423.ソラへのエンツ
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カップのお茶を飲みながら、魔導ランプを灯してページをめくる。
こんなふうにゆったりすごしたのっていつ以来だろう。生きるために必要な知識を得るためとか、仕事のためとかじゃなくて、ただ楽しむために本を読む。
(わたし、からっぽだったんだ)
王都にでてきて何もわからぬままに師団長になって、ただがむしゃらに突き進んだ。それは夢中で楽しい経験だったけれど、花飾りの意味もちゃんと知ろうとしなかった。
青いバーデリヤは〝初恋〟で、国花でもある赤いスピネラは〝尊敬〟、白いネリモラは〝好意〟とか〝愛情〟で、薄紫色の花弁に紅の筋がはいったスターリャは、〝至上〟もしくは〝私の命〟……。
自分のやらかしや失敗を思いだしながら、切なくて楽しい物語を読んでいくと、婚約の手順が細かく書いてある。プロポーズは男女どちらからでもいいけれど、求婚された側が相手に婚約の品を贈れば、婚約が成立するらしい。
……ん?
(わたしの場合は師団長会議で、レオポルドにプロポーズしたことになっていて……彼がピアスを贈ってくれたのは今朝のことで……)
本を持ったままベッドから飛びおりたわたしは、バタバタと隣にあるテルジオの部屋まで走っていく。
「どうかしましたか、ネリアさん⁉」
ドアをノックすれば、あわててでてきた彼は、もうパジャマに着替えていた。
「ごめん、教えてほしいことがあって。シャングリラを出発する前に、レオポルドからもらったこのピアス!」
紫陽石とペリドットのピアスを指で持ちあげると、テルジオはパチパチと目をまたたいてうなずく。
「ああ、ひときわ目立ちますよねぇ。さすがは魔術師団長……」
「そうじゃなくて、あの、もしかして彼がピアスをくれるまで、わたしたちの婚約って成立してなかったの?」
テルジオは一瞬きょとんとしてから笑顔で答える。
「そうですよ、だから魔術師団長も急がれたんでしょう。無事婚約成立おめでとうございます」
……やられた!
独りコンパートメントに戻ったわたしは、机に借りていた本を放りだし、ベッドにゴロンと仰向けになって、車窓から星空を見上げた。降るような星空はデーダス荒野の夜を思いだす。
「レオポルド……今、どうしてるだろ」
居住区でのレオポルドは今までとうって変わって、信じられないほど優しかった。仕事が終わって居住区に戻ってくるタイミングで、彼はきちんと時間を計って紅茶を淹れる。
香りのいい紅茶を楽しみながら、魔法陣の小テストを添削してもらう。ソラが運んできた夕食で、いっしょに食事したら魔術訓練場にでかけ、ふたりで魔術の練習をする。
わたしの下手くそな魔術に、彼は顔をしかめてため息をつきながら、それでも練習はちゃんと見てくれた。力任せではない魔力の扱いかたを、少しずつ学んでいる。
(あのときはまだ、婚約は成立していなかったんだ……どうしてそんなに急ぐ必要があったの?)
いっしょに過ごす時間は短かったけど、あったかもこもこパジャマを着た彼は、ソファーでくつろいで過ごしていた。
ふわふわとした気持ちの奥で警告音が鳴り、キスされたときめきに甘く酔えない自分がいる。
……彼にエンツを送ってみようか、そう思ったとたん発車間際のシーンがよみがえった。
「む、無理っ!」
わたしは赤面したまま、ガバリと起きあがる。
「だいたい何て言えばいいのよ。『やっほーレオポルド、さっきのキスのことだけど』……いや、そうじゃなくて。『あのさ、お守りだってくれたピアス、実はいろんな意味があったんだね』……うん、これならいけるかなぁ」
そしてうだうだ考えた結果、彼と直で話すより先に、わたしはソラにエンツを送った。……この意気地なし!
「ソラ、そっちはどう?」
「ネリア様、こちらは問題ございません。魔導列車の旅はいかがですか?」
すぐに涼やかな声で返事があり、わたしはホッとした。この時間なら居住区のすみで、ソラはじっとしているはず。
「うん、快適。お料理もおいしかったし、ベッドはふかふかでね、窓から見上げる星空もきれいだよ」
「それはようございました。何かお忘れ物ですか?」
いきなりエンツを送ったから、ソラには忘れ物でもしたのかと思われたっぽい。
「ううん、それはだいじょうぶ。あのね、ええと……レオポルドはどうしてる?」
いまごろ居住区で彼も食事を終えたかも、それかじゃくじぃに入っているかも……そんなふうに考えていたら、わたしの予想とはまったく違う答えが返ってきた。
「レオはライアスとでかけました。行く先はイグネラーシェだそうです」
「イグネラーシェって、オドゥの故郷の?」
「はい」
「そんなこと彼はひと言も……いきなり決まったの?」
「前から準備していたようです。戻ったらオドゥの研究室も調べると、カーター副団長とも話していました」
「そう……」
イグネラーシェのあるカレンデュラへは、ドラゴンでも丸一日かかる。オドゥのことは任せろと彼は言った。鏡を見れば不安そうな顔をしたわたしの耳元で、ふたつ石のピアスが揺れた。
レオポルドたちが雪が降りしきる王都を抜けてマール川を越え、ウレグ上空で南西に進路をとる。同行者は二名、竜騎士団長ライアス・ゴールディホーンと、元竜騎士でライアスの父ダグ・ゴールディホーンだ。
イグネラーシェを土石流が襲った年、カレンデュラで救助活動に携わったのがダグだった。
ヴィーガ襲来時のように夜通し飛ぶことはせず、温暖なカレンデュラに入る手前で三人は野営した。
そのころには雪は止んでいて、レオポルドが慣れた動きでテントの設営をやり、ライアスが即席のかまどを作る。レオポルドが魔獣除けの結界を構築する横で、今夜の食事当番はダグがやった。
香草とスパイスを使い塩漬けした肉を風魔法で刻み、水を張った折りたたみ式鍋にいれ、いちど蒸して乾燥した穀物と煮こめば、塊肉入りのとろりとした雑炊ができあがる。
カチカチに固くなったパンに、ぶ厚く切ったチーズをのせて火であぶり、ほかほかと湯気を立てて、やわらかくなったところにかぶりつく。パチパチと燃える焚火を囲み、ライアスはぺろりと数切れ食べて目を輝かせた。
「うまい!」
「だろ。マグダに習ったんだ。お前たちには食わせたことがなかったな」
くしゃりと笑うダグは得意気で、本当にうれしそうだ。
「母さんに?」
「竜騎士を引退したら、手持ち無沙汰になってしょうがない。ボケっとしていたらマグダに『ヒマなら手伝って』と、あれこれさせられてな。最初は言われた通り作っていたが、そのうち味つけにも凝りはじめて」
「そういえば俺も子どものころはいろいろやらされた」
おとなしく川で獲れた魚をついばむクレマチスを見上げ、ダグはクマル酒のビンを取りだした。クレマチスや翼を休めて眠っているアガテリスの鱗が、月明かりに反射し白銀に輝く。
「やはりドラゴンはいい。竜騎士になると心も体もドラゴンになっちまう。広い空がすべて自分のものになる」
金色の瞳を輝かせているミストレイに、肉の塊を食べさせていたライアスがたずねた。
「父さ……ダグはなぜ竜騎士になろうと?」
「ほかにできそうなことがなかったからな。俺は体術も苦手で戦闘も嫌いだった」
「えっ」
ライアスが知る父は堂々とした竜騎士で、剣ひと振りでゴリガデルスを倒したという逸話の持ち主だ。
「強いヤツがこんな傷を顔につけるかよ」
ダグはくしゃりと笑ってほほの傷をなでた。












