30.じゃくじぃ
マッグガーデン様よりコミカライズ決定!WEBコミック『MAGKAN』にて月刊連載されます。
目が覚めてしばらく、ここわたしは自分ががどこにいるのかだか分わからなくて、見慣れない天井を見上げてぼんやりしていた。明るい日差しが窓から射しこんでくる。
「ネリア様、お目覚めですか?」
かけられた声にハッとして身を起こし、キョロキョロとあたりを見回せば、水色の瞳をしたソラと目が合った。
「ソラ! そうだ師団長室を開けて……」
「ここはグレン様が暮らしておられた居住区です。ご朝食をお持ちしますね」
わたしはぺったんこのお腹をさする。 きのうは食べずに寝ちゃったから、 起きていきなりお腹がペコペコだ。
すぐにソラが準備した焼き立てのパンとスープ、目玉焼きにベーコンと温野菜が添えられて運ばれてくる。
「グレン様がいつも召し上がるメニューでご用意しましたが、なにかご希望があればおっしゃってください」
「ありがとう」
ベッドで朝食とか……なんなのこの待遇。あ、師団長様だった。
「え、毎朝こんな感じなの?グレン爺、王都でこんな暮らししてたの⁉」
ううう、気をつけなきゃ。これが当たり前になると勘違いしそう。
「……おいしい!」
モグモグしているとソラが流れるような美しい所作で、お茶を淹れてくれる。人間離れした繊細な美しさの横顔と、その手つきにみとれてしまう。
うわ、これは一度味わってしまったら、抜けだせないかも。
「どうぞ、ネリア様」
お茶を受け取りながら、気になったことを聞いてみる。
「ソラって男性? 女性?」
ソラはこてりと首をかしげたけれど、まばたきをしてすぐに答えてくれた。
「精霊のソラに性別はございません。生殖活動もしないのに、体をそこまで作りこむのは面倒だとグレン様が」
「なるほど……でもなぜ精霊がグレンと契約して人形の中に?」
「……グレン様に『人間ごっこをしてみないか?』と誘われました」
「人間ごっこ……ソラも楽しんでいるってことかな?」
「はい」
実体を持たない精霊は自由なもので、人間とは感覚が違うから、ソラが何を考えているかはよくわからない
でもきっとグレンとの契約は、寿命の長い精霊にとって気まぐれのようなものだろう。
彼らが人間と契約を結ぶこと自体まれで、今はそれがわたしに引き継がれてしまっている。
満腹になって香り高いお茶を飲みながら、ふと昨夜は疲れ切ってベッドに倒れこみ、そのまま寝てしまったことに気がつく。
浄化の魔法もかけてないから、体がペタペタしている。
「浄化の魔法もいいけど、こんな時はリラックスしたいなぁ。あーお風呂入りたい」
わたしがなにげなく呟いた言葉を拾って、ソラが応えてくれる。
「ご用意しましょうか」
「あるの⁉︎」
驚いてたずると、ソラはこくりとうなずいた。
「グレン様が先日、ネリア様のために作製されてました。『じゃくじぃ』というものだそうです」
「じゃくじぃ?……ジャグジー⁉︎入る!今すぐ!見たい!どこ?」
案内された浴室は、ゆったりとした広さがあり、柔らかい光に満ちて明るくて。大理石でできた白い浴槽は大きくて、壁のスイッチを押すと気泡が出て。
グレン爺、仕事完璧だよ!
「うわぁ、本当にジャグジーだぁ。これ、グレンが?」
「はい、ネリア様の二十歳の誕生祝いだと」
「え」
師団長室がデーダスの家にくらべて散らかっていなかったのも、グレンがソラに命じて片づけさせていたらしい。
びっくりだ。二十歳のお祝いで一緒にお酒を呑んだ夜に、今度王都に連れていってくれるとは言ってたけど。
お風呂を作ってくれるとか、そんなこと……彼からはひと一言も聞いていない。
「そっか……うん、ありがとう。入ってくるね」
ソラがこてりと小首をかしげると、水色の髪がさらりと揺れた。
「ネリア様。ソラに『ありがとう』を言う必要はございませんよ?」
「そうだね、でもわたしが言いたいんだ……当たり前のことにしたくないというか、有り難いっていう意味で……ごめん、難しかったかな」
ソラは無表情に水色の瞳を何度かまたたかせた。コミュニケーションは取れるけれど、精霊と意思の疎通は難しい……。このへんは手探りでやっていくしかない。
「……ネリア様は『ありがとう』と言いたい。これでよろしいでしょうか」
「うん、そう。わかってくれてありがとう」
「はい」
「あと、お風呂に入る時のあいさつは『ごゆっくりどうぞ』。着替えとタオルをこのカゴに置いたら、ソラは退室して扉を閉める。わかった?」
「はい。『ごゆっくりどうぞ』」
湯船に張ったたっぷりのお湯。ぶくぶくと湧く泡が身体を包み、強ばった筋肉をほぐしてくれる。
「あああ、気持ちいい。ゆったりとお風呂で手足を伸ばせるのって三年ぶり……」
こっちに来てまだ日も浅い頃、わたしはさんざんグレンに、「お風呂に入りたい」と訴えた。
浄化魔法もある世界で、『お風呂』という概念を説明するのも難しく。
「お湯に人間が入る」と言ったら、「人間を煮るのか?」と真顔で問い返された。
違ーう!と一生懸命、お風呂はどういうものかを説明して。
気持ちいいんだーとか、ジャグジーなんて最高!とか、何度も何度もお風呂の良さを、わざわざ絵まで描いて説明したのに。
「ふん、浄化の魔法で汚れは落ちる。風呂なんか知らん」
とか言ってまったく取り合ってくれなかったくせに。
今になってジャグジーとか。
二十歳の誕生祝いとか。
何なのこれ。
本当にもう口が悪くて偏屈で、素直じゃない困ったお爺さんで。
それなのにこんな優しさ。
ふい打ちだよ。
もっともっといっぱい話しておくんだった。
グレンに会いたい。
視界が涙でゆがんでしまい、わたしはしばらくお風呂からでられなかった。













