393.レイメリアとロビンス先生
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「騒ぎを聞きつけてね……ダルビス学園主任が倒れたそうだが」
声をかけてきたロビンス先生に、グレンは簡潔にこたえた。
「講義は問題なく終えた。だれか倒れたのであれば医術師を呼べ。私の知るところではない」
そのあとに起こった騒ぎのことを彼は知らない。赤くなったレイメリアの顔をちらりとみて、ロビンス先生はいった。
「そのようだね……レイメリア・アルバーン、ちょっといいかね」
そのままグレンと別れてロビンス先生の部屋にやってきたレイメリアに、椅子をすすめるとロビンス先生はお茶の用意をはじめた。
何もいわない彼の背中にむかって、レイメリアは話しかけた。
「どうして彼はあんな扱いなのですか?」
「……あんなとは、パパロッチェンを飲まされたことかね?」
聞きかえしたロビンス先生に、レイメリアは眉を寄せてうなずいた。
「彼は怒りもしなかったわ」
「だからきみが彼の代わりに怒っているのかね」
ロビンス先生は静かにいうと、水を温めるための魔法陣を展開する。
「だって彼は尊敬されるべきです。魔導列車だって転移門だって……彼はだれにもできなかった偉大なことを成し遂げたのに」
たしかにリッジたちはやらかした。グレンと接すれば、その人となりに驚くと同時に失望する。
なんだこんな男が天才錬金術師、グレン・ディアレスなのか……と。
錬金術の話はとめどなく尽きぬくせに話しかけてもろくに返事をしない、身なりはよれよれの古びたローブで、銀の髪はボサボサだ。
「彼は賞賛など必要としていないよ。それにエクグラシアは彼を師団長として迎えて王城に研究棟を与えている……じゅうぶん破格の待遇だ」
「だから軽んじられてもいいと、うとまれてもいいとおっしゃるのですか?」
リッジたちはグレンをちょっとからかってみようとしたのだろう。それにあっさりと引っかかってパパロッチェンを飲むなんて、間抜けにもほどがある。
リッジやグレンだけでなく、レイメリアは自分にも怒っていた。怒りがぐるぐると頭の中をめぐって、苛立ちがおさまらない。
「私……私は自分にも腹を立てています。だって私も彼にリボンを結んだもの……リッジたちと変わらないわ」
「たわいのないイタズラだよ。彼は気にもしていなかっただろう?」
唇をかみしめたレイメリアを、ロビンス先生は丸眼鏡の奥から穏やかにみつめて、用意したティーポットにお湯を注いだ。
彼はいつもマグに茶葉をいれた網をセットして、お湯を注ぎながら直接お茶を淹れるから、ポットを使うのはめずらしい。
「すべては彼にとって通りすぎていくものだ。彼にとって確かなものは、自分の手で創りだすものだけ……そして頭の中は『つぎに何を創るか』ということでいっぱいだ。よけいなことを考えるヒマなどない」
ロビンス先生の言葉は、レイメリアの心にずんと重く響いた。
「だから私の名も覚える価値がないと?だれひとり彼の人生には存在しないのですか?」
ロビンス先生は口を開いて何かをいいかけ、けれども何もいわずにポットをとりあげるとレイメリアと自分のカップにお茶を注ぐ。
「飲みたまえ、気持ちが落ち着く」
「……ありがとうございます」
しかたなく礼をいってレイメリアが差しだされたカップを受けとると、カップからは湯気とともにふわりとやわらかな香りがたちのぼった。
同じようにカップを口に運んだロビンス先生の、丸眼鏡が湯気でくもった。
「ふむ……いつもはマグで簡単にお茶を淹れるが、やはり香りを楽しむにはポットで蒸らすに限るな」
「…………」
だまってお茶を飲んでいると、ロビンス先生は丸眼鏡をはずしてレンズを拭き、それを日にかざした。
いつのまにか雨がやみ、雲の切れ間から差しこんだ日差しは、世界を金色に照らしていた。
「私がこうしてトラブルになることがわかっていても彼を連れだすのは、彼に人と出会わせたいからだ。ほっとけば彼は永遠に研究棟にこもって何かを創り続けるだろうからね。けれどそれではあまりに寂しい人生だ……自分のことすら気にしない彼の代わりに、だれかが彼を気にかけてやらねばならない」
丸眼鏡をもういちどかけ直すと、ロビンス先生はレイメリアを真正面からみつめた。
「まさかそれが、きみだとはね……レイメリア・アルバーン。私はきみが彼のよき理解者になってほしいとは思うが……だがそのためにきみが自分の人生を、犠牲にする必要はないと考えている」
レイメリアが息をのむと、ロビンス先生はゆるく首を振った。
「彼に関わるには覚悟がいる。きみからみた彼はちょっとドジな天才肌の男かもしれないが、紛れもなく王都三師団の師団長たちのひとりだ。彼には情などない。不要となれば容赦なく切り捨てる……そういう冷徹さだってある」
「私のことなど、眼中にもありませんものね」
それが何より哀しい……レイメリアが眉をさげると、ロビンス先生は複雑そうな顔をした。
「ちゃんと覚えているよ、レイメリア・アルバーン。彼はきみのことも認識しているし、わかっている。さっきの会話が聞こえたが、彼はきちんときみの本質をいいあてただろう?」
「……ええ」
うなずいたレイメリアの瞳に、またもや炎が渦巻いた。狂おしいほどの渇望……ちゃんと私をみてほしい。私の名を呼んでほしい……少しは望みがあるのだろうか。
ロビンス先生はまばたきをしてその炎を見つめ、やがてため息をついて彼女に言い聞かせた。
「彼自身はそうと気づかずにトラブルを起こす。まともにつきあえば振り回されるよ、私のように」
だだっ子に言い聞かせるような口調に、レイメリアはかわいらしく唇を尖らせた。
「ですが……ロビンス先生は、それらのことをとても楽しそうに書いていらっしゃったわ」
本で読んだ彼の文章はキラキラと輝いていて、そのなかで錬金術師は強い存在感をはなっていた。まるで彼の周囲だけ世界の色がちがうみたいだった。
ロビンス先生はお茶を飲みながら、茶目っけたっぷりにウィンクをした。
「いったろう?私は彼のことが好きなんだ……彼との毎日は刺激的で、一日として同じ日はなかった。なにしろ何を考えているか皆目わからない相手と過ごすのだからね」
「彼がみている景色を私もみてみたいわ……ロビンス先生みたいに」
「ふむ……こう考えたらどうだろう、彼にみえている景色を無理にのぞきこもうとせず、きみはきみが美しいと思うものをみつけて、彼に教えてあげればいい。彼はきっと驚く。彼が驚くと本当に目がまんまるになっておかしいんだ。その顔をみたら私は怒ることも忘れて、つい笑ってしまう」
無理に背伸びをする必要はないといいたいのだろう……優しくいいくるめられているような気がして、レイメリアは抗議した。
「ロビンス先生、ずるいわ。私、彼のそんな顔……みたこともないのに」
「はてさて……ともかくきみには時間が必要だ。まずは彼に名前を呼ばれるほどの魔術師になりなさい。でなければ永遠に『五年生』のままだ。それにきみが力をつけなければ、彼のことは守れないだろう」
「時間がかかりすぎです」
彼女の文句に肩をすくめたロビンス先生は、ため息をつくと天を仰いでいいかえした。生徒が引き起こす厄介事には慣れているが、できたら卒業後にやってほしい。
「文句をいわずにやりたまえ。だいじょうぶ、彼ぐらいの歳になれば数年たったとしてもシワの数はそう変わらん。できればその間にきみが、心変わりしてくれることを祈るよ」
ロビンス先生といろいろ話してスッキリしたレイメリアが寮に戻ると、リッジたちが待ちかまえていた。
「あの、レイメリア……昼間のことは本当にごめん。まさか彼が……でもあの、もしそうなら考え直したほうが……」
リッジの言葉を手をあげて制したレイメリアは、学園一の美少女……という呼び名にふさわしい、可憐で愛らしいほほえみをにっこりと浮かべた。
「いいわ、許してあげる」
その笑顔のままでドスッと一撃、リッジのみぞおちに喰らわせる。リッジもアーネストと同じく竜騎士志望だから、拳の強化もこのぐらいだろうか……腹を押さえたリッジは声もなく崩れ落ちた。
「私もまだ学生だしキチンと卒業したいもの。つぎにこんなおふざけを私のグレンに仕掛けたら、あなたのだいじな子種ごとタマを燃やしてあげるわ」
この時点でべつにグレンはレイメリアのものではないが、こういうのは機先を制するにかぎる。
そしてレイメリアの宣言は事実上、アルバーン公爵家からアンガス公爵家への宣戦布告に等しかった。
「でも私、あなたのこともだいじなクラスメートだと思ってるから、このことは父には内緒にしておくわね」
アルバーン公爵の苛烈さはだれもが知っている。〝社交のアンガス〟に〝魔力のアルバーン〟……ふたつの公爵家がぶつかりあったら国が割れる。震えあがったリッジは声もだせぬまま、必死にコクコクとうなずいた。
――マジで父には内緒にしておかなければ。父が知れば王家が擁する師団長であろうと、怒ってグレンを消しかねない。
そう考えたレイメリアは、さっさとリッジの口を封じたのだ。









