35.師団長室でコーヒーを
ブクマ&評価ありがとうございます
ユーリがコーヒーを飲みながら、クックックッと堪えきれないように笑いだす。
「うーん、ソラの事もですけど……なんて言ったらいいのかなぁ、今回やった薬草系の依頼って、カーター副団長の『嫌がらせ』だと思いますよ。ひたすら大量の防虫剤作りと、面倒な遠征用ポーションを何種類も作るって。でもネリアには、嫌がらせにすらならなかったというか……軽くこなしちゃうんだもんなぁ」
「あれ、嫌がらせだったの⁉︎」
叫ぶように聞き返すと、ヌーメリアがコクコクと必死な顔でうなずく。おおぅ……。
「……ほらね。なんかもうおかしくて」
ユーリはくつくつと笑う。
「さっき素材庫がスカスカだったでしょ?あれもきっとカーター副団長が、持ちだしてますよ。稀少な素材は師団長室にあるけど、それ以外は自由にできますからね」
「よ……予算……もカーター副団長が……に、握ってます……」
「錬金術師団の実務を取り仕切っているのがカーター副団長でしたから。さっきの防虫剤作りなんて、予算まわしてもらうための地味な下請け仕事ですよ」
今不在の錬金術師たちが研究棟にそろったとして、次に問題になってくるのは素材不足、予算不足だろう。
「錬金術師団・魔術師団・竜騎士団合わせて王都三師団と言われますが、実戦にでる魔術師団や竜騎士団にくらべると、裏方の錬金術師団は元々扱いも小さいんです。割かれる予算も少ないですし」
「そうなんだ……」
「僕たち錬金術師も個人個人でスポンサーつかんで、援助してもらって自分の研究続けてるんですよ……予算的にはいつも厳しいです」
錬金術師たちが実績を残すためには、〝何か〟を創りださなければならない。
デーダス荒野にいたときは考えもしなかったけど、実験が失敗したり、できたとしても役に立たない物だったとしても、『何か』を創りだすには素材も研究費もかかるのだ。
「でもネリアがのんびりした人で良かったです」
「ん?」
ユーリは口角を上げ笑みを浮かべると、わたしを正面から見据えてきた。
その静かに観察するような視線は、さっきまでの快活な表情とは打って変わって、どこか挑むような鋭さがあった。
「だってソラの主になったネリアは、ソラの力を使えばこの国なんて簡単に乗っ取れますよ?それを錬金釜かき回させてるとか……ふふふ」
「乗っ取るって……そんなことしても誰も幸せにならないもの」
「幸せ、ですか」
ユーリがぱっちりした二重の瞳を瞬く。
「そうよ、自分の仕事が誰かを幸せにするって言うのが大事なの!誰かを幸せにできるんなら、それは立派な仕事なんだよ!」
「へぇ……そういう考え方もあるんですね」
「だから防虫剤作りだって、わたしは好きよ?大事な服に穴が開いたら、悲しむ人だっているでしょう?ユーリの仕事は誰を幸せにするためのものなの?」
ユーリは虚を突かれたような顔になった。
「幸せにですか?そんなの考えたこともなかったな」
「じゃ、考えて。グレンも『自分が間違ってた』って認めたよ?自分の錬金術が誰を幸せにするか考えなかったのは、『間違い』だった……って」
「グレン老が、ですか」
ユーリが、言葉の意味を咀嚼するように呟き、何度か目を瞬かせる。
「そうよ」
「自分の錬金術が、誰を幸せにするか考える……」
ユーリもわたしも、コーヒーを手にそれぞれの物思いに沈む。わたしはグレンとの会話を思いだしていた。取り留めのない日常のひとコマ、ちょっとした言い合いの記憶。
『風呂なんぞ作って何の意味がある!』
『もーっ!意味はあるの!わたしが幸せになるんだからっ!誰かを幸せにできるんなら、それは立派な仕事なんだよ!』
……ああ、そうか。
あんなに『お風呂』には無関心だったグレンが、わたしのために『じゃくじぃ』を作ってくれようとしたのは。
グレンは、わたしを幸せにしようとしてくれたんだ……。
突然、それまでうつむきがちで言葉少なだったヌーメリアが、思い詰めた顔をして口を開いた。
「すみません!わ……私、無理!……です……」
「ヌーメリア?」
「わ、私……あんなっ……あんな『ちょぉ』何とか……無理ですし、で、できませんっ!……十年間、『毒作り』ばかりしてた……『誰かを幸せにする』なんて無理!何の役にも立たない人間です……なので、もう……」
うつむいてしまったヌーメリアを見て、わたしはユーリに尋ねた。
「ユーリ……あなたから見て、ヌーメリアの『錬金術師』としての実力は『何の役にも立たない』ものなの?」
「そんな事ありませんよ!仕事は丁寧ですし、日常業務はきちんとこなしてました。今この状態で抜けられると困ります!」
「でも……でも……私は弱い人間です!不安で仕方がない……『毒』がないと怖い……」
「……ヌーメリア」
呼びかけると、ヌーメリアはびくりと肩を震わせた。
「あのね、ヌーメリア、人間は誰か人をあやめようと思ったら、紐一本でも人が殺せるんだよ?『毒』なんて必要ない。ヌーメリアは『毒』を作ってはいたけれど、結局人に使うことはなかった……それは貴女に人を害する意思はなかった……って事じゃないの?」
「それは……違います……それは単に私に勇気がないから……私に『毒』を使う勇気がなかったから……!」
「それならそれで、貴女の気の弱さが『長所』になったって事だよ。慎重さって大事だからね」
「私の気の弱さが『長所』……」
「それにね、むかし貴女が酷い目にあった時に、誰が貴女を守ってくれたの?」
ヌーメリアは、喉の奥を引きつらせて、声を絞りだした。
「そんなっ、そんな人……居ません!」
そんな人が居たならば、『研究棟』の地下に引きこもって毎日『毒』を作り続けるような人生にはなってないだろう。
「だったら、弱い者が『毒』で身を守ろうとするのは、当たり前の事じゃないかなあ?ヌーメリアは幼い自分の身を守るために『毒』を作り続ける必要があったんじゃないの?」
「当たり前の事……」
ヌーメリアは灰色の瞳を瞬かせた。今は涙がこぼれ落ちそうに目が潤んでいるから、光の加減で銀色にも見える。
わたしはコーヒーをそっとすすった。ソラの煎れるコーヒーは、焦げたような苦味がなく、豆の甘さがしっかりと味わえる深みのある味だ。うん、美味しい……。
「ヌーメリア、確かに『不幸』な人間が、『誰かを幸せにする』のは無理だと思う」
コーヒーから顔を上げて、まっすぐに灰色の目を見つめると、ヌーメリアはビクッと身を震わせた。
「でも今のあなたは成人していて十年のキャリアを持つ国家錬金術師……『運命』を捻じ曲げる力を持つ者……」
ヌーメリアが目を見開いた。自分の事をそんなふうに考えたことなんてなかったんだろう。
「ヌーメリア、師団長として命じます。過去の自分と向き合って。そして錬金術師らしいやり方で、自分の〝運命〟を捻じ曲げておいで」
「〝運命〟を……捻じ曲げる……」
「そう。うまくいったら、わたしが『風選』も『凍結乾燥』も『超臨界流体抽出法』も、やり方は教えてあげる。要は素材を壊さないように、有効成分を取りだすための手法だから」
実は彼女にはやってもらいたいことがある。
「……そしたらねヌーメリア、『毒』を『薬』に変えてみない?」
「『毒』を『薬』に……ですか?」
「うん。わたしは作ったことないんだけど、心臓発作を起こす毒からは『心臓の薬』ができると思う。『溶血毒』から『血栓予防の薬』も。キノコ毒は主に『神経毒』だから、『鎮痛剤』や『麻酔薬』が作れるかもしれない」
ポーションは便利だけれど、作れる量には限りがある。
治癒魔法も術者が限られているうえに、効くかどうかは術者との相性もあるらしい。
『道具』としての『薬』を低コストで大量に作りだすことができたら。
それにヌーメリア本人は物静かで、どちらかというとおとなしい人だけれど、彼女の作る『毒』が誰か他の人の手に渡ったら?第三者がそれを使ったとしたら?
放っておくのは危険だし、何より彼女に『毒』を作り続けるような怯えた人生を送らせたくない。
しばらく考えてから、ヌーメリアはぽつりと呟いた。
「私に……できるでしょうか?」
「うん。だから行っておいで……わたし、待ってるね」
ヌーメリアは笑みを浮かべた。泣き笑いのような微妙な表情だけど、それが彼女の見せたはじめての笑みだった。
「そうしたら……また、ここで……師団長室で……コーヒーが飲みたいです」
ありがとうございました。
次回はライアスとレオポルドが登場します。