369.氷のうえでの会話
知りたいと言われて素直に答えられるかというと……。
「わたし……のこと?」
「きみを知るためにはまずグレンのことを知らねばならない……だからこんな格好もした」
レオポルドは自分のヨレヨレになったローブをつまんだ。ちゃんと術式がほどこしてあるから暖かいはずだけれど、見た目はなんだか寒そうだ。
「わたし、のため……」
「グレンについて知りたいだけなら、わざわざここまでやってこない。こうやってエルリカの街を歩けばグレンのことが知れる。だがきみの話はひとつもでてこなかった」
「……どこまで知りたいの?」
わたしは彼とつないでいた手をはなして、オーロラのしたを滑っていく。
怖がるよりも思いきってスピードをだしたほうがバランスもとれる。
大気は吐く息が凍りそうな冷たさなのに、さきほど飲んだクマル酒のせいか体の芯はポカポカしている。
歩くというよりも重心を移動する感覚で体を起こし、ただ慣性で滑っているとすぐに彼が追いついた。
「すべて……といったら?」
「…………」
もしもすべてを知ったとして、彼はどうしたいんだろう。
銀の髪が風になびき仮面をはずした彼の顔は、透きとおるような美しさで呼吸をとめてみつめたいぐらいだ。
こんなときに余計なおしゃべりなんていらないのに。
「じゃあ、教えっこしようか。わたしにもレオポルドのことを教えてよ」
わたしが逆に問いかけると、彼は困ったような顔をした。
「私自身のことは……教えられることはあまりない。子どものころ母を失い、居住区からアルバーン公爵家にひきとられた。魔術学園で魔術の勉強をして魔術師団にはいり師団長になった……それぐらいだ」
「何にもないってことはないと思うよ、二十三年分だもの。ソラのことみたいに忘れていることもあるかも」
さきほどまで夜空一面にひろがっていたオーロラがふっと消えた。
宇宙の暗闇に元どおり銀河が流れ、無数の星がまたたく。
冷えこみは一段と増し、川を滑る人はだんだんと減ってきた。
わたしは春休みにテーマパークから夜行バスで帰る途中で事故にあい、この世界に飛ばされて。
そうでなければ受験して今ごろは大学生になっていた。講義を受けてバイトして……就職のことも考えたりして。
きっともっとちがうことを考えて、ぜんぜんちがうことを心配してたろう。
わたしはどうしてあの世界で大人になれなかったのだろう。彼に出会うことなんてなかったはずなのに。
目の前にいる銀髪の人は、この世界にわたしを喚んだ人にやはり似ている。けれどその答えをくれるわけじゃない。
「わたしが知っているあなたはね、えらそうで尊大な態度をとって、いっつも眉間にシワを寄せてるの」
わたしが自分の眉間に指をあててそういうと、彼はとまどったように眉をひそめた。
「でもライアスがあなたは『努力家で辛抱強い、尊敬できるし頼りになる男』なんだって教えてくれた」
「ライアスがそんなことを……」
「それにオドゥからみたあなたは『危なっかしくてほっとけないヤツ』なんだそうよ。秋祭りに連れだして屋台で買い食いしたら、舌をヤケドしたって」
べつにいまヤケドしたわけじゃないのに、彼は口元を押さえて遠くをみた。軽く目をつむってため息をつくとゆるく首をふる。
「オドゥまで……そうだな、私はあいつの世話になりっぱなしだ。無事に学園を卒業できたのはあいつのおかげだ。それ以外にもいろいろと教えてもらった」
だからこそ彼のなかにあるためらいが感じられて、わたしは彼の横顔をみあげた。
「あとマリス女史は『律儀な人』だって。どんなに機嫌が悪くても、席をはずすときはどこにいくかちゃんと教えてくれる。バルマ副団長は『しっかり観察してる』って。無関心にみえて魔術師たちのことを細かく把握してる」
「……それが仕事だ」
彼が目を伏せると長いまつ毛が黄昏色の瞳に影をつくる。
グレンの古びた白いローブに身を包んだ彼は、瞳以外はすべて氷の精霊みたいに真っ白だ。
無言になった彼が怒っているのかどうか、その無表情な顔からは判断がつかない。
彼の声が聞きたくて、わたしは質問をした。
「……あなたが知っているわたしはどんな人間なの?」
彼は出会ってからのことを思いだすように、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「……何を考えているかはわかりやすい。好奇心も旺盛でたくましいと感じる。いつもいきなり飛びこんでくるくせに、自分が満足するとすぐにいなくなる。風のようにとらえどころがなく、自由でそして不安定だ」
「風のようだな……って前にもいわれたことがあるよ」
「ああ……まるで手を伸ばして捕まえれば、消え去ってしまいそうな気になる」
彼が腕をのばして手袋をはめた手でそっとわたしの髪にふれる。
「私が知る母の姿は〝王族の赤〟をまとい、炎のような髪が風に踊っていた。瞳も赤くて……だからお前が似ているといわれてもしっくりこない。けれどグレンにとってはそうではなかったかもしれん」
レオポルドは髪にふれた自分の手をみつめた。
「いまでも疑問に思う。なぜ母が父のような男を選んだのかと……ほかにいくらでも選びようはあったはずだ」
「でも、そうしたらレオポルドだっていなかったんだよ?」
「……そうだな」
彼は重くて深いため息をついた。それが彼にとって何よりもいとわしいのだとでもいうように。
「ええと、わたしが知ってるグレンはね、偏屈だったけど嫌な人ではなかったよ」
「王都ではそうではなかった。研究棟の錬金術師にとっても……聞いてみるといい、グレンがどんな師団長だったか。錬金術師たちもいまのほうが、よほど生き生きと働いている」
「そうかな、だとしたらうれしいけど……わたしは自分が暮らしやすいようにしているだけだから」
わたしはグレンのように何か目的があるわけじゃない。ただ王都で生活していければいいだけで、それが快適であるにこしたことはない。
何か成し遂げたいわけでも作りたいものがあるわけでも……と考えて思いだした。
「あのね、オドゥに聞いた話ではグレンが描いた設計図があるそうなの。レオポルドの杖を作るための」
「グレンが……?」
レオポルドはおどろいたように目をみはった。やっぱり……オドゥはその話を彼にはしなかったんだ。
「うん。でもわたしはそれをみたことがないの。デーダスでそれを探したいと思って」
「あいつ……帰ったらやっぱり締めあげたほうがいいな」
レオポルドは黄昏色の瞳で虚空をにらみつけた。
オドゥにとっては帰ってこないほうがいいのかも。









