420.頭から離れない
『魔術師の杖⑧』制作にともない、改稿しました。(2024.9.21)
タクラに向かって走りだした魔導列車は城下町から城門を抜けて、どんどんスピードを上げていく。
ドアが閉まって動きだしたあとも、わたしはしばらくその場に動けないでいた。仮面をかぶせた素肌が、火照っているのは自分でもわかる。
「うわぁネリアさん、今の……情熱的でしたねぇ」
「ひゅおっ⁉」
すぐうしろからテルジオの声がして飛びあがり、ギギギ……と白い仮面のまま振りむけば、補佐官の彼からニコニコと笑顔で迎えられ、わたしは暑くもないのに汗をかいた。
「み、見てました?」
「あ、でも私がいたのはネリアさんの背後でしたから、魔術師団長が身をかがめたところしか見てませんよ」
バッチリ見られてるじゃないですか!
息がかかる距離にレオポルドの顔があって、唇にふれられたのははじめてで、それもあっけなく一瞬で終わった。
『唇とは盗むものだからな』
わたしだけに聞こえる低い声でささやいて、黄昏色の瞳が見たことのない輝きを帯びて……。
「でも驚きましたよ、魔術師団長って淡々としたイメージでしたから。もっと冷たいかと思ってました」
思いださせないでええぇ!
「か、仮面がとれません」
「とらなくても耳まで真っ赤ですって」
仮面を両手で押さえてうずくまるわたしに、テルジオはけらけらと楽しそうに笑う。
「うううう……ふい打ちすぎて心の準備が」
白い仮面が赤くなった顔を隠して、ドキドキと早鐘を打つ心臓の音は、だれにも聞こえないとわかっているのに。キスされて動揺している場合じゃない。これは仕事でグレンの故郷、サルジアを知る旅なんだから。
タクラまで四日間の旅には、ユーリの補佐官でもあるテルジオが同行しているけど、それにしても恥ずかしすぎる。
「でもよかったですね、師団長会議での大胆なプロポーズのおかげで、ネリアさんの想いが通じて」
「うひゃああああ!」
そういえば、そういうことになってた!
「ち、ちがいましゅ。もとはといえばエルリカで、レオポルドから『きみの心がほしい』って……」
「わぁ、大胆」
「〜〜〜〜」
「まぁまぁ、それより早くコンパートメントに移動しましょ」
慌ててかんで、恥ずかしさが倍増したわたしをテルジオが促し、通路を進むとヌーク材で作られた柔らかい曲線を描く扉を開ける。
大きな窓がある個室は、驚くほど広々としていた。
「え、ここ使っていいの?」
備えつけのテーブルには水差しと果物、それにティーセットが置かれ、窓にはキレイな模様が織られた紺地のカーテンに、サルカス産の繊細なレースがとりつけられている。
たっぷり衣類や小物が収納できるクローゼットには、すでに収納鞄が置かれていて、外した仮面もそこに掛けた。奥には美しい術式が刺繍されたシーツがかけられた、大きなベッドが置かれた寝室もついている。
わたしは荷物を置くと、ベッドでぽすんと弾んだ。
「すごい豪華……ベッドも大きくてふかふか!」
「使節団代表も兼ねている師団長は、王太子よりも立場が上ですし、警備の面からも個室になります。私の部屋は隣です。タクラまでは四日間の旅ですし、せっかくですから魔導列車の旅を、のんびり楽しんでください」
「うん、そうする。王都へきたときに乗った魔導列車とはずいぶん違うね」
紺地のカーテンを開くと王都郊外の田園風景が広がっていた。
「王都から港町タクラまでは、船でマール川を下っても行けますからね。エレント砂漠を突っ切るこの路線は、途中にあるルルスのために敷かれたんです」
「ルルス?」
ルルスってたしか……エレント砂漠の魔物討伐で、第三部隊が拠点にしたところだったはず。
「砂漠に囲まれて何もないところに、巨大な魔石鉱床が発見されてから、新しく造られた街です。ネリアさんならきっと興味を持たれるんじゃないかと思って、ルルス観光も予定してますよ」
「わ、うれしい。ありがとう!」
何から何まで配慮が行き届いているテルジオに、お礼を言うと彼はにっこりした。
「どういたしまして。魔術師団長も同行できればよかったんですけどねぇ」
それじゃまるで新婚旅行みたいじゃん、魔導列車の旅には憧れるけど……。ブンブンと勢いよく首を横に振って、わたしはあわてて話題を変えた。
「そんなことないけど……魔石鉱床ってフォト撮影できるかな、持ちこみ禁止だったりする?」
「撮影自体はできますけど、ルルスにある魔石鉱床って特殊な場ですから、ちゃんと写るかわかりませんよ」
変えた話題にあっさりとテルジオが乗ってくれて、わたしは内心ホッとする。
「そうなの?」
「魔素が凝集して結晶化するルルスでは、魔素の流れがよそと違います。魔石鉱床は一見の価値ありですけど」
「そっか、残念。フォトを撮ったら、レオポルドにも見せたかったのに」
デーダス荒野にでかけたときも、わたしはフォトを撮った。
エルリカの街ではじめて食べた煮込み、みんながスケートを楽しみながらオーロラを眺めた川、雪を降らせたあとの真っ白な雪原に、ふたりで飛びこんでつけたヒト型、広場のかがり火にチュリカの屋台……『食べものばかりだな』ってレオポルドには言われたけど。
夜には暖炉の前で撮ったフォトの整理をしながら、温かいココアを飲んだ。フォトで切り取った世界を眺めるだけで、食事をする人たちの騒めきや、空を流れる銀河のまばゆさ、踏みしめた雪の感触がよみがえる。
かがり火から立ち昇る火の粉、赤々と照らされたふぞろいな銀髪、高く澄んだ音色を響かせるチュリカの笛の音、黄昏色の瞳がまっすぐにこちらを向いて、息をのんだ瞬間にレオポルドが口にした願いも。
(……って、いきなり何思いだしちゃってんのおぉ!)
わたしは机にゴンと頭を打ちつけ、車内に鈍い音が響いた。テルジオがぎょっとして振り返る。
「ど、どうしましたネリアさん、とつぜん机に頭ぶつけて」
「何でもないです……」
しっかりしなきゃ、わたし師団長だもの。すぐにレオポルドへ向かう思考を、どうにかしないといけない。ゴンゴンゴンゴンと小刻みに頭を打ち続けていると、テルジオが心配そうにわたしをのぞきこんだ。
「何してるんですか?」
「お気になさらず。煩悩を払っているだけです」
「はぁ」
油断するとボンッて出てくるんだもん、気をつけなきゃ……そう思ったとたん、テルジオが用意していたティーセットが目にはいる。
レオポルドが淹れるリルの花紅茶は、ひと口飲むだけで華やかな香りと甘味が口に広がった。やわらかい表情で長い指が銀のスプーンを持ちあげて、伏せた銀のまつ毛が瞳に影を落とし……。
わたしは思いっきり机に頭を打ちつけた。
――ゴン!
「あの、本当にネリアさん……だいじょうぶですか?」
「お気になさらず。ちょっとこの煩悩が頑固でして」
キリリと師団長らしい表情を作ったつもりが、テルジオのひと言で総崩れになった。
「キスされて動揺するのはわかりますけど、ネリアさんの反応っておもしろいですねぇ」
「ふひゃああぁ!」
――ゴン!












