395.彼はすっかり忘れていた
よろしくお願いします!
レイメリアと踊り終えたアーネストは、順繰りに令嬢たちと踊っていた。目でリメラを探せば、彼女は会場のすみにいてレイメリアと言葉を交わしている。
(リメラまであと三人……リメラまであと三人!)
伯爵令嬢である彼女の順番は、早すぎても遅すぎてもいけない。彼女とのダンスを終えたら、その場でひざまづいて正式にプロポーズだ!
(なんていおう……『リメラ、私の妃になってくれますか?』じゃ気どりすぎかな。シンプルに『私と結婚してください』もいいな。いや、一生に一度だぞ……『夜の精霊の祝福とともに、あふれるほどのネリモラの花をきみに贈りたい。大地に咲き誇る花のように尽きることのない愛を誓う』……うっわー、ぜんぶ言い終わるまえに照れそうだな……よしっ、リメラまであと二人!)
壁際にはケルヒ筆頭補佐官が、こっそりと用意させた婚約指輪を持ち待機している。
昨晩さんざんプロポーズの練習につき合わされ、今朝は早くから式典の準備に追われた彼は寝不足で顔色が悪い。だがもう少しもってくれ。
(もうすぐだ、リメラまであとひとり!)
ところがアーネストが気もそぞろにダンスを終えた瞬間、ズカズカと大股で彼に近づいてきた者がいる。
「失礼、アーネスト王太子殿下……本日は立太子の儀をつつがなく済まされ、エクグラシアの未来もこれで安泰ですな」
ずいっとダンス相手を押しのけるようにしてあらわれたのは、その性格の苛烈さ、手腕の強引さで悪評の高いアルバーン公爵その人だった。
「だが……さきほど大広間に王太子殿下がエスコートされたのは、わが娘レイメリアであったはず。その娘が戻らぬ……レイメリアはどこですかな?」
ギッとにらみつけるアルバーン公爵の気迫に、アーネストはヒュッとなった。レイメリアとはさっき「じゃあね」と、軽くあいさつをして別れたばかりだ。
そのあとレイメリアはリメラと話をして……リメラをみると壁際にひとり立ち心配そうにこちらをみている。レイメリアの姿はない。リメラまであとひとりなのに!
「あ……ケ、ケルヒ補佐官、レイメリアがどこか知ってるか?」
名前を呼ばれたケルヒ補佐官も、ヒュッと息がとまりそうになる。補佐官の仕事は王族を手助けすることだが、これはいくらなんでも難易度が高すぎる。
アルバーン公爵が鋭い眼光で、ケルヒ補佐官をみすえた。
「ふむ……補佐官なら会場内のことはすべて把握しておろう。娘はどこだ!」
「は、はい……ただいまお調べします!」
ケルヒ補佐官もリメラといっしょにいたレイメリアを目撃していた。すぐに会場のスタッフをあたり、レイメリアと最後に言葉を交わした人物が連れてこられた。
ペレステのソースを口のまわりにつけ、メブレイの素揚げをバリバリとかじっていた錬金術師ウブルグ・ラビルは、皿を持ったままでアルバーン公爵のまえにひきだされた。
このとき、ウブルグの口がメブレイでいっぱいでなければ、もしかしたら間に合っていたかもしれない。
バリバリバリバリ、もぐもぐもぐもぐ……ごっくん。
「すまんが、飲みものをいただけるかな」
ウブルグは口の中にあった食べものを、きちんと飲みこんでから口をひらいた。すぐにスタッフがグラスを差しだすと、ウブルグは礼をいって受けとる。
「おお、ありがたい。ふぅ……食べるのに夢中になってノドが渇いてしまった。で、私をお呼びだとか。ひさしいですなアルバーン公爵、カタツムリの生育北限について話をして以来ですかな」
「……私が話をしたのは、黒蜂をアルバーン領へ配備する件、についてだ!」
割れるような怒号でアルバーン公爵が一喝すると、ウブルグは口ひげをいじって考えるしぐさをした。
「ほむ、そういえばそんな話も合間にしましたな」
口ひげをさわったら手にペレステのソースがついた。ウブルグがていねいに浄化の魔法をかけていると、アルバーン公爵が単刀直入に切りだす。
「レイメリアはどこだ!」
「レイメリア?」
このとき、彼がすぐにアルバーン公爵の質問に答えていたら、もしかしたら間に合っていたかもしれない。
何のことかわからず首をかしげたウブルグに、ケルヒ補佐官が「〝王族の赤〟でもあられる、アルバーン公爵令嬢です」とささやく。ケルヒ補佐官はだいぶ顔色が悪い。
「ほむ、さっきの美女か!彼女にすすめてもらった料理はどれも絶品でしたぞ!」
「わが娘が錬金術師などに、何の用だったのだ」
けげんそうな顔をしたアルバーン公爵に、ウブルグはあっさり答えた。
「『師団長はどちらかしら』と聞かれたので、『休憩室にいる』と教えました」
「なんだと⁉」
アルバーン公爵の顔色が変わり、耐えきれなくなったケルヒ補佐官は指輪を持ったままひっくり返り、アーネストはプロポーズどころじゃなくなった。
――リメラまであとひとりだったのに!
レイメリアにとって王城内部は親戚の家みたいなものだ。部屋の配置から間取りまで知りつくしている。
子どものころ、アーネストを巻きこんでかくれんぼしたときは、城中大騒ぎになった。みつかったあとは父親にがっつりしかられたが、それでもレイメリアはけろっとしていた。
もしもこのときレイメリアが王城内部をよく知らず、しかも王城内を自由に移動できる〝王族の赤〟でなければ、のちのちまで語り継がれ息子レオポルドをひそかに悩ませる事態にはならなかったろう。
けれど彼女はピンポイントで座標を指定し、休憩室にあるベッドの真上に転移すると、そのままそこで休んでいた人物のうえに落ちた。
「……ぐあっ⁉」
カエルが潰れたような声をあげた男は、レイメリアの下敷きというかクッションになり、超絶びっくりした顔で彼女を見あげている。もう目がまんまるだ。
「やだ、ロビンス先生がいった通りだわ……本当に目がまんまるになるのね!」
「……ロビンス?」
ベッド脇の小机には白い無機質な仮面があり、レイメリアのすぐ前には彼女に押し倒された格好で、銀髪の……やつれた神経質そうな男の顔があった。
すぐにでも彼のうえからどかなくてはならないのに、レイメリアは初めてみるミストグレーの瞳に魅せられた。
「すてき……悪くないわ。ねぇ、あなたは『グレン』であってる?」
「そうだが……きみはだれだ?」
逆光なこともあって顔をしかめたグレンは、馴れ馴れしく声をかけてくる美女にとまどいしかない。彼は〝王族の赤〟にも興味がなかった。
「私のこと覚えてないの?」
グレンとレイメリアが会ったのは二年も前だし、今の彼女は髪も瞳も真っ赤に染まっているから無理もない。そもそも彼は名前すら覚える気がなかった。
「ともかく私のうえからどいてくれ、重い」
「まぁ、レディに『重い』だなんて。おしおきをしないとね……こんどこそ私を覚えて。ううん、忘れられないようにしてあげる」
そういうとレイメリアは自分の唇を小指でなぞり、〝おまじない〟をかけた。魔女の〝おまじない〟なんてかわいいものだ。それに恋をしたなら、いちどは使ってみたかった。
「グレンが私に恋しますように……」
「……⁉」
レイメリアが男の薄い唇に自分のそれをそっと重ねた瞬間、バタバタと足音がして休憩室の扉が勢いよくあけられた。
「レイメリアっ……グ、グレン!きさま何して……っ!」
「お父様ったら、私の告白を邪魔しないで!」
激昂したアルバーン公爵とレイメリアの派手な親子ゲンカのおかげで、休憩室の壁はふっとび調度は粉々になった。
こうしてレイメリアの記念すべきファーストキスと告白は、『三十すぎの錬金術師団長が十代の公爵令嬢に押し倒された』……とのちのちまで不名誉な形で語り継がれる珍事件となった。













