399.父と子の別れ
過去編『レイメリアと魔術師の杖』これで終わりです。
約束の日、研究棟前の広場に公爵家の魔導車が到着すると、グレンはエヴィにいってレオポルドを呼んでこさせた。
とくに持たせる荷物はなかった。公爵家に連れていかれれば、グレンが持たせたものはどうせ捨てられてしまう。
「とう……さま?」
やってきたレオポルドはそれでもエヴィにひっつくようにして、光のかげんで色を変える黄昏色をした大きな瞳で、不安そうに仮面をつけた父をみあげた。
レイメリアと暮らすようになって、研究棟ではグレンが仮面をはずすことも増え、息子のレオポルドは父親の仮面をつけた姿などほとんどみたことがない。
ひかえていたアルバーン公爵家の者が、グレンのことは完璧に無視して、うやうやしく礼をとるとレオポルドにむかって口上を述べた。
「アルバーン公爵家が公子、レオポルド・アルバーン様……ご尊顔を拝謁し恐悦至極に存じます。あなた様を母君レイメリア様の故郷へとお連れすべく、本日は吉祥なる日時を選びお迎えにあがりました。馬車で公爵様もお待ちかねです」
何をいわれたのかわからなかったのだろう、目をパチパチまたたいたレオポルドはますますエヴィにぎゅっとしがみついた。
「レオ……お前はかあさまの故郷、アルバーン領へいくといい。私には仕事がある」
黄昏色の大きな瞳がもういちどグレンをみあげる。瞳の色が不安げに揺れていた。
「かあさまもお仕事にいっちゃった……とうさまもお仕事……僕のこといらないの?」
自分を必死にみつめてくる黄昏色の瞳に、グレンは何も答えられなかった。かわりに手に持っていた杖をレオポルドに渡した。
「かあさまの杖を持っておいき。お前の成長を見守ってくれる……魔術が使えるようになったら使うといい」
杖はシンプルな木の先端に母の瞳と同じ色をしたペリドットを、囲うように細工して埋めこんである。
もともとレイメリアのために作った杖だから、軽くて持ちやすい。
いずれ成長して魔力が固まれば、レオポルド自身に合わせた杖が必要になるだろうが……それまではこの杖が支えてくれるだろう。
小さな手が杖を両手でギュッとつかんだ。
杖を持ったレオポルドは、柄に隠すようにセットされたペリドットにふれて、光る術式をだまってみつめた。
「さぁ、レオポルド様」
公爵家の者がうながすと、レオポルドはハッとしたように顔をあげ、左手に杖を持ったままで右手を父の白い仮面へと伸ばした。
「とうさま、仮面とって」
顔がみたいのだろう、そう思ったがグレンが仮面をはずすことはなく、ただ自分へと伸ばされたちいさな手にふれた。
ちいさな指がグレンの節くれだったひとさし指をぎゅっとつかむ。
「いけ、アルバーン領はお母様の故郷だ……そこで暮らすといい。私には仕事がある……また魔術学園に入学するときに王都でまみえよう」
グレンが背をむければ指は離れ、レオポルドは唇をかむとふたたび両手で抱えるようにして、ギュッとレイメリアの杖をにぎりしめた。
そしてそれがグレン・ディアレスにとって、息子レオポルドの指にふれた最後となった。
レオポルドが公爵家の魔導車に乗りこむと、待たされていたアルバーン公爵がいまいましげにじろりと彼をながめた。
「ふん、はやく座れ。このような場所でアルバーン家の者を育てさせるわけにはいかん。きちんとしつけなおさねば」
おびえたように後ずさる彼にはかまわず、無情にも扉が閉められてすぐに魔導車は動きだす。
魔導車のなかは広く沢な造りで、大人数人がゆったりと座れるようになっている。アルバーン公爵と同乗していたミラがとりなした。
「まぁ、そんなふうにおっしゃったら、この可哀想な子がおびえてしまいます。ね、レオポルド……アルバーン公爵邸にはお母様のお部屋やご本もあるのよ」
そういって研究棟前の広場からレオを見送るエヴィを、ミラは窓越しにちらりと見た。
「怪しげなオートマタとはさよならしましょうね、ちゃんとあなたのお世話をする者や家庭教師もつけてあげるわ。あなたは公爵家の公子……それにふさわしい場所で暮らさなければ」
「…………」
うつむいたレオポルドは涙こそこぼさなかったが、泣きそうな顔できゅっと眉根を寄せ、両手でしっかりと母の杖を抱きしめた。
レイメリアのつぎにレオポルドもいなくなり、居住区はがらんどうになった。不思議なことにグレンはそれほど寂しくなかった。
(こんどは何を作ろうか……)
動かなくなったエヴィのそばでリビングのテーブルにすわり、グレンはもうつぎに製作するものについて思いを馳せていた。
レイメリアの頼みに応じていろいろなものを作ってきたから、こんどは国王に頼まれたものにしようか。
そういえばレイメリアに頼まれて、グレンがまだ作っていないものがひとつだけあった。
グレンは居住区でひとり、レイメリアの魔石をとりだす。
彼女の魔石は子どもの握りこぶしよりは小さく、小鳥の卵よりは大きくて、ずいぶんと軽いものだった。
魔力のすべてを使い尽くしての死では、形として残せるそれが精一杯だったのだろう。
レイメリアの魔力を誇りにしていたアルバーン公爵がみたら、きっと怒り狂うだろうと思えるような、粗末でちっぽけな石だった。
そう思い渡すことも見せることも拒んだが、どうやら公爵の怒りに油を注いだらしい。
小さな魔石にふれれば、それでも彼女の魔力が感じられる。グレンは目を閉じて魔素の感触を感じた。
『ねぇグレン、私レオは何になってもいいと思うわ。楽しんで自分の人生を生きていってほしい。でもそうね……もしもレオが魔術師になりたいと言ったら、あなたが杖を作ってあげてくれる?』
彼女の頼みにうなずいたことを、グレンは思いだした。
「ああ、そうだな……そのときがきたら、レオのそばにいられなかったきみのために、この魔石を核として使おう。レオにとってはそれが、何よりも強力な守りとなるだろう」
人はすべて過ぎ去るが、この手で創りだすものだけは確かだ。
グレン・ディアレスという人間がこの世から消え去っても、創りだしたものはひとびとの生活を助け、暮らしのなかに溶けこんでいく。
いずれあの子に必要となるものは、〝父親〟よりも……己の魔力を律するための〝魔術師の杖〟だろう。グレンはひとりごちる。
「初めて作った〝魔術師の杖〟は失敗した……あの杖はレイメリアの命を守れなかった」
杖だけ戻ってきても何の意味もない。だから次こそは魔術師を助けるだけでなく、その命を守ることのできる杖を作ろう。
「レイメリア、私がきみの願いをかなえよう。この命に代えても必ず……あの子が魔術を使うところは、とてもきれいだからな。きみによく似ている……」
グレンは青灰色の目をしばたいた。彼の頭の中ではすでに、杖の完成形となる術式が構築されはじめている。
「サーデ」
紙とペンを呼びよせると、彼はペンを持ちただ黙々と手を動かした。
真っ白な紙に新しい術式が紡がれていく。
父も母も……すべてはあの子にとって過ぎ去るものだ。
けれど私がこの手で創りだした〝杖〟だけは、魔術師となる彼に寄りそえるだろう。
忘れるがいい、この父のことなど。
忘れるがいい、お前を置いていった母のことなど。
レイメリアの生まれた地がお前を育み、私が作った彼女の杖がこの先もきっとお前を守る。
お前の人生にこの父は必要ない。そして母も……。
私たちが出会った場所、そこへ行けばきっとお前の世界が広がる。
レオポルド……お前は自分の力で生きて、その手で人生をつかむがいい。












