーエンがすれ違う様子は、シリーズの『きみを渡さなければよかった』か、短編集①でお読みになれます。












