405.ゴールディホーン邸
王都の治安維持に竜騎士がはたす役割は大きく、「竜騎士が住む家」が近くにあるだけで、周辺の家賃相場があがるとされている。
そしてライアスの実家は王都十番街の一角で、竜騎士を引退した父ダグと母マグダ、王城に文官として勤めている兄オーランドとが暮らしていた。
昼に働く通いのスタッフが何人かいるが、夜は家族だけですごす貴族街ではこじんまりとした家だ。
その晩、十番街にあるゴールディホーン邸で、女主人マグダはひとりの客人を迎えた。
「ごぶさたしております、ゴールディホーン夫人」
体のあちこちにできた傷は治したが、まだ痛むところがある。
レオポルドはあまり体を動かさないようにして、ライアスの母マグダにあいさつをした。
「あら、前みたいに『マグダおばさん』でもいいのだけど。すっかり大人になったわね、いらっしゃいレオポルド」
ライアスがレオポルドの荷物を指さした。
「レオポルドはデーダスから戻ったばかりなんだ、そのまま家に連れてきた」
「まぁ、それじゃお父様の……それは大変だったわね」
マグダも王都を離れたグレンが、デーダス荒野にひきこもっていたことは知っている。
レオポルドが孤独な少年時代を送ったことを知るマグダからしたら、彼が亡き父の家を訪ねたと聞いただけで涙ぐみそうになった。
家には気配が残る。そこで暮らした人間の想いや生活が感じられる。
急な死は残念だったが、レオポルドはようやく父のグレンという存在に、向き合おうとしているのだろう。
もちろんいつも竜騎士である夫ダグの帰りを待ちながら、気丈にふるまってきたマグダはそのぐらいで泣いたりはせず、笑顔で二階の客室にレオポルドを案内した。
「ライアスからエンツをもらって準備したから、すぐ使える部屋がここしかないの。いいかしら?」
「おかまいなく。ここはどなたかの部屋では?」
部屋をみまわすレオポルドには不釣り合いなほど、その部屋はかわいらしい調度でまとめられていた。
壁紙の色はやわらかいピンクベージュ、置かれた家具は白くて猫脚で大きな姿見もある。
ライアスは男兄弟のはずだが、どうみてもそこは女の子の部屋だった。
「ちがうのよ、私が先走ってしまったの。オーランドかライアスが女の子を連れてくるんじゃないかって」
マグダは自分のほほに手をあててため息をついた。最初は姿見ぐらい買おうか……それだけのつもりで、マグダはダグを連れて家具をみにいった。
いつも兄弟ゲンカがはじまれば家具が壊れるゴールディホーン邸では、家具はとにかくじょうぶなことが第一条件だ。
ついうっかり、ダグやライアスがドアノブやひきだしのツマミを、バキッとやってしまったのも一度や二度ではない。
そしてマグダは見てしまった。姿見とおなじ場所に置かれた白くて猫脚の、オシャレでかわいらしい家具たちを。
「ねぇダグ……もうあの子たちも大人だし、家具が壊れることを心配しなくてもいいかしらね」
そういいながらも目が釘づけになってるマグダに、ダグも傷のある左ほおをなでながらうなずいた。
マグダが先走ってる気はするが、まだ子ども部屋を作ろうとしないだけましである。
部屋のひとつを女性むけに改装してみたら、ついあれもこれもとやりすぎてしまった。
ふと思いだしたマグダは、レオポルドにたずねた。
「あなたはライアスから聞いてるかしら、ネリィさんとおっしゃる娘さんのこと」
ピクッとレオポルドの肩が反応した気がするが、彼の表情は変わらなかった。
「……いえ」
「そう、じゃあやっぱり望み薄かしらね。あの子も団長の仕事で手一杯みたいだし」
「すみません」
「あら、あなたが謝ることないわよ。ライアスもああみえて鈍くさいんだもの、しかたないわ。では夕食でね、ダグも楽しみにしているわ」
部屋にひとり残されたレオポルドは息をつくと、鞄を置いてもういちど部屋をみまわす。
瀟洒な家具でまとめられた室内は清潔で居心地もよく、女主人マグダの人柄を感じさせた。
ここにネリアを連れてきたら、歓声をあげそうな気がする。
「……本当に、私でいいのか?」
そのひとり言は、この部屋に泊まるのが自分でいいのか……という意味にも、彼女のそばにいるのが自分でいいのか……という意味にも聞こえた。
ダグ・ゴールディホーンはレオポルドの顔をみると、くしゃりと笑って彼の肩をバンバン叩いた。
「レオポルドか、おっきくなったなあ!」
さすがに痛そうな顔をしたレオポルドの横で、ライアスが父を注意する。
「父さん、学園を卒業してもう七年もたつんだぞ」
「そうか、王都新聞で活躍は目にしているが、俺が覚えているのはこんなちっこかったレオ坊だからな」
ダグは自分の腰あたりをさすが、いくらなんでもそこまで小さくはなかったと思う。
そして夜になりゴールディホーン邸では静かな晩餐がはじまった。
客がいるから人数は増えているのだが、無口な客人なので静けさはふだんとあまり変わりない。
それでも彼がひとりいるだけで、食卓がずいぶんと華やかになった。
「レオポルド、塩とってくれ」
「これか」
「すまないな」
なんだろう……ただ塩をやりとりしているだけなのに、まるで精霊が武神に霊水を授ける神話の光景をみているようだ。マグダはオーランドにささやいた。
「ねぇオーランド、なんだかうちのライアスがやたらにキラキラして見えるのだけど」
オーランドは銀縁眼鏡のつるをくいっと持ちあげ、レンズをキラリと光らせた。
「錯覚です、母さん。レオポルドが離れればいつものライアスですよ」
マグダはことしの冬は可愛い女の子と、おしゃべりが楽しめるのではないかとちょっと期待していた。
「つぎは女の子を連れてきてくれるといいんだけど」
オーランドは母が余計な期待を抱かないように注意した。
「母さん、ライアスにそれを期待するのは酷というものです」
「オーランド、あなたでもいいのよ?」
「……ごちそうさまでした」
くいっと口をぬぐって食事を終えたオーランドに、マグダはため息をついた。
「どうしてうちの息子たちはこうなのかしらねぇ、レオポルドはいい人みつかった?」
なにげなく聞いた問いかけに、レオポルドは困ったような柔らかい表情をみせた。
(あら!この子もこんな顔をするようになったのね!)
母親代わり……というほどではないが、マグダは寮生活を送るレオポルドをいろいろと助けてきた。
気心の知れたマグダだからこそ、レオポルドも素の表情で答えた。
「いい人というか……気になる女性はいます」
「まぁ、よかったじゃない!」
「彼女に気持ちを伝えました……返事はまだですが、できればずっとそばにいたい」
それを聞いたライアスはぐいっとクマル酒をあおると、椅子の背もたれに身をあずけた。
「最初から素直にそういえ、バカ」
憎まれ口になるのは親友だからだろうか、ライアスは腕をのばしてクマル酒の瓶をつかむとレオポルドのグラスにも酒を注ぐ。
なみなみとつがれた酒に文句もいわず、レオポルドもグラスを持ちあげた。
「ああ、そうだな。悪かった」
そのようすをみながら、マグダはぼんやり考えた。
(これは朝までコース……かしら?)
レオポルドは人懐こくはないのですが、世話になったライアスの両親にはちゃんと接しています。
オーランドの恋愛はうまくいってます。それをわざわざ報告する気がないだけです。












