424.きみの声が聞きたかった
ダグとライアスに背中を押されるレオポルド。
ライアスは父のほほに残る傷に目を走らせる。
「それは……だが消そうと思えば消せるのだろう?」
「まぁな。風魔法は使えたし、ドラゴンの世話は好きだった。けど後方支援で終わると思ってた」
竜騎士団にもドラゴンに乗らず、地上勤務で働く者たちはいる。竜舎や訓練場の管理や、資材と飼料の手配……ドラゴンが暴れたら駆りだされるから、訓練を受けているが大空を駆けることはない。
「だがドラゴンの目で一度でも世界を見たら、元には戻れん。クレマチスの背に乗ったとたん、すべてがどうでもよくなった。この素晴らしい景色を見られるなら、俺は死ぬまでドラゴンに乗りたい……そんなふうに思ったよ」
ダグの言葉にライアスがうなずいた。
「それは俺もわかるな」
「マグダは息子を竜騎士にはしたくなかったと思う。苦労をかけたからな。だからオーランドが文官になって、正直ホッとした。あいつには言えんが」
「母さんはそんなことひと言も……」
ダグの感覚からすると、子どもたちが会うたびにでっかくなる。
「竜騎士はドラゴンの背に乗れば、自由にどこへでも飛んで行っちまう。けれどそのあいだ地上の家族は、俺抜きで生活するんだ。ライアス、お前がまさか団長になるとはなぁ……」
ライアスは子ども時代を思いだすように首をかしげた。特別に強かったわけではない、ただ毎日オーランドといっしょに鍛錬しただけだ。そのころは兄が竜騎士になるのだと思っていた。
「俺もまさか、と思っていた。竜騎士団長にまでなれたのは、兄さんのおかけだ」
「ちがいない」
「…………」
ダグはクマル酒をぐいっとあおると、黙々と食べているレオポルドにビンを差しだした。
「どうしたレオ坊、彼女のことでも考えていたのか?」
どうやら図星だったらしく、銀髪の青年は動きがピタリと止まる。ダグはおかしそうに口の端を持ちあげた。
「ゆっくりその話も聞かせてもらいたいものだな」
ピアスひとつ準備するのも、レオポルドにとっては大変だった。自覚があるのかないのか、別れ際の彼女はいつもと同じ調子で、だから口づけをひとつ落とした。みるみる彼女は赤くなったが、あれは怒りのせいかもしれない。
「……でがけに怒らせたかもしれない」
ぼそりとつぶやかれた言葉に、ダグは青い目を丸くした。
「女の怒りを放っておくと、あとが怖いぞ。俺たちに遠慮せずエンツを送れ」
そう言われて銀の魔術師は、パチパチとまばたきをした。長いまつ毛が上下に動き、精霊のような美貌の主は、とまどうように首をかしげる。
「今ですか?」
ダグと顔を見合わせたライアスは、厳しい顔をしてレオポルドに忠告する。
「レオポルド、俺が言うことではないが、今すぐ彼女にエンツを送れ」
「だが……何を話せばいいのか」
顔を合わせているならともかく、エンツでは会話が続かない自信がある。レオポルドは困ったように口ごもった。
それだけだと精霊が憂いを帯びた眼差しで、焚火の炎を見つめているように見えるが、月の光を浴びた神々しい姿は、彼女にエンツも送れないヘタレである。じれったくなったライアスはグシャグシャと金髪をかき乱した。
「そんなの、『きみの声が聞きたかった』とでも言っとけ」
「ここで?」
なおもとまどうレオポルドの肩にダグがポンと手を置き、三筋の太い傷がザックリと残る、すごみのある形相でグイッと迫った。見開かれた黄昏色の目は、真正面からみると宝石のようだ。ダグは野太い声で一喝する。
「遮音障壁をさっさと展開しろ。エンツを送れ、今すぐだ!」
その剣幕に押されるようにして、グッと息をのんだレオポルドはため息をひとつつくと、受けとったクマル酒に口をつけた。ノドを通った酒精が、胃の腑を焼くように流れ落ち、じわりとそこに熱が集まっていく。
黄昏色をした瞳がふしぎな輝きを帯び、次の一瞬でまたたくまに遮音障壁が構築された。彼が祈るような気持ちで唱えたエンツはすぐにつながったけれど、何を話せばいいのかわからず、だいぶためらってから呼びかける。
「……マイレディ」
「ふひゃあ!」
(……ふひゃあ?)
ドタッ、ガタン、ゴトゴト……と音がして、痛そうにうめく彼女の声が聞こえる。
「くうぅ、何でもない……」
「ベッドから転げ落ちたのか?」
「何でわかるの⁉」
(……わかりやすすぎる)
レオポルドはこめかみを押さえて息を吐いた。目を丸くしている彼女の顔が頭に浮かぶ。それと同時にエンツを送るまでの、緊張が解けていくのを感じる。雪雲のない空には、おぼろげな月がふたつ浮かんでいた。
「そんなに驚くようなことか?」
ついクックッと肩を揺らしてたずねれば、その気配は向こうにも伝わったようで、すねたような声が返ってくる。
「や、だってレオポルドがエンツくれるなんて、めったにないし。その……何か用事だった?」
「きみの声が聞きたかった」
何を話したらいいかわからないから、とりあえずライアスに教わった通りに言ってみる。
とたんにドゴッ、ボスン、ボフボフ……と謎な音がして、レオポルドは秀麗な眉をひそめて考えた。
(これはいったい何の音だ?)
動揺したネリアがドゴッと頭をベッドにぶつけ、真っ赤になった顔をボスンと枕に埋めて、ボフボフと枕を抱えて身悶えしているのだが、さすがにそこまでは彼にもわからない。しばらく待ってからまた話しかける。
「黙っていたら、エンツのかいがない」
「そ、それはそうなんだけど……」
モゴモゴと返事をする彼女に、まずはあたりさわりのない質問をする。
「ピアスは気にいったか?」
「うん、すごく。あの……貴重なピアスだって、テルジオさんに教えてもらったの。ロビンス先生の力も借りたって」
「私がそうしたいから、そうしただけだ」
「だ、だけど。こんなにまわりを巻きこんで、大騒ぎするなんて思ってなくて」
「大騒ぎにはどうしたってなる。私はきちんと手順を踏んで、きみを妻に迎えるつもりだ」
「えっ……」
今回はそれきり何の音もせず、エンツの向こうは静まり返った。遮音障壁の内側では無音の世界が広がり、ただ月明かりに照らされた、自分の吐く息だけが白い。
「やはり本気にしていなかったか……」
「でもまだ、杖だって手がかりを見つけただけなのに」
まただ……杖のことに意識が向くと、彼女はそればっかりになる。魔導列車に揺られながら、ベッドの上で今どんな顔をしているのだろう。会話に集中してほしくて、彼は素直な気持ちを吐きだした。
「今……きみがどんな表情をしているのか見たい」
「ええっ!」
「赤くなっているのか、とまどっているのか……それとも困っているのか」
言葉を重ねれば身じろぐ気配がして、か細い声でボソボソと返事がある。音のない空間でなければ、風に消されてしまいそうなかすかな声。
「……ぜ、全部だと思う」
「本当に?」
「……うん」
「赤くなっているのは、私が口づけたせいか?」
またドタッ、ドスッ、パタパタと派手な音がして、レオポルドは首をかしげた。
「さっきからいったい何の音だ?」
「何でもないよ!」
何だろう、ものすごく気になる。
8巻制作のため改稿により、ネリアとレオポルドがエンツで会話するシーンを増やしました。












