397.レイメリアの杖
「ごめんなさい、長いこと留守にしてしまって。遠征中に怪我をしてしまったの。もちろんポーションと治癒魔法ですぐに治ったけれど、魔力の調整でしばらくアルバーン領に帰ってて。そしたら父に軟禁されそうになって、でてくるのにちょっとだけ手間どってしまったわ」
ペロリとレイメリアは小さな舌をだしてほがらかに笑うが、少し疲れている様子だった。アルバーン公爵は愛娘をグレンの元へやるまいと必死だったのだろう。
「べつにお前を待ってなどいない」
赤い瞳がまっすぐにグレンの白い仮面をみかえした。
「ええ、わかってる。でも私あなたのもとへ必ず帰ると約束したわ。だから帰ってきたかったの。ただいまグレン」
「…………」
グレンが何も応えなくとも気にせず、レイメリアは彼の腕をつかむといきなり竜舎へ転移した。
「ねぇ、ちょっとつき合ってくれないかしら。アーネスト、連れてきたわよ。アガテリスの準備はできてる?」
「ああ、バッチリだ。どうぞグレン、俺がみつけたとっておきの場所に案内します」
「……は⁉おい、待て!」
「さっ、グレンこっちよ。じゃあ出発ね」
あわてるグレンにはかまわずアガテリスに乗せると、アーネストのまえにグレン、うしろにレイメリアを固定して、ドラゴンはひと飛びでシャングリラ上空へとはばたいた。グレンはドラゴンの背で身じろぎもせず硬直している。
「……竜騎士と魔術師に連れだされて、私は山奥で殺されるのか?」
「グレンたら、どうしてそんな物騒な発想になるのよ。デートよデート、お邪魔虫のアーネストはすぐに帰るから」
「お邪魔虫って〝知らずの湖〟は俺が先にみつけたんだぞ、リメラに口止めしとけばよかったな」
アーネストはついに先日、そこでリメラへのプロポーズを成功させた。ふだんは恥ずかしがり屋の彼女を、ひとけのない場所に連れだしたのがよかった。
だがその話をリメラはレイメリアにしてしまい、それを聞いた従妹は即、アーネストにアガテリスの準備をするよう命じた。
ぼやきつつもアーネストはアガテリスを駆り、シャングリラ郊外にそびえたつヴェルヤンシャ山を目指した。雪をうっすらとかぶり白くなったヴェルヤンシャの頂を越えると、銀色に光る湖面がみえてきた。
「ここは〝知らずの湖〟、ヴェルヤンシャの頂上からならみえるけれど、街道からも登山道からも外れていてドラゴンでくるしかない場所だ。じゃあ帰りたくなったらエンツで呼んでくれ」
「はーい、ありがとうアーネスト」
アーネストはそういって木立に囲まれた湖岸のひらけた場所で、アガテリスからグレンとレイメリアを降ろし、また飛び去った。湖岸にたつグレンは落ちつきなく、キョロキョロとあたりをみまわした。
「……私は魔術師にここで湖に沈められるのか?」
「グレンたら心配性ねぇ。デートっていってるじゃない。いつもみたいに研究棟でもいいけれど、せっかく遠征から帰ってきたんだしキャンプデートもたまにはいいでしょ。今夜は月があるから、ここからの眺めが一番きれいだと思うの」
レイメリアは笑ってテキパキとテントを建てはじめる。もちろんグレンが断ったとしても彼女はやるといったらやるのだ。
くっきりと空に刻まれたヴェルヤンシャの白い稜線が、鏡のような湖面にもその姿を映し、上下反転の世界を創りだしていた。赤く染まった湖畔の樹々に囲まれ、魔女が誘うようにほほえんだ。
「アーネストが先にみつけたのだけど、あなたにも私が美しいと思う世界をみせたくて。ここにはきたことがある?」
「……いいや」
炎のような髪をなびかせて魔女がふりかえれば、色彩にあふれた世界で白いローブに仮面をつけた銀髪の男は、まるで湖畔にたたずむ白い鳥のようだ。世界のどの景色にもなじまず浮きあがってみえた。
「ここには私たちしかいないから、できたら仮面をはずして顔をみせてほしいわ。無理にとはいわないけど」
それからレイメリアは火の魔法陣を敷いた。魔術師団の倉庫に眠っていたミシュパという人魚の魔道具を使い、湖で捕まえた魚を焼いていく。
彼女は自分で料理をしたことがない。遠征でもにっこりほほえんでいるだけで、竜騎士たちが率先して動いてせっせと調理をしてくれた。
(ま、焼くだけとか……温めるだけならなんとかなるわ)
持ってきている食料もそんな感じのものだ。それにカチカチのパンだって魔法陣のそばに置けば、ふっくらと焼きたての風味をとりもどす。
スープだってカップにくんだ水をお湯に変え、固形スープをほうりこんでかき混ぜれば完成だ。
「夕飯の準備はできたわ、さあどうぞ」
どちらにしろここまできたらエンツを送らないと帰れない。グレンなら長距離転移魔法陣ぐらい描けるだろうが、レイメリアはそれをさせるつもりはなかった。
しばらくしてあきらめたようにため息をつき、グレンが仮面をはずした。
そのままだまってふたりきりで食事をとる。スープとパンに焼き魚……簡素な食事だが腹はふくれて体は温まった。レイメリアが食器に浄化の魔法をかけていると、グレンがぽつりとつぶやいた。
「杖があれば……お前は怪我をしないで済んだか?」
「そうね、杖があればね。グレンが作ってくれるの?」
レイメリアが答えを待っていると、グレンは彼女から目をそらしてボリボリと頭をかき、はぁと大きなため息をついた。
「しかたない、お前に死なれたら寝覚めが悪い」
「うれしいわ、グレン!」
レイメリアは大きくその目をみひらき、花が咲きこぼれるような笑顔になるとグレンに飛びつくようして抱きついた。
「ひっつくな!」
「いやよ、寒いんだもの」
「お前は〝アルバ〟だって使えるだろう!」
あわててもがきひき離そうとするグレンに、レイメリアはさらにぎゅっとしがみつき、かわいらしくとぼけた。
「使いかた……忘れちゃったわ」
彼女が中庭のテントではなく、居住区で暮らすようになったのはそれからすぐのことだった。
竜騎士団で訓練を終えたアーネストがリメラの待つ部屋へと、いそいそとやってくれば明るい笑い声がする。
いやな予感がした彼がばっと扉をあけると、そこにはレイメリアがゆったりとくつろいでいた。彼女はにこにこと手をふった。
「あらアーネスト、早かったのね」
「……なんでお前がここにいるんだよ。これじゃ婚約前と変わらないじゃないか!」
レイメリアは彼の抗議もまったく気にせず、ふふっと笑った。
「そうだったわね、婚約おめでとう。リメラがくるって聞いて、グレンが作ってくれた杖をみせにきたの。とっても軽くて持ちやすいのよ、すてきでしょう?」
その杖はグリップの先に緑玉を隠すように囲んでセットした、そっけないほどシンプルな杖だった。
「その緑玉……もしかしてペリドットか?」
「そうなの、もううれしくて。彼、ちゃんと私の瞳を覚えていたんだわ!」
小さな白い手でその杖を日にかざしたレイメリアは、ペリドットに刻まれた魔法陣に瞳を輝かせ、それからアーネストをじろりとにらむ。
「アーネスト……あなたそういうところがダメなのよ」
「は?俺、何かしたか?」
「いま私のこと『ちょっとかわいいな』とか思ったでしょ!」
「はぁ、まぁそりゃ……お前にしてはめずらしくかわいい顔してんな、とは思ったけど」
「そういうところよ、女心がちっともわかってないんだから!」
「はぁ⁉︎」
困ったような顔をしてほほえむリメラをちらりとみてから、レイメリアはアーネストにまくしたてた。
「リメラはね、何もいわなくてもそういうところちゃんとみてるの。あなたが私に限らずかわいい子を見るのが好きなのは知ってるけど、本当は彼女だって気が気じゃないのよ」
「え……それってもしかしてリメラが妬」
アーネストはちょっとうれしくなった。できたらリメラにジェラって拗ねたり甘えたりしてほしい。なんか愛されてるって感じがする。
ところが従妹は心底あきれたような顔をして眉をよせた。
「リメラに心配をかけるなっていってるのよ、このおバカ!」
「レイメリアったら……それに私からみても、今のあなたはかわいいと思うわ」
「まぁ!」
優しくとりなしたリメラに、レイメリアもほほを染めて笑った。憎まれ口をたたいてもやっぱり従妹はいままででいちばん、アーネストからみて最高にかわいくみえた。
それから半年ほどたち、中庭のベンチにすわるレイメリアは白いモフモフしたエヴィの体を抱きしめて話しかけた。
「ねぇエヴィ、どうしたらグレンはおどろくかしら」
レイメリアはグレンが創ってくれたこのオートマタがお気にいりだ。すきあらば抱っこしているので、グレンは「ただのぬいぐるみでもよかったではないか!」とブツブツいっている。
「レイメリア様、何かなさるのですか?」
エヴィがたずねるとレイメリアは、師団長室にいるグレンを指さして残念そうにため息をつく。
「だってごらんなさいよ、彼ったらずっとあそこにいるのに、私のことなんかちっともみないのよ」
「グレン様が中庭をみることはないかと……レイメリア様がいかれてはどうですか?」
「それじゃ意味がないのよ。最初におどろかせてから喜ばせるのが作戦なんだから」
エヴィはモフモフした体を揺らした。
「作戦、ですか」
「そうよ。ねぇエヴィ、グレンをちょっと中庭に連れてきてくれる?」
「かしこまりました」
グレンがエヴィといっしょに中庭にやってきたとたん、彼の全身はレイメリアが咲かせたネリモラの花で埋もれた。
「何だ?」
「きみにこぼれんばかりのネリモラの花を。これ、とっておきの愛の告白よ!」
ネリモラの甘い香りに包まれて首をかしげたグレンに、レイメリアは満面の笑みで告げる。
「レイメリア……きみはこのあいだも愛を告白してこなかったか?」
「まっ、グレンたら覚えてるの。いやねぇ照れちゃうわ」
ほほを染めたレイメリアは両手で顔をおさえて、瞳をキラキラと輝かせるとうれしそうに続けた。
「あのねグレン、私妊娠したの。私たちに赤ちゃんが産まれるのよ」
グレンはビキリと固まり、何の反応も返さない。レイメリアは彼からそっと仮面をはずしてその顔をじーっと眺め、とっても残念そうに唇をとがらせた。
「こんなのってないわ」
「何がです?」
眉をさげたレイメリアにエヴィがたずねると、彼女は肩を落としてため息をついた。
「だって私が必死に咲かせた季節はずれのネリモラの花よりも、こっちのほうが彼をおどろかせたんだもの」
エヴィがグレンをみると、彼は息をするのも忘れたみたいに固まっている。
「たしかに……おどろきすぎて目がまんまるです」
「でしょう?おどろいたあとに喜ばせるつもりだったのに、ずっとおどろいたまんまよ」
「こ……」
「……こ?」
かわいらしく首をかしげてレイメリアが聞きかえすと、しばらく口をパクパクさせていたグレンは、ようやく息をするのとノドから音をだすのを同時にできるようになった。
「子どもって本当にできるんだな……」
「やだもぅ、グレンったら!」
照れたレイメリアが彼をパシンとはたくと、もともと全身から力が抜けていたのだろう、グレンの体はあっけなくネリモラの花に埋もれて沈んだ。
 









