290.しょうこいんめつ
2巻SS
74~75話ぐらいの頃の、居住区で暮らしはじめたアレクとネリアの様子です。
ヌーメリアに師団長室に連れてこられた当初はビクビクしていたアレクも、居住区で暮らすうちにすっかりネリアやソラに慣れた。
いっしょに暮らしてみるとネリアはいろいろとツッコミどころが多い。
「うひゃあああああ!」
ある日、アレクが中庭を通って師団長室にやってくると、ネリアが全速力でお掃除君から逃げていた。
「ネリア⁉」
「この魔道具なんで追いかけてくるのぉ⁉いやだぁああ!」
叫びながら逃げているネリアは、お掃除君と遊んでいるようにしかみえない。アレクは一瞬ぽかんとしてから、どうやらネリアは真剣に逃げ回っているらしい……と気がついた。
「それ……ネリアが逃げるから追いかけるんだよ。ネリアがとまればとまるよ」
「ホント⁉」
大声でよびかけると、ネリアがピタリと足をとめる。
するとお掃除君も大人の歩幅ぐらいの距離をおいてピタリととまった。
「ウソ!ほんとにとまった!」
「もーネリアってば何やってるの」
アレクがあきれると小柄なネリアはちいさく身を縮こませた。
「や、だってはじめて見る魔道具だったし、何かなぁ……って……」
「お掃除君が〝追跡モード〟だったんだよ。人が通ったあとを綺麗にしていくんだ。逃げればどこまでも追いかけてくるよ……よいしょ、ほら〝待機モード〟にしたからもう動かないよ」
「ううう、アレクがいて良かったぁ……お掃除君に追いかけられる夢みちゃうとこだった……」
涙目になって胸をなでおろしているネリアは、いったいどんな未開の地で育ったのだろう……と、アレクはときどき不思議になった。
ネリアはヌーメリアより偉い人。それはアレクにもわかる。
ネリアはカーター副団長より偉い人。それはアレクにもわかる。
なのに魔導列車も転移門もちゃんと知らなくて、お掃除君を見たこともない。アレクも魔導列車に乗ったのはついこないだだったけれども。
ネリアはちゃんと術式は書けるし錬金釜も使えるけれど、わりと簡単な魔術学園で習う魔法が使えなかったりする。
「魔道具はちゃんと説明書をよまなきゃダメだよ」
「それユーリが自分の研究室から持ってきたの」
どうやら説明書はなかったらしい。
「ユーリが?」
ユーリが自分の部屋にあった古いお掃除君を、たまたま工房に持ってきて整備していたらしい。ネリアはそれに興味をもって、ちょっとさわってみただけだという。
ようやく落ち着いたネリアは、ずんずんと工房にはいっていった。
「ちょっとユーリ!全然助けてくれないってひどい!」
ユーリは工房の机に突っ伏して、肩をふるわせていた。
「ご、ごめんなさ……」
言葉もろくにでないまま笑いすぎて、ユーリは呼吸困難を起こしそうになっていた。
ユーリにしてみればいつも自分の部屋で使っている魔道具で、ユーリ自身は追いかけっこなどしたこともない。
古くなった魔道具の調子をすこしみて、駆動系の動きを滑らかにするよう術式を補正したところに、ネリアがやってきて「これなあに?」とさわった。
とたんに動きだしたお掃除君に、びっくりしたネリアが悲鳴をあげて逃げだすとは、さすがのユーリも思わなかった。
「うひゃあああああ!」
あっけにとられたユーリの目の前で、ネリアが必死にお掃除君から逃げる。
整備したばかりのお掃除君は滑らかな動きでスピードをあげ、ネリアにどこまでもすいすいとついていく。
うん……僕が整備しただけあって、いい動きだな……ユーリはちょっと思った。
ネリアはそれどころではなかった。
「この魔道具なんで追いかけてくるのぉ⁉いやだぁああ!」
涙目で工房から飛びだしていったネリアを助けなければ。
お掃除君を止めなければ。
そう思ったけれどユーリは動けなくなるほど爆笑してしまい、そのまま工房の机に突っ伏した。
ヌーメリアは仕事を終え、机の上にあった薬瓶を棚にしまうと鍵をかけ、地下にある自分の研究室をでた。
はじめてネリアと遭遇した階段をゆっくり昇ると、ちょうどアレクの家庭教師の先生が帰るところだ。
十二歳で魔術学園に入学するまであと二年あるから、ヌーメリアはアレクのためにときどき家庭教師を招いて勉強を見てもらっていた。
「先生、ありがとうございました」
「ひっ!」
ヌーメリアが声をかけると、家庭教師の先生は飛びあがる。
「どうか……されましたか?」
「い、いえ……アレク君はがんばっていましたよ。では私はこれでっ……」
首をかしげるヌーメリアに見送られて、家庭教師の先生はそそくさと帰っていった。十歳のこどもに教えるのにそこまで緊張するのは、場所が研究棟だからだろうか。それとも……それを無言で見守る仮面をつけた錬金術師の存在だろうか。
師団長室では今日うけた授業の復習を、アレクとネリアがいっしょにやっているらしい。家庭教師が来ていたから、ネリアは今日は仮面をつけたままだ。
「うーん……シャングリラからウレグとは反対方向に進むとメニアラがあって、繊維業が盛ん……と。アレクやヌーメリアがいたリコリスの町って……」
「メニアラのさらに先にあるグワバンって街から、魔導バスに乗っていくんだよ」
「うわーもうわからなくなってきた……」
二人そろって師団長室のテーブルにひろげたエクグラシアの地図をのぞきこんで、地理で習ったことをおさらいしているらしい。
「ネリアがいたのはどこ?」
「わたし?ウレグよりさらに北西、サルカス山地のちょっと手前にあるデーダス荒野だよ。ほらここ、エルリカっていう駅のちかく」
ネリアが指さした場所を、アレクが身を乗りだしてのぞきこむ。
「へーなにがあるの?」
「なんにも」
「なんにも?」
「そう、見渡すかぎり荒れ野がひろがってて、なーんにもないところ」
アレクはよくわからないという顔をして、ネリアに聞いた。
「そんな何にもないところで、ネリアは何してたのさ」
「ええと……家の片づけとかして普通にくらしていたかな。それにライガを作ってた!」
「ここでライガができたんだね」
「そうそう、星空はとても綺麗だったよ。見上げれば全部が空なの!視界を遮るようなものが何もないんだもの」
ネリアが椅子に座ったまま大きく腕をひろげたところで、ヌーメリアに気がついた。
「あ、ヌーメリアはもう仕事おわり?」
「お帰りなさい!」
アレクが笑顔で走り寄ってくる。
「ただいまアレク」
ただ階段を昇っただけだ。それでも「おかえり」といってくれる存在があることに、ヌーメリアはほっこりした。
ヌーメリアはアレクが使っていた教科書や地図をのぞきこむ。
「今日は地理の勉強?」
「うん、それに魔法陣の描きかたも教えてもらった」
「そう……アレクは何が面白かったの?」
「えと……」
今日一番面白かったのは、なんといってもお掃除君から逃げ回るネリアだ。
お掃除君はユーリが持って帰ってしまったし、ネリアは仮面をつけてすまして座っている。
「何でもない、〝証拠隠滅〟は終わっているからね」
「しょうこいんめつ?」
なんだかアレクが難しい言葉をつかっている。
ヌーメリアが首をかしげると、座っていたネリアがアレクの後ろでわたわたした。
「なななんでもないよ!」
何が起こったかはわからない。
わからないが、どうやらネリアが〝しょうこいんめつ〟したらしい……と考えて、ヌーメリアはそれ以上突っこまないことにした。
ユーリの部屋にあるお掃除君は、カーター副団長の家にあるものにくらべると旧式です。









