33.防虫剤を作りました
化学と錬金術の融合的な…適当ですけど。
「さっすが、王都の錬金術師団!立派な工房ね!」
『研究棟』の一階にある工房は、素材庫も備えていて、師団長室にあるドアからも出入り自由。稀少な素材は師団長室の奥の素材庫に別に保管してあるけれど、工房の素材庫の素材は、『研究棟』に所属する錬金術師なら誰でも自由に使っていいらしい。
王都に到着して、『研究棟』はほぼ無傷で開放されたし、師団長室をはじめとして錬金術師団のあちこちで発動していた封印も、ソラと契約をすませた事で解かれた。
多少グリンデルフィアレンの灰を被ったし、入り口付近は竜騎士団に壊されたけれど、業務には支障がない。
ところが、王都錬金術師団六名のうち、ウブルグ・ラビルとヴェリガン・ネグスコは、竜騎士団にまだ拘束されていたし、オドゥ・イグネルは不在、副団長のクオード・カーターは非協力的……で四名は使いものにならない。
というわけで今工房に居るのは、見た目十四~五歳(でも本当は十八歳)……のユーリ・ドラビスとヌーメリア・リコリス、師団長の肩書きはあれど新入り……のわたしの三名のみ。
ユーリは短い赤い髪にぱっちりした二重の赤い瞳をもつ、快活な印象の男子だ。
この国は十八歳が成人なので、成人男性ということなんだろうけど、背丈はわたしと同じぐらいだし、どうみても十四~五歳の可愛い男の子に見える。
「ユーリはわたしが師団長でも気にしないの?」
と尋ねたら。
「僕、長いものには巻かれる主義ですから。正直師団長が誰かなんてどうでもいいですし」
と、にこやかに言われた。わぁ、正直。
「それに、グレン老に誰よりも近しかったネリス師団長の錬金術に興味があります!」
心なしかギラギラした目で言われた。いいね、知的好奇心!若者に興味を持ってもらえるのはいい事だよ!……ちょっと怖いけど。
「ネリアでいいよ……とりあえず、急ぎの仕事だけ片付けていこうか……ユーリは何が得意?」
「僕は魔道具とか機械系が……逆に薬草とかポーション系は苦手です。そっちはネグスコとリコリスの得意分野ですね」
一応、ユーリは機械系に強いウブルグ・ラビルについていたらしい……でもあの人、『カタツムリ馬鹿』なんで正直勉強になったかというと微妙で……と苦笑しながら言われ、なんだか気の毒になった。
カタツムリの蠕動運動とか巻貝の構造とか面白いけどね。そればっかりでもねぇ。
「『素材錬成』は?錬金術の基本だけど」
「……ひと通りはやりますけど、カーター副団長やイグネルが得意ですよ。あのふたりはオールマイティに何でもやります」
イグネル……オドゥ・イグネルかぁ、ウレグ駅に居た人だけど、正直印象が薄い。確か眼鏡かけていたっけ。
さて『研究棟』の工房だけど、錬金術師達がここで共同で作業を行うことはほとんどなかったらしい。
ユーリとウブルグが三階に、クオードとオドゥが二階に、ヴェリガンが一階に、ヌーメリアが地下に部屋を持ち、それぞれ自分の研究室にこもって錬金することが多かったそうだ。
「じゃあ今回はわたしがヌーメリアと一緒に薬草系を片付けるわ。ユーリには、魔道具の修理とメンテナンスをお願いするね」
「はい」
わたしは来ている薬草系の依頼のリストを眺める。
『王城の各部屋に置くクローゼット用防虫剤』『部隊遠征用の携帯ポーション各種』……。
ふむふむ……防虫剤は大量に要りそうね……。灰色の髪のヌーメリアが、レシピノートを恐る恐る差しだしてきた。
「こ……これが、いつも作る『防虫剤』のレ……レシピです」
ヌーメリアったら、そんなびくびくしなくてもいいのに。わたしはレシピにざっと目を通す。薬草から虫が嫌う成分を精油で取りだして、防虫剤に加工しているようだ。
厳密には防虫剤作りは錬金術じゃないけれど、工房があることもあって、王城の家政部門から頼まれる事が多いらしい。
虫が嫌うシトロネラールのような成分を含む素材を、ソラとヌーメリアに手伝ってもらって、素材庫からあれこれ引っ張りだす。クローゼットに置くのだから、香りづけや消臭効果のある成分も入れたい。あれこれ取りだしていたら、作業机が山になった。
「こんなもんかな」
風魔法でふわりと素材を浮かせ、素材についている細かいゴミを吹き飛ばし、選別する。水で洗うより早いし、素材を痛める心配もない。きれいになった所で、凍結魔法で一気に急速冷凍し、風魔法で気圧を調整し、さらに乾燥、粉砕していく。
粒子の大きさを揃えるのが、仕上がりが均一になるコツだ。この間、わたしは素材に手を触れることはない。素材のまわりにいくつもの魔法陣を発動しながら、細かい術式を手早く調整していく。
(温度はマイナス八十セシまで下げて……えーっと粒子の大きさは〇・五ナムに統一)
錬金釜の中に入れた大量の素材の下準備を終え、ふと目をあげると、ヌーメリアが目を丸くして呆然とこちらを見ていた。ユーリも手元が止まっている。
「早い……」
「……もしかして今まで素材って、手で刻んでた?」
「は、はい、手も器具も薬草臭くなるし、量作るのは大変だったし、器具の洗浄も浄化魔法を使うとはいえ面倒で……」
そういえば、グレンも最初驚いていたっけ。風で素材からゴミを取り除いたり、『凍結乾燥』なんて地球の知識だもんね。
目が離せないのは分かるけど、ユーリ君……自分の仕事もしてね?
「ヌーメリア、精油の抽出は『水蒸気蒸留』でやってる?」
「は……はい、じょ……蒸留装置ならあります」
「今回は水蒸気蒸留ではなくて……『超臨界流体抽出法』を使って精油を取りだします!」
「ちょ……?」
「んーとつまり、二酸化炭素に高圧を加えることで液体でも気体でもない『超臨界』の流体にして、物質を溶解することで、速やかに成分の分離・抽出・濃縮を行うんだけど」
「???」
うーん……『二酸化炭素』の説明からしないといけないか……。まぁ、お互いの知識のすり合わせはおいおいしていくとして、『超臨界流体抽出法』、やってみようじゃないの!
元の世界では専用の設備が必要だから、『超臨界流体抽出法』なんてとても個人レベルでできるようなものではないけれど。
ふっふっふ。でもここは錬金術が使える世界だからね!しかも目の前には超便利な万能錬金釜がある!グレンにさんざん使い込まれ、低圧でも高圧でも、こちらのワガママに自在に対応可能だ。
錬金術師は錬金釜の内部の『空間』と『物質』を、『支配』する事ができる。
錬金釜の上に魔法陣を敷き、『物質指定』して二酸化炭素を集める。錬金釜内部の圧力をどんどん上げていくと、臨界を超えた所で、液体でもない気体でもない、『流体』と呼ばれる状態になる。
流体には非常にものがよく溶ける!これね、火も使わないし室温でできるんですよ!しかも二酸化炭素は圧力を下げればそのまま放出できるから分離も濃縮も簡単!超便利!
こんなふうに錬金釜を使う人は居ないけれど、錬金釜自体が魔道具なので、結構無茶な注文にも応えてくれる。
そんな面倒をかけずとも魔力で素材から直接成分を取りだせば簡単では……?と思うかもしれないけれど、自然界のさまざまな構成要素からできている素材から、魔力のみでひとつの成分を取りだすのは効率が悪いうえに、疲れる。グレンなら無理矢理やってたかもしれないけれど。
この方法なら成分の抽出自体にはほとんど魔力を使わないし、水蒸気蒸留より早い。
取り出した精油に、他に香りづけや消臭効果のある成分をブレンドして、基剤に滲み込ませて成型。
防虫成分が徐々に放出されるようにゲルタイプでもいいけれど、見慣れない形だと扱いに戸惑うかもしれないから、タブレットタイプにする。型から取り出して薄紙に包んで完成だ。
これひとつで半年はもつから、衣替えにも十分だろう。成型と取りだしはソラに、製品チェックはヌーメリアにやってもらう。
ソラが助手として大活躍!見た目は子どもを働かせているようで気がひけるけど、なんだかんだ言ってソラはわたしを抱き上げられるぐらい力持ちなのだ。しかも手先も器用で指先の細かい動きを見ていると、本当に感心してしまう。
ソラの体はグレンが作ったんだよなぁ……これでご飯もいらないって凄いね。時々魔力をあげる必要はあるけど。
「うん、なかなかいい出来」
爽やかな柑橘系の香りが漂う、防虫剤ができた。
防虫剤作りがひと段落して顔を上げると、工房の入り口にクオード・カーターが居て、こちらを食い入るように見つめていた。
(ひぃいいいい、目つきがマジすぎて怖いよぉ)
クオードはわたしと目が合うと、無言のまま去っていった。
これはまだ、協力してもらうのは難しいかなぁ……。