400.サルジア皇帝シュライ
400話目です。お読みいただきありがとうございます。
「レクサ、マグナゼが参ったとシュライ様に伝えろ!」
キイ……と黒曜殿の扉が開き、武官の装束に身を包んだレクサが顔をだす。
精悍な面差しにキリリと太い眉、エクグラシアにリーエンの従者としてやってきた少年は、六年たち立派な青年となっていた。
「ご案内します」
レクサは隙のない身のこなしで、さっさと先頭を歩いていく。黒檀に螺鈿で美しい模様が彫られた扉の前で、ピタリと止まった彼はマグナゼをふり向いた。
「ではシュライ様にお伝えして参ります」
音もなく開いた扉の向こうに、レクサは姿を消した。
「ちっ、いまいましい……」
皇帝シュライがどんな人物かは、マグナゼもよく知っている。〝陽のリーエン〟に〝陰のシュライ〟。
皇家の血統でも優れた血を引いていたリーエンは、ハキハキとして明るく聡明でカリスマ性もあり、皇太子としても輝いていた。
逆に彼の従弟シュライは幼少時から体も弱く、引っ込み思案でろくにしゃべれもしなかった。
リーエンが可愛がらなければ、皇宮内で生きていくことも難しく、早々に精霊への供物にされていたに違いない。
皇統の乱れを防止する目的で行われていた〝供物〟は、力なき皇族の処分方法でもあった。
時の流れとともに、皇族たちが受け継ぐ精霊の力はどんどん薄まり、今ではただの人間と変わらず、傀儡さえも使役できない者が多い。
六年前に皇太子だったリーエンの死に関わったマグナゼが、筆頭呪術師の地位に今も在るのは、現皇帝シュライをしのぐほどの魔力量と能力の高さによる。
血統こそ劣るものの、彼が皇帝になってもおかしくなかった。
(サルジアに帰り、弁明に明け暮れているうちに、レクサがさっさとシュライを皇帝に就けてしまった)
マグナゼが危険を冒してまでエクグラシアにでかけたのは、皇太子に関してあるウワサを聞きつけたからだ。
――リーエン・レン・サルジアは女性である。
皇太子は周囲の反対を押し切ってエクグラシアに留学し、学園では第一王子と親しくしているらしい。
〝魔力持ち〟は世界中で生まれ、とくにエクグラシアは二百年前に、魔石鉱床を発見してからというもの、〝魔導大国〟の名をほしいままにしている。
近年グレンという錬金術師が、魔導列車を開発してその勢いは増している。
もしもリーエンが女性なら、王子と親しくなりすぎても困る。皇女であれば彼女はマグナゼかシュライに嫁ぐべきで、辺境のエクグラシアから皇帝候補を迎えるつもりはなかった。
まるで別人のようにふるまう〝潜入〟は、呪術師の技でもある。タクラの港から魔導列車に乗り、興味本位で降りたルルスで、彼は大規模な魔石鉱床に目を奪われた。
(まるで〝大地の精霊〟の力が結晶化したようだ……ほしい。斜陽のサルジアなどシュライにくれてやればいい。俺はエクグラシアの初代皇帝となる)
しばらく彼は採掘夫として働き、その規模を確かめると新たな野心を抱いて王都シャングリラに向かう。
王都での活動にはサルジア貴族出身の妻を持つ、エクグラシア宰相のヒルシュタッフが、彼の力になってくれた。
ふざけた王子には即死毒を、リーエンには傀儡毒を含ませるつもりで持参した。だが結局、リーエンは自らの死により、マグナゼの野心を阻んだ。
「あの事件さえなければ……」
黒檀に螺鈿細工がほどこされた彫られた扉の向こうに、レクサを従えて座っていたのはマグナゼだったかもしれない。彼は扉をにらみつけた。
マグナゼは傀儡だらけで静まり返ったこの皇宮が、本当はあまり好きではない。皇国で暮らすひとびとも呪術師に頼り、何百年と同じ生活を続けている。
繫栄するエクグラシアの活気にふれて、彼自身も生き生きと活動できた。
(ドラゴンを駆る竜騎士に対抗できる軍隊が必要だ。魔術師たちを封じる術も……死霊術師がいれば役に立ったものを)
ガリッとマグナゼが親指の爪をかんだところで、銀の髪を束ねたエイがあらわれた。
ほとんどの傀儡には意志などなく、その動きはすべてが術式により定められ、役割を終えるとまた自分の持ち場に戻って静止する。
だがそれらを管理する高位の傀儡には、もっと複雑な魔導回路が組みこまれていた。エイもまたそんな高位の傀儡だ。
人間のように考えて判断する機能も備わっていて、それらの傀儡には死霊使いの術で〝魂〟を封じてあるという。
永遠に朽ち果てぬ体に封じられたのは、とくに忠誠心の高い者が選ばれたという話だが、今となっては定かではない。
死霊使いの一族が滅ぶと同時に、魂をあつかう術について記した文献は、すべて消え失せてしまったから。
「マグナゼ様、こちらへ」
「あまり待たせるな」
マグナゼがギロリとにらみつけても、エイの表情は変わらない。輝く銀髪をさらりと背に流した美しい面差しは、ずいぶん前に筆頭傀儡師が手がけたとされている。
「シュライ様、マグナゼが参りました」
「ああ……マグナゼか、ひさしぶりだな。エクグラシアから戻り、また静養していたとか」
皇帝シュライは線の細い体で青白く、肩で息をしながら脇息にもたれたまま、マグナゼに目を向けた。
(……静養が必要なのはどちらだ)
マグナゼの体は頑健で、エクグラシアで起こった不都合を除けば、健康には何の問題もない。
かしこまって礼をし、案内された椅子に座ると、マグナゼは傀儡から茶器を受けとる。
「申し訳ございませぬ。結局工房は閉めることになりました」
夏に命からがらエクグラシアを脱出して以来、彼は〝呪いの赤〟をさわれなくなった。
弟子に製法を伝えようにも彼は工房にすら近づけない。どうすることもできず、残っていた毒や素材はすべて廃棄して工房は閉鎖された。
執念でふたたびエクグラシアにおもむき、〝立太子の儀〟を終えた王太子をサルジア皇国へ招き、師団長のひとりを同行させるように伝えたのは、皇帝シュライの意向でもあった。
「かまわぬ。エクグラシアの若獅子はどうだった?」
「まちがいなく〝呪い〟は解けたようです。凛として儀式に臨んでおりました」
謁見の儀にあらわれたマグナゼを、燃えるような赤い瞳でみすえた王太子。
魔術学園の寮で倒れたリーエンに駆け寄った少年は成長し、今度こそはと用意した〝呪いの赤〟ですら打ち破った。
「楽しみだな。彼に会うのは……リーエンの話を聞いてみたい」
死んだ皇太子の名がでてきて、マグナゼはびくりと身を震わせた。そばに控えるレクサのマグナゼを見る目が、鋭くなったような気がする。
皇帝シュライは茶器を口元に運びながらほほえんだ。
「レクサからもときどき話を聞くんだ。レクサも彼に会うのは楽しみだろう?」
「そうですね」
うなずいたレクサは窓から遠く西の空を見る。
「竜王に対して、真っ向からぶつかっていった少年です。辺境のエクグラシアでも王族には、王族の覚悟があると知りました」
「辺境か……吾らが住む星は月と同じく丸い。はたして世界の中心はどちらであろう」
マグナゼはようやく口を開いた。
「こ、皇帝陛下ともあろう方が戯言を申されるとは。世界の中心はまさしく、ここサルジスでありましょう」
皇帝シュライが顔を上げ、磨きぬいた黒曜石のような瞳で、茶器の向こうからマグナゼを見やる。
「そうだな……」
シュライは皇族らしい整った顔立ちに、ほほえみを浮かべた。












