410.宿題と紫陽石
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(電子書籍に比べて割高なのとペーパーバックなのでお勧めはしてません)
朝になりリビングの扉をあければそこにいるのでは……と思った姿はなく、水色の髪と瞳を持つソラだけが動き回っていた。
「おはようございます、ネリア様」
「おはよソラ……」
レオポルドの部屋の扉をみていたら、ソラが首をかしげた。
「レオはもうでかけました。ネリア様、さびしいですか?」
「さっ、さびしいとか、そんなんじゃないもん……」
もごもごといってリビングの椅子にすわれば、ソラはカウンターに置いてあった封筒をトレイに載せてもってくる。
「もしもネリア様が朝起きてレオを探すようならこれを渡すように、と」
「えっ」
きれいに箔押しされた封筒を受けとり、ドキドキしながら封を切れば、でてきたのは術式が欠けた魔法陣の展開図だった。
「……『欠けている術式を埋めて魔法陣を完成させること』……朝から小テストって……」
そういえばレオポルドは熱心な指導で有名な、魔術師団長だった。
テーブルにつっぷしてうめくわたしを避けて、ソラが素早くお皿をならべた。
冬のはじまりを告げる夜会シーズンが終われば、貴族たちも自領に戻る。
雪に閉ざされたアルバーン領にあるアルバーン公爵邸本館のまえに立つと、レオポルドは風を喚び手を使わずにバン、とことさら大きな音をたてて扉をあける。
魔術学園に入学するために王都へむかったとき以来だから、レオポルドにとっては実に十一年ぶりだった。
祖父であった公爵は亡くなったとはいえ、記憶とあまり変わらず陰鬱で寒々しい館なのは変わらない。
黒い影がいくつか、音もなく転移してあらわれた。
(最初に姿をみせるのは国軍あがりの警備兵か……先代からとくに変化はないようだな)
レオポルドの姿を認めると黒い影はまた闇にのまれるように消え、朝早いというのにロビーの中央にきちんとスーツを着た初老の人物があらわれる。
「これは……レオポルド坊っちゃま。アルバーン魔術師団長とお呼びすべきでしょうか、よくお帰りで」
どこか冷たさを感じさせるアイスブルーの瞳はにこりともせず、態度だけはうやうやしく頭をさげる公爵家の家令を、レオポルドは無表情にみかえした。
「すぐにお部屋へ……」
「滞在する気はない、アルバーン公爵夫妻にお会いしたい。案内しろセバスチャン」
話をみなまでいわせず、用件のみを告げるレオポルドの態度も高圧的で、昨夜みせた甘さなどまったく感じさせない。
セバスチャンはアイスブルーの目をまたたいた。
「王都からの長距離転移……とお見受けしますが、そのまま戻られると?」
「当然だ、今回の訪問は私用だからな」
「ご用件をおうかがいしてもよろしいですか?」
いつでも魔術師団長の仕事が最優先で、レオポルドはアルバーン領を訪れても公爵邸には足をむけない。
レオポルドの訪問の知らせは公爵夫妻に届いているはずだが、早朝でもありしたくには時間がかかるだろう。
「用件は公爵夫妻にお会いしてから話す。だがお前も同席して聞くといい、ふたりを呼んでこさせろ」
尊大な態度に伝統ある公爵家の家令は眉をひそめたが、目の前にいる青年は公爵邸をでていったときのちっぽけな子どもではない。
異例中の異例ともいえる訪問については、家令といえど判断する立場にはない……セバスチャンはもういちど頭をさげた。
「では翡翠の間にご案内いたします。部屋も温まりましたころでしょう」
公爵邸には紅玉・翡翠・瑠璃という三つの来客用の部屋がある。
知らせを受けてすぐにセバスチャンは火をいれさせたのだろう、案内された翡翠の間に足を踏みいれれば、暖炉の火は燃え盛り部屋のなかは少し暑いほどだった。
寝起きかもしくはたたき起こされたのかもしれないが、公爵夫妻はそれほど時間をおかずに、どこか不機嫌そうにやってきた。
「レオポルド、先ぶれもなしの帰館とはどういうことだ」
レオポルドは一礼して淡々と報告する。
「まずはご挨拶を、私はネリア・ネリス錬金術師団長と婚約いたします」
「なんですって⁉」
「これについてあなた方の意見は求めていない……用件はただひとつ、公爵夫人が収集しておられる紫陽石を渡してもらいたい」
公爵夫妻は顔を見合わせた。夫人のミラはレオポルドの瞳とよく似た紫陽石を宝石商に探させていた。最近ようやく満足のいく品が手にはいったばかりだ。
「婚約者に贈る宝玉を探そうとしたら……すべて公爵夫人のお手元にあるといわれました。私のために集めておられたとは、お礼を申さねばなりませんな」
底冷えのするような声でレオポルドがいえば、暖炉の炎が凍りついて炎が消えた。急に冷気がただよう室内に、公爵夫妻は腕をさすった。
「ミラ、本当か?」
夫のニルスにたずねられても、ミラは唇を震わせて首を横にふった。
時間をかけて金に糸目をつけず集めさせた品だ。たとえレオポルド本人にいわれても、ミラには渡す気などない。
「あれはアルバーン公爵家のものです、公爵家を継ぐサリナにゆずられるべきもの……レオポルド、考えなおして。それにあの師団長は……」
そのとき、レオポルドが笑った。
ミラにはみせたこともない、晴れやかな……まるで王城の大広間でひらかれた夜会でみせたような笑みに、その部屋にいただれもが息をするのも忘れた。
「そうですね、これはネリア・ネリスから私に渡されたものですが、公爵家の貴重な収集品をおゆずりいただく代わりに、こちらを差しあげましょう」
レオポルドがポケットからだした左手をひらけば、そこにあるのは片手で持てるほどの小さな魔道具で。
その突起にレオポルドがふれると翡翠の間に突然、炎のような赤い髪をふわりとなびかせて美しい女性があらわれる。
「……姉上⁉」
髪とおなじ赤い瞳をきらめかせた女性は、公爵夫妻にむかっていたずらっぽく笑いかけた。それはふたりがよく知るレイメリアそのもので。
「レイメリア!」
ミラは悲鳴のように叫んで女性にかけよるけれど、伸ばした手が女性にふれる前にその姿はかき消えた。
ぼうぜんとするミラに、レオポルドがささやいた。
「グレン・ディアレス……私の父が創った世界で唯一の魔道具です。そうだ、これもおつけしましょう……魔術師団でみつけた母の手記です」
「レイメリアの?」
「ええ、母が魔術師だったときにいった場所や思い出が記されています。ネリア・ネリスに聞いたのですが、自分にとってだいじな人物のことを『推し』というそうです」
「おし?」
眉をひそめたミラにレオポルドは説明した。
「彼女の故郷では『推し』の足跡を辿ることを『聖地巡礼』と呼び、『推し』と同じものを食べたり、同じ場所に座って思いをはせることが、優雅で高尚な趣味として認められているとか。母レイメリアをこれほど慕われている叔母様にもぜひおすすめしたい」
「彼女が……彼女が『そうせよ』といって、これをわたくしにと預けたというの?」
レオポルドは黙ってにっこりとほほえんだ。本当は何もネリアはいっていないが、レオポルドのほほえみだけでじゅうぶんだった。
「セバスチャン!すぐに、すぐに紫陽石を持ってこさせて!」
レイメリアの手記と彼女の姿を映す魔道具と交換で、レオポルドは紫陽石を手にいれた。












