361.竜舎にて(ライアス視点)
今回はライアス視点のお話。
対抗戦で負けて以来、なんとなく彼女のところへ顔をだしづらくなっていた。
錬金術師団でも茶会に備えてみながあわただしく、忙しそうだったのだ。
そんな俺のことを気にしたのか、きょうは彼女のほうから「ミストレイの顔をみにきたよ!」とやってきた。
「ネリア、いつもと雰囲気がちがうな」
「そう?ローブも新調したしね!」
くるっと回って見せる彼女の白いローブのすそがひるがえった。
新調したばかりという白いローブは彼女によく似合っていて、それでも俺は彼女のなかに〝ネリィ〟の面影をさがす。
王城前広場で少し不安そうな顔で自分を待っていた……五番街の店でも緊張したようすで自分をみあげた小柄な女性を。
「よく似合ってる」
「うん、ありがとう」
照れたように笑った彼女は、先日おこなわれた〝王太后の茶会〟の話をはじめた。
「そうか、王太后の茶会はうまくいったのか」
「うん……わたしね、ホントはもう〝ネリィ〟ができなくなっちゃうなぁ……って覚悟してたの」
「えっ?」
でてきた〝ネリィ〟の名前に思わず聞きかえすと、彼女はリメラ王妃の話をした。
『ネリア・ネリス……あなたが今後もこの国で錬金術師として生きていくつもりなら、どのような未来を選ぶにしろ、いずれはその仮面をとるべきです。エクグラシアは喜んであなたを迎えいれます』
リメラ王妃はわざわざ研究棟までやってきて、そう彼女を説得したのだという。
俺は彼女がそんな覚悟を決めていたことに軽くショックを受けた。
顔をだして活動するということは、いままでみたいに気軽に〝ネリィ〟として過ごせなくなる。
もちろん〝ネリア・ネリス〟を誘えばいいのだが……錬金術師団長である彼女を前のように連れ歩くのはためらわれた。
「でも結局、レオポルドが機転を利かせてくれたおかげで、いままでどおりでいい……ってことになったんだけどね。逆に仮面とれなくなっちゃったよ」
自分はレオポルドの母、レイメリアに似ているのだ……と彼女はいった。
茶会に集まっていたのはレイメリアを知る貴婦人たちばかりで、レオポルドは彼女をレイメリアと思わせるようにふるまったのだという。
「どうしてそんなことを……」
ミストレイをなでながら、彼女は考えこむようにしてつぶやいた。
「……〝ネリア・ネリス〟を架空の人物にしておきたいのかもね」
「きみは、ここにいる」
「うん……」
白いローブに包まれた華奢な肩に細い首……ふわふわとした赤茶の髪は風に踊り、何度もみてきた繊細な横顔は遠くをみつめている。
だけど俺はきみのことを何も知らない。
好奇心旺盛で食べるのが好きで元気いっぱいな〝ネリィ〟、だけどオドゥを動かし錬金術師たちを率いて、竜王を地に落としたのも彼女……〝ネリア・ネリス〟だ。
そして俺はどこかで〝ネリィ〟を彼女とつなげられないでいる。
自分の心に湧いた想いを打ち消すように、その横顔にむかって呼びかけた。
「そうだネリア……こんど家に遊びにこないか?オーランドもいるし、俺の家族はみんなきみを歓迎するだろう」
おどろいたように黄緑の目をみひらいてから、彼女はさびしそうに言った。
「ううん、やめとく……でも誘ってくれてありがとう」
まただ……。家族の話をすると彼女はさびしそうな顔をする。
エンツで話していたときは気づかなかった。
研究棟に通い中庭で話をするようになって、ようやく気づいたことだ。
自分の話を楽しそうに聞き、ふっとさびしそうな顔になる。
そのようすから、なんとなく彼女にも兄弟がいるのだろう……と思った。
聞かせてほしい……というのはためらわれて、そのままにした。
やはり聞くべきだろうか……と考えたとき、彼女は話題を変えるように明るい声をだした。
「あのね、レオポルドともだいぶふつうに話せるようになったの。ライアスのおかげだよ!」
「そうか……」
あいづちをうつと、彼女の顔がパッと明るくなった。
「最初は怖いひとだと思ったんだけどね。なんだかんだでいつも助けてくれるの」
「あいつは面倒見がいいだろう?」
「そうなの!でも態度があんなでしょ?なかなか素直にお礼もいえないんだ……」
「べつに気にすることはない。自分にとって負担ならあいつだって手を貸さない」
俺は答えた。彼女が困っているときに、俺なら気づいて手を貸してやれるだろうか……と考えながら。
「うん。そうなんだけどね……無意識に甘えちゃいそうで、気をつけなきゃって思ってる」
きみは気づいているだろうか、さっきからあいつの話ばかりしていることに。
ただ心に浮かんだことをとりとめもなく話す……その感覚には覚えがある。
俺もあいつにそうやってきみの話ばかりしていた。
厄介なのはおよそ感情が揺らぐことはないだろう……と思えたあいつにも、きみに関わるときだけその揺らぎが見えるようになったことか。
つねに一歩引いた位置から物事をながめているようなやつだった。
関心があるのは魔法陣や術式……精緻で複雑な陣形もかんたんに紡ぎだし、強い魔力で事象をあやつる。
それでいて喜びも悲しみも、自分のことは見せようとしない。
まるで喜びはすべて消え去るとでも思っているように。
まるで悲しむことは負けだとでも思っているように。
追われるがごとく仕事に打ちこむのは、そうしないと自分の居場所を失うからか。
感嘆すると同時に思ったものだ。
俺にはあそこまではできない。
戦いのなかであいつは、自分の体が砕け散ろうと気にしない。
何も守ろうとせず、ただ望む結果を得るために突き進んでいく。
帰るべき場所を持たず待つ人もいない……そんなあいつの戦いかたは、帰ることすら望んでいなかった。
だから俺はモリア山であいつにきみの話をした。
表情ひとつ変えずにそれを聞いていたあいつを見て、俺は残念に思っていた。
こいつはきっと、このようなささいなことで感情を揺るがせるようなことはないのだと。
開けっぴろげで物怖じせず、どこまでもまっすぐにぶつかってくるきみに、あいつが調子を崩されて苛立っているのはわかった。
苛立ちのむこうに透けるあいつの感情に気づいたのは、いつからだったろうか。
そんな相手があらわれたのは、あいつにとって好ましい変化だと思うと同時に、俺はそれに嫉妬している。
二人の間にどんなやりとりがあったか知らないが、きみはあいつを信頼するようになった。
それは俺も望んだことだ。
あいつも以前よりはだいぶ打ち解けて、穏やかにきみに接するようになった。
それは俺も望んだことだ。
彼女が帰ったあとの竜舎で、俺は防具を身につけた。
「レオポルド、俺とお前……先に正直になるのはどちらだろうな。ミストレイ、つきあってくれ……ひさしぶりに遊ぼう」
ライアスも大事な登場人物なんです。












