409.「あーん」
大人の男性が家のなかにいるって、それだけで圧迫感があると思う。
レオポルドは騒がしい人ではないのに、彼がリビングに座っているだけでその空間を占領している。
気持ちを落ちつかせようとわたしもテーブルに座るけれど、彼と向かいあっているだけでほほに血がのぼる。
こういうとき何もいわなくともお茶を持ってきてくれる、ソラという存在がありがたかった。
六番街の市場でみつけたお気にいりのカップ、注がれているお茶はたぶんミモミのハーブティー……それなのに味も香りもわからない。
混乱はあとからやってきて、落ちつきはらっている銀髪の魔術師をまともにみられない。
わたしはつぶやくように文句をいった。
「なんでいきなり……」
「いきなりではない」
彼の低くよく通る声が、わたしの鼓膜をふるわせる。室内のせいか彼の息づかいまで感じられる距離だということにまた動揺する。
デーダスではそんなこと気にならなかったのに。
彼は師団長会議のときとはうってかわって、穏やかに言葉を続けた。
「デーダスでしばらく生活してみて、『これならいっしょに暮らせる』と思った」
「はぁ?」
思わず聞きかえせば、レオポルドはあっさりといった。
「トテポぐらたんもまた食べたいし、それに……きみを抱いて寝たら抱き心地がよかった」
「だっ……」
真っ赤になってアワアワするわたしに、レオポルドはさらなる追い打ちをかける。
「抱きしめればやわらかいし、腕のなかでモゾモゾ動くのもいい。にぎった拳は丸くて赤子のようだ。寝起きはふだんとちがって私を上目遣いにぼんやりとみあげてくる……そのさまも気にいった」
「まって、まって!何なのそれ!」
彼は無表情に小首をかしげた。
「ほめている」
「ほめているといわれても……それってただの抱き枕だよ!」
わたしの指摘に彼は素直にこくりとうなずく。
「よく眠れた」
――ちがーう!いちおうわたし、成人女性!
レオポルドは自分の手元にあるカップをみつめていった。
「どちらにしろ、きみはすぐにサルジアに旅立つことになる。きみの留守中もここへ堂々と立ちいることのできる大義名分がほしい」
そうか……ここは彼の育った家だけれど、いまはわたしが使っているから、彼自身がこうして気安く立ちいることはできないんだ。
「本当にここで暮らすの?」
「番犬だとでも思えばいい。それともそんなに……私がそばにいるのはイヤか?」
黄昏色の瞳が真剣にわたしをみつめた。
「イヤ、ではないけれど……」
大歓迎、とはいえない自分がいる。
思った以上にわたしはこの居住区を自分の城と認識していて、単純に彼という異分子がはいりこむのをイヤだと感じている。
たとえそれがレオポルドであっても。異分子はわたしのほうなのに……。
「デーダスから戻ってきたとき、私は離れがたいと感じた。きみはそうではないのか?」
「わたしも……そう思ったよ。だけどあまりにも急で」
何をいっても否定的な言葉になりそう。そのときソラが助け舟をだした。
「ネリア様、お疲れではありませんか。お休みになられたほうがよさそうです」
わたしはホッとして立ちあがる。
「うん、そうする。ごめん、ちょっと休むね……居住区では自由にすごしていいよ。もともとレオポルドの家だもん」
「わかった」
寝室へはソラもいっしょについてきて、ベッドわきにハーブティーを置いてくれる。
「夕食もあとでお持ちしましょうか」
「お願い……」
ベッドで横になってもとりとめもない考えが、ぐるぐると頭をめぐった。
レオポルドがわたしの婚約者として居住区で暮らす。
タクラへいってそこから、ユーリたちといっしょにサルジアへ船で渡る。
杖を作ったらそのあとは?
レオポルドの横にいる自分が想像できない。
わたしは考えることを放棄して髪をほどき、布団を頭までかぶると目をつむった。
コンコン、とノックの音がした。
いつのまにか眠っていたのだろう、返事をすればドアがひらいて人がはいってくる気配がする。
ソラはノックをしないし、もっと滑るようにはいってくる……ぼんやりそう考えて、わたしの意識は急にはっきりした。
目から上をかぶっていた布団からそっとのぞかせると、レオポルドが湯気の立つスープ皿をのせたトレイを持って立っている。
「夕食だ」
「えっ」
そのまま彼はベッド脇の小机にトレイを置くと、椅子にすわりスープ皿からスープをすくい、スプーンを寝ているわたしの口もとにつきつけた。
「あーん」
えええっ⁉
「えと、レオポルド……『あーん』って寝たままの人間にスプーンをつきつけるんじゃなくて、いったん上体を起こしてから食べさせるんだよ」
ピキリと固まった彼がおかしくて、なんだか笑ってしまう。
「ふふっ……」
「すまない」
肩をさげてしょげている彼がかわいそうになって、わたしはゆっくりと上半身を起こした。
「起きるから、ちゃんと食べるから」
ふたたびスプーンを差しだした彼に、ちょっとためらってから口を素直にあける。
「ん、おいしい」
温かいコンソメスープにパンを浸してあって、パンをかめばじゅわりとスープがのどに流れこむ。レオポルドがうれしそうに目を細めた。
「ソラといっしょに作った」
「え」
「私が作ったものを食べて、きみが笑顔になればうれしいだろう……とソラが教えてくれた」
「ソラが⁉」
シンプルなコンソメスープは、作るのもそれなりに手間がかかったはずだ。
スープにはいっているこまかく刻んだ野菜も、彼がやったのだろうか。じっとみてると彼がおかしそうに口の端を持ちあげた。
「そんなに意外か?デーダスできみは楽しそうにやってみせたではないか」
ソラといっしょにキッチンにたっているレオポルドなんて想像できない……と思うと同時に、もったいない光景を見逃してしまったと思う。
「作るのも楽しかったし、こうして食べさせるのもいいな」
本当に楽しそうなレオポルドにわたしはあっけにとられ、ポカンとしていたらまたスプーンを口につっこまれる。
「むぐ……」
「サルジアにいくまでのわずかなあいだに婚約者としての体裁を整える。それほどゆっくりすごす時間はないかもしれない」
「うん……」
うなずけばまたひとさじ、スープを与えられる。
「きみをいかせたくない気持ちはかわらない……杖などよりもきみの心がほしい」
「レオポルド」
わたしが彼に何かいうまえに、またスプーンが差しだされた。
「けれどきみが杖とともに心をくれるというならば、私はそれを待たねばならないのだろうな」
「…………」
そしてやっぱりスープはおいしくて、結局わたしはレオポルドに食べさせられるままに完食してしまったのだった。
「あーん」
フォークに刺して差しだされたデザートは、切った焼きミッラだった。
トレイをさげてリビングに戻ってきたレオポルドは、食器に浄化の魔法をかけると片づけた。
(手が届かなかったシンク上の棚に、いまとなっては楽に物が置けるなど……くすぐったい気分だな)
もういちど寝室へと続くドアをちらりとみてから、レオポルドはリビングに置いてあったテントを中庭に持ちだす。
ひとりでテキパキとそれをひろげ、黙々と作業をしているとソラも手伝いはじめた。
「レオ……テントで寝るのですか?」
「ああ」
澄んだ冬空には星がまたたいている。冴え冴えと光る白い月がふたつ、レオポルドを照らしていた。
「部屋が気にいりませんでしたか?」
息を白くしてレオポルドは答えた。
「いいや、母の気分を少し味わってみたい」
「レイメリア様の?」
「アーネスト陛下と話をして確信したことがある。母は自分が楽しいと思ったこと、面白いと思ったことにしか手をださない」
テントの設置を終えて立ちあがったレオポルドは、ひとり用のテントを満足そうに見直した。
「ならば母にとってはこうして中庭にテントを張るのも、グレンとの暮らしも楽しかった……ということだ」
ソラがだまって差しだした寝袋を、レオポルドは受けとった。
「それに……いかにもグレンの住まいだったデーダスとちがい、居住区は彼女の家と感じる。ひとつ屋根の下だなどと意識したら眠れそうにない」
それを聞いたソラは、パチパチと目をまばたいた。
レオポルドなりにデーダスでいろいろ検討した模様。居住区でも中庭でもそれなりに楽しんでます。
「抱き心地がよかった」件については、SS『雪結晶とあったかもこもこパジャマ』で書いてます。









