435.アイリ、ユーリを捕まえる
ジャラジャラと鎖の音をさせ、リーダーとおぼしき男がペッと唾を吐いた。
「逃がすわけねぇだろうがよ」
「お前はとっとと消えちまえ、ただし素材は置いていけ」
アイリの背後からはぁ、とため息が聞こえる。
「ややこしいことになったなぁ」
「ユーリ、何人まかせられますか?」
男たちをにらんだままでアイリが問えば、あきれたような声で返事があった。
「何人てきみ……お嬢様なのに、こんなことに首つっこむわけ?」
さっと目を走らせユーリを襲った男たちを観察しながら、アイリはつっけんどんに答える。
「もうお嬢様ではありません。それに王子様にいわれたくないわ。その言葉、そっくりそのままお返しします」
通路に倒れているのはふたり、アイリが股間を蹴りあげた相手とユーリが手刀をたたきこんで沈めた指サックの男だ。
アイリが回し蹴りをくらわせた男は何とか立ちあがり、首を押さえて目をギラつかせている。そのほかにリーダーとおぼしき鎖を手に持つ男、そして無精ひげを生やした男の五人。
(武器を持っているかもしれない、もしもそれが魔道具ならやっかいね……)
首を押さえた男は殺気をみなぎらせてアイリをにらんでいるし、リーダーがジャラジャラと鳴らす鎖も気になる。
「右はまかせます!」
「あ、ちょっと!」
いうなりユーリがとめるよりも早く、アイリは鎖をジャラジャラさせていたリーダーにむかって動いた。逃げることは考えなかった。すぐそばには自分が必死で助けた命がある。
あのときはすべてを失っても、彼を助けられるならそれでいいと思った。それにあのときは、動けないことが悔しくてしかたなかった。
『迷うな。相手を殺すつもりでやれ。でなければ死ぬのは自分だ。一瞬の迷いが命取りになる』
(殺すつもりで……いまならば自由に動ける!)
恐怖よりもその想いのほうが勝った。アイリが描いた防壁の魔法陣に、うすら笑いを浮かべていたリーダーが真顔になる。
「魔力持ちか……」
男が手にした鎖の先端から炎があふれだし、無精ヒゲがあわててさけぶ。
「おい、ヤケドさせたら商品にならないぞ!」
「へっ、治癒魔法があるだろうが。金はかかるがまずはしつけを……ぎゃあああ!」
絶叫はユーリがすばやく展開した遮音障壁にのみこまれた。アイリが得意な風魔法を発動させ、鎖の炎を勢いよく燃えあがらせたのだ。鎖から逆流した炎に包まれて火だるまになったリーダーがゴロゴロと転がる。
自分に力がないとわかっているアイリは、うまく手加減ができない。だからこそ攻撃は容赦なかった。血相を変えた男たちの耳に彼女の凛とした声がひびく。
「違法に改造した魔道具をお使いのご様子。どうやらしつけが必要なのは、あなたたちのようですね」
「このっ!」
「ふざけやがって!」
転がる男の手には、焦げた鎖が貼りついている。それを中心に魔法陣を展開し、アイリは電撃を呼ぼうとした。
「雷ではなく風を喚んで」
肩に手が置かれてささやかれた言葉に従い、アイリはあわてて術式の一部を書きかえる。魔法陣が発動すると同時に、竜巻が巻き起こり、場に展開した転送魔法陣から大量の水が降ってくる。
「うわっぷ!」
「しょっぺぇ!」
「ひいいぃ!」
潮の香りからアイリは、喚ばれたのが海水だと知る。傷口にはただの海水さえ刺激になる。男たちから悲鳴があがり、次の瞬間には彼女の視界から彼らの姿が消えた。
周囲の景色が変化したことで、逃したのではなく自分たちが転移したとわかった。動悸と震えがあとからやってきて、アイリは胸を押さえてぶるりと身を震わせた。こげ茶の髪をした青年が彼女をふりかえる。
「ありがとうっていうべきかな。そういえばきみ、魔術師志望だったね。風魔法が得意だし竜騎士にだってなれたかもね。じゅうぶん実戦で戦えそうだ」
「……魔術師団長は厳しいかたとうかがってましたから。護身術の先生は元竜騎士でしたし」
自分にサッと浄化の魔法をかけ、アイリはキッと青年をにらみつける。
「それより逃げようと思えば転移できた。あなたはわざと襲われましたね」
言い逃れは許さない。そんな気迫で問いつめれば、青年は軽く肩をすくめた。
すっかり背が高くなった今の彼は、職業体験のときよりずっと大人っぽい印象なのに、表情だけはイタズラを見つかった子どもみたいだ。
「ずっと疑問に思っていました。あの日あなたはわざと研究棟で襲われたのでは?」
あの日呪いの色で染めた糸で刺繍したハンカチを、彼に渡したのはアイリだ。事件が起こるまえに時が戻せたらと何度も願った。
『きみにずっと謝りたかった』
けれど秋祭りの晩に七番街の工房で彼がささやいた言葉……呪いに手を貸したのはアイリなのに、家門を離れることが条件だったとはいえ、いまの自分が置かれている立場は恵まれすぎている。
「父にも後ろ暗いところはあったけれど、あなただって襲撃を防ごうと思えばできたはずです。なぜ自分の身を危険にさらしてまで……」
つめ寄るアイリを、厳しい顔をしたユーリが両手を挙げてとめた。
「そこまでにしてくれ。あれはわざとじゃないし、きみを巻きこむつもりはなかった。これ以上首を突っこんでほしくない。きみはキレイな布に囲まれて刺繍を刺せる、穏やかな暮らしを手にいれたはずだろう」
強い口調でいわれ、アイリはあっとなった。刺繍をさせる穏やかな暮らしは、失ったすべてと引き換えに、彼が彼女のためにわざわざ用意したもの。青ざめてギュッと唇をかみしめれば、ユーリは首を振って帽子をかぶりなおす。
「僕のためにきみが危ないことをする必要はない。お使いがあるからもう行くよ。うまい昼飯を買わないと」
アイリはハッとして次の瞬間には、自分の腕をするりとユーリの腕に絡ませた。
「何……」
「それならすこし戻ったところに、ダルシュのおいしい屋台があります。そこで買ったらどうかしら。ミーナも待たせていますし、送ってくださるでしょう?」
ここで会ったからには絶対に、アイリは彼を逃がすつもりはなかった。
「あらアイリ、帰ってこないから心配したわ。もう少しでエンツを送るとこよ。そちらのかたは?」
屋台の近くでベンチに座っていたミーナは、のんびりと言ってアイリの連れを見る。だれかはわかっているだろうに、何も言わない彼女にユーリも苦笑いを浮かべる。
「こんにちはミーナ、これでもがんばったんですけど、あっさり見破られちゃいました」
彼の格好は港で働く男たちとあまり変わらない。厚手のチェック地のシャツに深緑のセーター、じょうぶで保温性の高いズボンを身につけ、くたびれてすり切れた茶色のコートに、小さなつばつきの帽子をかぶっている。
「あら服だって似合ってるし、街にもよく溶けこんでるわ。靴は新品みたいだけど」
しっかりとした厚底のブーツは、濡れた場所でも滑らないよう、靴裏に深い溝が刻んである。水も入りにくく港や船の甲板で作業するのに向いている。
「靴はサイズがあるから中古は難しくって。既製服は肩が凝るけど、中古なぶん生地がこなれていて着やすいです」
王子様らしい感想に、ミーナは笑って提案した。
「体に合わせて仕立て直しましょうか、ぐっと動きやすくなるわよ」
「ホントですか、それは助かります。あ、でも貸してくれた本人に断らないと」
「なら今からいきましょう。せっかくここで再会したんですもの、私たちを招待してくださいな」
ユーリの腕に手をかけたままでアイリが口をはさむ。いつになく強引な彼女にミーナは眉をあげ、けれど何も聞かずに立ちあがった。
「そんな格好をしてるってことは訳アリよね。いいわ、いっしょにいくわ。ウチにとってはだいじなスポンサーだもの」
『ダイエットと王城探検』に『服がない!』を追加しました。
でっかくなったばかりのころ、服がなくて困ったユーリの話です。
 









