411.ロビンス先生とレオポルド
王都に戻れば一瞬目がかすんだ。
冬とはいえ雪深いアルバーン領から戻れば、王都の風は暖かく感じる。
斜めに差しこむ太陽の光に目がくらんだのだと思うことにして、レオポルドは魔導タイルが敷いてある八番街の通りを歩いた。
魔術学園はまだ冬休み中だから、八番街にある逆さ時計のある古書店イズミ堂も閉まっている。
あの店にあった迷宮絵本は、いまはアレクという少年が遊んでいるらしい。
何か思いだしたのかレオポルドの目つきが、すこしだけやわらかくなった。
コツコツと音をさせながら一定の歩幅で歩き、閉まっている魔術学園の門が見える場所までくる。
門の手前は通りからは見えにくいよう、木立に囲まれた教職員の住宅が建ちならんでいる。
そのうちの一軒にやってきたレオポルドは、ドアノッカーを二回鳴らした。
すぐに口ひげを生やしたロビンス先生がドアから顔をだす。冬休み中だというのにロビンス先生は、いつもとまったく変わりがなかった。
「やぁレオポルド、きみが私をたずねてくるなんてね。散らかっているが入りたまえ」
先生の家は本当に言葉どおり散らかっていた。
戸棚や机だけでなく窓や壁も、あちこちが魔法陣だらけで天井にまでびっしりと術式が書かれている。
部屋に張りめぐらせたロープにも、紙に描き散らした術式や魔法陣がぶらさがっている。
窓辺にさがる魔石の飾りにも、よく見ればすべてに魔法陣が刻まれていた。
魔法陣のすき間のところどころにカップや丸眼鏡が置かれ、レオポルドはロビンス先生の丸眼鏡は同じものがいくつもあることを初めて知った。
「そのへんの椅子にすわってくれたまえ」
ロビンス先生がサーデをとなえるとカップがふたつ飛んできた。
「夏にカナイニラウで人魚たちが使う魔法陣にふれる機会があってね、まだその整理に追われているところだ。来年か再来年までには本にまとめたいと思っているが、その前にもう一度カナイニラウに行かねばなるまい」
カップに浄化の魔法をかけながら、ロビンス先生は机に積まれた本を指差した。
「さて、それが頼まれていた本だよ、古代紋様術式……魔術師団長にはおさらいにもならない内容だが」
「ネリア・ネリスには精霊言語たる古代紋様のほうが、響きやすい気がするのです。ちゃんと術式も考えて魔法陣を紡げてはいるようですが、図形としてとらえて直感的に操っていることが多い」
「ふむ……もとは精霊の力である魔力を、人間たちがあつかえるように細かく調整したのが魔術だ。彼女にはその調整が難しいのかもしれないな」
「…………」
レオポルドは懐から、保全の術式をほどこした小袋をとりだした。
「これに魔法陣を刻もうと思います」
中からコロコロと転がりでてきた紫陽石に、ロビンス先生が目をみはった。
「素晴らしい逸品だが、その紫陽石に魔法陣を刻んでしまうのかい?」
「これを婚約の証として彼女に贈ります。体に刻まれた三重防壁とグレンの護符だけでは不十分です」
「ほぅ」
ロビンス先生は丸眼鏡の奥で目をぱちぱちとまばたいた。
「だがそれはきみにも少なからず負担があるのではないかね」
「…………」
答えようとしないレオポルドに、ロビンス先生はため息をついた。
「魔法陣には明確に人の意志が存在する。古代紋様や術式を用いた世界への働きかけだ……つまりそれがきみの意志か」
「過去はなくとも彼女には記憶があります。精霊たちの起源が我々と同じように、生きていた人間だったとは信じ難いですが……」
「実体がない精霊には空間が越えられるのではないかと、古来よりいわれてきたことだ。精霊の記憶により、この星に生きるすべての生物に何らかの干渉がある、とも」
ロビンス先生はポットから温かい薬草茶をカップについだ。グレンもよく無茶をした……魔力を調整するには多少苦めのほうがいい。
「私は……彼女のことをグレンが創りあげた〝生命〟だと思っている。さまざまな材料を用いて、この世界に生きる我々に似せているが、そもそも生きる理すらちがうものだ」
「…………」
「グレンが作ったきみを模した人形などよりもよほど、彼の生涯を賭けた研究の集大成と呼ぶにふさわしい。だから彼女を見守るべきだとは思っている。けれどそれにきみは自分自身を賭けるというのか?」
差しだされた茶をひと息に飲みほしてから、レオポルドは短く答えた。
「……はい」
目をつぶって丸眼鏡をはずしたロビンス先生は、まぶたを指でもんだ。
「きみも、母君によく似ているな。決断したら迷いがない……だれの意見にも耳を貸さない。炎は運命を変える力がある、きみがまさしく炎の魔術師たることを祈るよ」
「母は先生からみてどんな生徒でしたか?」
「そうだな……注目を浴びるのに慣れていたし、華やかな逸話にも事欠かない生徒だったが、私が覚えているのはいつも本を借りにやってきて、窓際の椅子にすわって静かに本を読んでいる姿だね」
それからレオポルドは魔法陣研究第一人者であるロビンス先生の助けを借りて、紫陽石に魔法陣を刻んだ。
大きな魔法陣を描くよりも、小さな魔法陣を刻むほうが難しい。
極小の魔法陣にさまざまな術式や文様をくわえていく。
爪ほどの大きさの小さな石に、刻みこめる限りの護りを。
ひとつだけでなくいくつも。
すべての作業を終えてようやく居住区に戻ったレオポルドを、元気な声がむかえた。
「レオポルド!みなさい、ちゃんとできたわよ!」
自分の前に誇らしげに差しだされた紙を受けとって、レオポルドは魔法陣をながめた。
「水が命を生み、生まれた命は風が運び、炎がその運命を変える。そして土は命の終わり……すべては星へ還る。魔法陣を刻むときの定型文のようなものだ」
「ちょっとカーター副団長に手伝ってもらったりしたけど、ちゃんと自分で解いたんだからって……ひゃ⁉︎」
レオポルドはネリアをヒョイと抱えてソファーにすわった。
「純粋な魔素は〝星の魔力〟とも呼ばれるが、それを操る精霊たちに影響されて、それぞれに属性を帯びる。なかでも炎属性は『運命を変える力』とされ、転移を起こす力がある」
「転移?」
「そうだ、風には運ぶ力があるが、一瞬で転移させる力を生むのは炎属性だ。そこにいるはずのない人物を出現させるというのは、ある意味空間の破壊だ。爆発の力を使うこともあった」
「爆発……」
「今の転移魔法は長い時間をかけて洗練されたものだ。初期の転移は危険だったろうな」
「ロビンス先生は『会いたい人に会いにいく』……恋唄だといってたよ」
「その転移が成功したから、今があるのだろう」
「そっか……それであの、レオポルド」
「何だ」
「そろそろ膝からおろしてほしいんだけど」
「寒いから嫌だ」
ネリアがジタバタもがくと、さらにギュッと力をこめてレオポルドはその小さな体を抱きしめた。
「ちょっと!わたし湯たんぽじゃないんだから!アルバ使えばいいじゃん!」
「きょうはもうこれ以上魔術を使いたくない」
「ええ、何それ……魔術師団長とも思えないセリフなんだけど」
「ほっとけ」
もう少しだけ抱きしめていたい、この命が世界に安定して息づくまで。
そう考えながらレオポルドは目を閉じた。
【クリスマスSSアンケート結果】
1位ツリー 9票
2位プレゼント 7票
3位サンタ 6票
4位ケーキ 2票
ご協力ありがとうございました!準備ができしだい短編集に載せます。












