425.竜騎士たちの夜
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少し離れた場所で銀髪の青年を見守っていたダグが、ホッとしたように息を吐いてライアスに話しかけた。
「何だレオ坊のヤツ、ちゃんとしゃべれているようだ。よかったな」
「そうみたいだな」
遮音障壁の向こうだから、話の内容は聞こえない。けれど受け答えのようすを見るかぎり、会話は弾んでいるようだ。クマル酒をグビリと飲んで、ダグはライアスに瓶を渡した。
「どうした親友の恋がうまくいったわりには、冴えねぇツラしてるな」
「俺にとっちゃ失恋だったからな」
ぶすりと答えてライアスがクマル酒をあおると、ダグはくくっと肩を揺らして笑う。
「そうだろうと思った。竜騎士たちの夜なんて、フラれた反省会と座談会だ。同じ相手に恋したか」
「そういうことになるな」
穏やかな表情でエンツを続けるレオポルドを、ダグはザラリとしたあごをなでて満足げに見守る。いつも無口な男がひと言ふた言、ささやいては相手の反応をうかがって、おかしそうに肩を揺らして笑う。
「レオ坊にあんな顔をさせるぐらいだ。いい子なんだろうさ」
「まぁな。あんなふうに幸せをかみしめている顔を見たら、俺にはもう何も言えない」
空を見つめる黄昏色の瞳はきらめいて、そのむこうにはきっと彼女の笑顔がある。ライアスは酒臭い息を吐きだした。
未練などない。ただ酒精がノドを灼いて胃の腑にずんと沈んでいく。ダグがニヤリと人の悪い笑みを浮かべた。
「気になる女はたいてい、他の男に惚れちまう。これは俺の遺伝だからしょうがない」
「親父の遺伝だって⁉」
ぎょっとしたライアスに、ダグはたくましい胸を張って自慢した。
「家を空けることが多い竜騎士は、待つことができる女じゃないとうまくいかない。毎回フラれて何がいけなかったか、反省したなぁ。マグダには捨てられないよう必死だった。努力の甲斐あって、いつのまにか二人の子持ちだ」
「……母さんも?」
「ライバルは多かったな」
レオポルドは婚約者とエンツをしているのに、ライアスは父親から自慢話を聞かされる……不公平感に目が据わりながら、ライアスは母から聞いた話をボソリと口にする。
「ネリモラの花飾りを贈ったと聞いた」
「あれか、季節外れの花を探すのは大変だったぞ」
「自分で探したのか?」
青い目を見開いたライアスに、ダグは照れくさそうにくしゃりと笑って、ほほについた三筋の傷をなでた。
「ああ。丸一日、訓練をおっぽりだして、丘を駆けずりまわった」
シャングリラ近郊には初夏にネリモラが咲き乱れる丘がある。花飾りにするにはいくつもの花が必要で、ダグはひと月ずれた盛夏に、汗だくになって五弁の白い花を探した。
「日当たりの悪い岩のかげに隠れるように咲く花を、見つけたときは叫んだなぁ」
「俺もそのぐらいしていれば……」
「一介の竜騎士だから許されたんだ。団長がやるわけにはいかんだろうよ」
しょげるライアスの背中を、ダグはバシンと叩く。けっこうきつい一撃だった。
「なぁライアス、もしもの未来は無数にあるが、選べるのはひとつだけだ」
「わかってるよ」
もしもあのとき……と思う瞬間はたしかにあった。けれど時を戻しても、自分がとる行動はきっと同じだ。むしろもっと早く、ふたりの気持ちに気づけていたら……。
物思いに沈んだ彼の横で、ダグは薄い雲をまとっておぼろげな、ふたつの月を見あげる。冴え冴えとした空気の中で、澄んだ光は優しく心を洗うようだ。
「あの時ああしていればなんて後悔は無数にある。だがなライアス、何があろうと誰かを愛することをあきらめるな。人は慈しむべきものだと、竜騎士たちにはドラゴンに教える役割がある」
「ドラゴンに教える役割?」
「そうだ。竜騎士が人を憎めば、ドラゴンも人を憎み、嫌悪する」
ライアスに問いかけられたダグの青い瞳に、赤々と燃える焚火の炎が映りこんだ。
「ドラゴンからすれば地上でうごめく人間など、ちっぽけな虫と同じだ。ドラゴンの目で地上を見おろし、一体となって空を駆ける興奮は何ものにも代えがたいが、ときどき人間に戻りたくなる」
ダグは左ほおについた傷をなでて、ザラリとした感触に目を閉じる。魔獣の喉笛にくらいつき、その肉を切り裂いてはらわたをひきずりだす……そのときの興奮すらも、竜騎士は自分のものとして体感する。
ドラゴンの感覚が流れこむと、おのれにも硬い鱗に覆われた強靭な肉体と、魔獣の肉を切り裂く鋭いかぎ爪があるような気になる。ダグは人としての感覚をたしかめるように、節くれだった無骨な指先を見つめた。
「今でもその感覚がまざまざとよみがえる。そんなとき自分の指には赤子のほほをつつけるぐらい、やわらかい爪が生えていると確認したくなる。竜騎士にとって家族とはそのためにいる」
ダグにとっての家族はマグダであり、ふたりのあいだに生まれたオーランドやライアスだ。
手を伸ばして小さな体を抱きあげ、柔らかいほほを指でつつく。竜騎士たちはその感覚を、スキルを用いてドラゴンたちに伝えていく。
「我らがどれほど人間を慈しんでいるか、その暮らしを大切に守りたいと思っているか、竜騎士たちは感覚共有により、身をもってドラゴンたちに教えるのだ」
「そんなふうに考えたことはなかった……」
ライアスのつぶやきに、ダグはいかつい顔をゆがめてくしゃりと笑った。
「俺がいつもドラゴンの背で何を考えていたと思う。ただマグダに会いたい、そのやわらかい体を抱きしめたい、お前たちの笑い声を聞き、その寝顔を見ていたい……そんなことばかりだ」
いつも堂々とした父の背中はライアスにとっても憧れで、越えなければならない壁だと感じたこともある。竜王戦を制して竜騎士団長となってからも、自分より弱い姿は想像できない。
「俺にはまだミストレイを乗りこなすのに精一杯で、そんな余裕すらない」
「お前たちの顔を見るために、生きて帰るために戦う……頭の中はそればっかりだった。だから今お前に必要なのは帰る場所だ。俺にとってのマグダやお前たちのような。だがこればかりは縁がないとどうにもならないな」
どこまでも甘えてすがりつける、竜騎士の鎧を脱ぎ捨て、弱くて情けない自分をさらけだせる場所としての家族。
「おのれの職務をまっとうしようとすればするほど、自分を人に戻してくれる場所を、心は飢えて渇望するようになる」
「人に戻してくれる場所……」
ダグの言葉がライアスの心にずんと響く。これは真剣な話なのだ。
「俺はそういう相手が、レオ坊にも見つかってよかったと思う」
「ああ、俺もそう思う」
家にいる父を怖いと思ったことはない。いつも穏やかで時にはマグダに叱られていた。竜騎士団に入ってから、父が竜騎士たちから『鬼のダグ』と呼ばれ、恐れられていたことを知り驚いたものだ。
「竜騎士が人を憎めば、ドラゴンたちも人間を憎むようになる。肝に命じておけ」
「わかった」
ドラゴンと共存して生きるために、人間を慈しむ心を竜騎士たちが教えていく。独身の竜騎士だって多いが、たとえその恋がうまくいかなくとも、相手を逆恨みするようなことは恥とされる。
「次は逃がさないよう必死でやれ。うまくいって笑うヤツは少数派で、出会いの早さも関係ない。慎重にアプローチしていると、後からきたヤツにかっさらわれるぞ。何せ俺の遺伝だからな」
涼しい顔でそう言うと、ダグはクマル酒の小瓶を傾けた。ちょうどそのときエンツを切って、遮音障壁を解除したレオポルドとライアスの目が合う。会話が漏れないかわりに、こちらの話も聞こえていなかったろう。
銀の髪をかきあげてため息をつき、複雑そうに苦笑するレオポルドを見て、ライアスは首をかしげた。













