289.デーダス荒野のオドゥ、そして竜王神事
1巻(なろう版1~2章)分の振りかえりはここまでです。
次回からは2巻分のふりかえりSSです。
デーダス荒野はサルカス山地から乾いた冷涼な風が吹きおろすため、夜は冷えこむ。
昼のうちにオドゥは簡単な一人用の寝床を用意すると、そこで寝泊まりしながら何日かかけて術式に取りくんだ。
頭が疲れたら眼鏡をかけて魔素の流れを読み、付近に残された魔術の痕跡をたどる。
「すごいな……」
何もない乾ききった荒野のあちこちに残された、流れ星が炸裂したかのような光の痕跡……。オドゥは晴れわたった空を見あげた。
「さすがに空中の痕跡をたどることはできないか……この様子じゃ相当、空も飛んだだろうに」
デーダス荒野に閉じこめておきたかった……それと同時に、彼女がでてくるのを待ち望んでいた。
「あの子だよね、僕とグレンの前に堕ちてきたのは……ウレグ駅で会った子、ちゃんと人のカタチをしていた」
グレンがあの子を助けたことを、最初は気にいらなかった。ただの肉塊にしがみつく魂に何の価値があるのかと。
あれは大切な器だ。器にこびりついた残滓など、きれいに取り去ってしまえばいい。
そう思ったのに、僕はすぐに〝彼女〟に夢中になった。
驚異的なスピードで回復してく彼女自身の生命力、生きようとする力……彼女のもつ魂のかがやきに魅了された。
デーダス荒野に物資を運ぶたびに、僕は〝彼女〟の様子を見にいった。いつまでも飽きずにながめていられた。
きみがはやく目をあけて、その瞳で僕を見てくれたらいいのに。
その様子をグレンがどんな風に見ているかなんて考えもしなかった。
あるとき、グレンはいった。
「オドゥ、お前はもうここにくるな」
僕は驚愕してグレンにくってかかった。
「なぜです、僕だって〝彼女〟を見守りたい!」
老錬金術師はいつも仮面をかぶっているから、僕は彼の表情ではなく声音やしぐさで、彼の感情を読みとるのがうまくなった。
「あれはそこらにいる人間とかわらん、ただの普通の娘だ。ほかの何者でもない……お前はあれに自分の理想を押しつけすぎる」
グレンは本気で、僕から〝彼女〟をとりあげようとしてた。
「だから僕を締めだすと?夢や理想を追いかけて何が悪いんです……ここまで関わったんだ、いまさらっ……!」
「この娘にはこの娘の〝生〟がある。お前の空虚な〝生〟を埋めるために使うな!」
この老人はいつでも本質を突いてくる。ヤツの言葉が僕の心をえぐり、僕の中の何かが音をたてて壊れた。
それはかろうじて人のカタチを保っていた僕自身が、砕けてしまったみたいだった。
「……僕の人生がからっぽなのは、僕のせいじゃない……!」
殺してやろうかと思った。この老いぼれの錬金術師を。
ギリリと食いしばった歯の奥からすべてにたいする憎しみと、腹の奥底から黒い殺意がわきあがってくる。
何のためにここまできた。
何のためにお前について、十年ちかく錬金術を学んだと思っている。
究めるためだ……運命すら変えるといわれる錬金術を究め、生と死の境界線すら変えてみせるためだ!
そのために異界から呼び寄せた……〝彼女〟がここにいることそのものが奇跡だというのに、「ただの普通の娘だ」などと……。
ここまできて邪魔をするなら、いっそのこと……一瞬そこまで考えて踏みとどまったのは、やはり〝彼女〟のためだった。
オドゥは口の端を持ちあげた。ひとにはおそらく見せたことがない、凶暴な笑みだった。
「〝彼女〟には僕が必要だ。グレン……あんたはここで彼女の面倒を見なければならない。だれが彼女のために素材を採りにいくのか、あんただってわかっているだろう」
グレンと僕は睨みあった。仮面の奥にあるヤツの瞳にも、ギラリとした剣呑な光が宿っていた。
「……素材は採ってこい。この娘を生かしたくば、これまでどおり送れ。だがお前はここを離れ、すこし頭を冷やせ」
オドゥは頭をふって、解いている最中の術式に集中した。
もうヤツはいない……あの老人の時間はもう無くなった。そして僕にはまだたっぷり時間がある。
「十年経ったよ父さん……母さん……せめて錬金術師団のローブ姿を見せたいな。みんな喜んでくれるだろうか」
憧れと崇拝と憎しみと蔑み……グレンのことを考えれば、オドゥ自身のなかに様々な感情がわきあがる。
いまいましい……最後まで僕の前に立ちふさがったあの老人。けれど彼がいなければ、僕がここまでくることも、彼女がここに堕ちてくることもなかった……。
「あんたの研究は僕が完成させる……それにあの子は僕のものだ。僕が最初に見つけたんだから……」
デーダス荒野に閉じこめておきたかった……それと同時に、彼女がでてくるのを待ち望んでいた。
きみのペリドットの瞳には、この世界はどんな風に見えている?
「声もはじめて聴かせてくれたね……かわいい声だったな」
いまはまだやるべきことがある。それにきっときみは僕のことが必要になる……。
「まずは、そのための準備をしなくちゃね……ふふっ、解けた……」
オドゥがサッと腕をひと振りすると、空間が歪むような感覚とともに、何もなかったデーダス荒野に、屋根のうえで風見鶏がキコキコと揺れ、扉だけでなく外壁のあちこちのペンキがはげかけた、あばら家が出現した。
粗末な木の柵に囲まれた庭には小さな何も植わってない畑……洗濯物を干すために渡したロープが風に揺れている。
オドゥが扉に近づいても、なかは無人らしく人の気配はない。だが扉にふれようとすると、警告するような金文字があざやかに浮かびあがった。
オドゥは眼鏡のブリッジに指をかけてしげしげとそれをながめたあと、ひとのよさそうな笑みを浮かべた。
「家にははいれそうだけど……シャングリラへの転移陣と地下の工房は彼女がいないとムリだろうな。まずは家のまわりでカーター副団長への土産話のネタでも探すとするか……」
デーダスからネリアとともに師団長室に戻ってきてすぐに、オドゥはカーター副団長の部屋へむかった。話をおえてすぐ、こんどはもうひとつ上の階にある、かわいがっている後輩の研究室に顔をだした。
留守の間に『呪い』が解けているかもしれないな……と思ったが、そいつはいまだにそいつのままだった。
本を読んでいたらしいそいつは、オドゥが研究室に現れても、とくにおどろきもせず軽く眉をあげただけだ。
……僕はひさしぶりに会えるのを、けっこう楽しみにしていたのに。そこがちょっとかわいくなくて、僕はそいつをからかった。
「ユーリはどうするの?『竜王神事』、いつもみたいに隠れてる?まぁ、僕はどっちでもいいけど」
赤い瞳が炎のようにきらめいた。すました顔も得意なのに、怒らせるとすぐにわかる。その色の変化が面白くてしかたない。
その挑発が効いたのかしらないが、竜王神事にあわせて届けられた式典用ローブに、ユーリの赤い髪はよく映えた。
式典用ローブはいつも着ているものよりも装飾がおおくて重いが、ユーリがふだん好むシンプルな服よりもかえって、その綺麗な顔だちをひきたてていた。
「ネリア、『式典服』が似合いますね!」
「ありがとう!ユーリも赤い髪が白に映えて格好いいよ!」
師団長室に錬金術師たちが勢ぞろいし、ネリア・ネリスという名の新しい僕の師団長は、仮面を手にしたままうれしそうにユーリと話している。
「ネリア、仮面被っちゃうのもったいないんじゃない?せっかく可愛いのに」
「いいのいいの、グレンぽいでしょ?わたし、素顔だと迫力ないし」
そういいながら彼女は、そのかわいらしい素顔を無機質な仮面に隠してしまった。
僕はといえば、彼女のことを見せびらかしたいような隠しておきたいような複雑な気分だ。
グレンから「すこし頭を冷やせ」といわれたのに、僕の頭はちっとも冷えていない。
壇上にあがっていくときの彼女は、腰がひけているようにみえた。彼女にとっては何もかもが初めてのことだ、足がすくんでもしかたないな……と思った。
けれど壇上でレオポルドが彼女の後ろから近づき話しかけたとたん、彼女の雰囲気がかわった。
落ち着いてレオポルドと言葉をかわし、ライアスとも視線を交わしうなずきあっている。
あの子は僕のものだ……けれどあの二人が相手になるのは厄介だな……やはりデーダス荒野に隠しておきたかった。
そんな思いにとらわれつつも、竜王神事の舞台を見あげていたら、彼女がこちらを見おろし一瞬目が合った。
彼女が僕を見た。それだけで体の芯にしびれるような衝撃が走る。
わかってる……彼女は錬金術師たちをひとりひとり見ただけだ。
そして展開される地の魔法陣……彼女からあふれだした魔素が、螺旋の渦を描きだす。僕だけじゃない……だれもがあっけにとられて舞台をみつめている。
「すごいな……」
あのレオポルドが必死になるなんて……何かやらかすだろうとは思っていたが、まのあたりにするとやはり驚いてしまう。
あれが〝人間〟として存在するなんて……体の底から湧きあがる興奮に支配される。
ユーリがそんなオドゥの様子を、いぶかしげに見ていた。
【オドゥ・イグネル】
彼の名前はまったくの造語。何語でもない名前にして、得体の知れない感じを出したかった。当初はただ怪しいだけの人物だったけれど、ユーリの登場で彼のキャラクターも微妙に変化した。グレンに近しい人物として、書籍のほうではそれなりに動いている。












