288.デーダス荒野のオドゥ
オドゥのだけ長くなったので、ふたつに分けました。
エルリカの街に着き、オドゥが駅前にあるなじみの店に顔をだすと、出てきた店主ジルが目を見はった。
「これは……!イグネルさん、あんたホントに錬金術師だったんだな!」
ひとめで錬金術師とわかる白いローブ、王都三師団に所属する国家錬金術師……話半分に聞いていたが、今日のオドゥ・イグネルはまさしくその格好で店にやってきた。
「ホントにって……ひどいなぁ、信じてなかったの?」
仕立もよく細かい術式の刺繍がほどこされた逸品は、魔導国家エクグラシアの威信にかけて王城の服飾部門が製作した、ふつうの人間には袖を通すことさえ許されないローブだ。
店番をしていた娘のティナがすっ飛んでって、苦笑するオドゥにいそいそと茶と菓子を運んできた。
「ありがとう、ティナ」
名前をよばれ頬を染める娘の気持ちはわかるが、ありゃダメだ。並の娘じゃ手がでねぇ。
こげ茶の髪に深緑の瞳……黒縁眼鏡をかけたありふれた容姿の男は、人のよさそうな笑みをうかべた。
「それで、いますぐ使える魔導車はあるかい?」
この店の生業は運送業だ。魔導列車が運んできた貨物を、さらに陸路を使って輸送する。
そのため店にはふつうの乗用魔導車ではなく貨物運搬用のゴツい車輪のついた、乗り心地は最悪だがとにかく丈夫なヤツがそろっていた。
オドゥは年に数回、ふらっと現れては魔導車を借り、荷物を積みこむとデーダス荒野へでかけていく。ただここ一~二年は姿をみせなくて、ジルのほうもオドゥのことを忘れかけていた。
きちんと車を戻してくれるし金払いのいい客だが、いつもデーダス荒野のどこに行くのか聞いたことはなかった。
「エンツをもらったんで用意してまさ。またデーダス荒野へ一人で行くんですかい?」
「いや、今回はドライバーが要るな。食料や水も積んで片道で頼む。料金は往復分払うから」
「片道?」
ジルは眉をあげた。ドライバーが要る、というのも初めてだ。
「たのめる?」
おだやかにほほ笑むオドゥに、ジルは慎重に返事をした。
「片道ってことは置き去りでいいってことですかい?戻るアテはあるんで?」
デーダス荒野はその名の通り、雨がほとんど降らずサルカス山地からの冷涼な乾いた風が吹きすさぶ、見渡す限り草もろくに生えていない荒野だ。
「あるような、ないような……かな。ただ何日か滞在して調べたいことがあるんだ」
「あんな何にもない場所で?」
「そうだね」
オドゥは静かにうなずくと、ティナの用意した茶に口をつけた。その様子をジッと見ていたティナが、オドゥに声をかける。
「ねぇ、そのドライバー、あたしがやろうか?」
「だめだ!俺がいく!」
オドゥが口をひらく前に、ジルが決断した。この身なりのいい男はどこか信用できない所がある。本当の片道切符になるかもしれない道行きに、娘のティナを行かせるつもりはなかった。
「……ただし、前払いでたのみまさ」
オドゥの目をのぞきこむようにそう言うと、眼鏡の奥で深緑の瞳がすっと細められた。普通の前金は半額だ……金払いのいいこの客に全額を要求するのは、「信用できない」と言っているようなものだが、オドゥはとくに文句を言うこともなく応じた。
「いいよ、店主が来てくれるなんて心強いな」
ティナは不満そうだったが、すぐさまジルの指示で荷物が積みこまれた車が用意された。
ジルが警戒する横で助手席に乗りこんだオドゥは、ぼんやりと車の外に目をやった。
グレンの用意した転移陣を使わなければ、貨物運搬用のゴツイ車輪のついた車でないと動けなくなるような悪路を、ひたすら何日もかけて行くしかない。
ジルはオドゥの指示通りに魔導車を操る……途中迂回しなければいけないところはあったが、めざす方角はつねに一定だった。
ジルが眠るときはオドゥが運転し、途中食事をするときだけ車を停めた。
食事は簡素にするつもりだったが、オドゥは火の魔法陣を展開し、干し肉をかるくあぶったり、スープの用意までしてくれる。ジルはスープを飲みこむと目をみはった。
「こいつはおどろいた!こんな何もねぇ場所で、ほっぺた転げ落ちるほどの絶品にありつけるとは!」
「自分ひとりだとここまで手間はかけないけどね。学生時代は王都の飲食店でバイトしたこともあるんだよ。喜んでくれたならよかった、おかわりするかい?」
オドゥはこげ茶の髪をかきあげて、おだやかに笑う。スープを腹に流しこみながら、こいつはやべぇな、とジルは思った。
満天の星空の下で火の魔法陣が赤くひかり、なんともロマンチックで幻想的な光景のうえに、男がうまいメシを差しだしてくれる。
ティナだったら間違いなく惚れているところだ。胃袋をつかまれるのは何も男だけじゃねぇ。
助手席にすわるオドゥは眼鏡もはずし、ぼんやりとしていることがある。窓の外の景色はどこまでも荒れ野で面白い光景など何もないが、オドゥはときどき楽しそうに口の端をもちあげた。
「思いだし笑いですかい?……なんだか楽しそうですぜ」
横目にみながら気になったジルが声をかければ、オドゥは窓の外に目をやったまま答えた。
「わかる?そうだね……ちょっとワクワクしてるのさ」
そうして三日走り続け、あるところでオドゥが車を停めた。
「ここでいいよ」
オドゥが指示した場所は、本当に何ひとつみあたらない荒野のど真ん中だった。積んできた食料や水をおろすと、店主はオドゥに念をおす。
「本当に迎えはいらないんで?」
「必要ならエンツを送るよ。たぶん送ることはないだろうけど……ジルもちゃんと帰ってよね、ティナによろしく」
帰りはドライバー一人だから、行きの倍は時間がかかるだろう。方角さえ合っていれば無事に帰れるだろうが、オドゥの作るメシがもう味わえないかと思うと、ジルはわりと残念だった。
オドゥが自分のローブから、小さな丸いボールをとりだす。ボールはオドゥの手のひらの上で展開し、軽く羽ばたきすると小さな蜂型のオートマタになった。
「これは……?」
「案内をしてくれる。これについていけばいい」
オドゥは出発前にジルといっしょに魔導車の調子をみて、魔導回路をきちんと調律し、いくつかの魔石に魔素も注いでくれた。おかげで何日も走ってくたびれていた車が、ピカピカの新品みたいに調子がいい。
オドゥのことを知れば知るほど、なんだか彼のことが惜しくなる。ティナじゃなくても惚れそうだった。
(いっそのことティナに惚れてくれでもしたら、よろこんで婿に迎えるんだがなぁ……王都の錬金術師じゃ、どだい無理な話か……)
王侯貴族と渡りあい、その手から巨万の富を生みだし……あらゆる願いを、それも欲望を叶えるという錬金術師……魔術師以上に稀有ともいえる存在だ。それを束ねる師団長はつねに仮面をかぶり、決して素顔をさらさないとか。
(姿を拝めるだけでも、たいしたもんだ)
ジルがあきらめて魔導車をスタートさせると、ヒラヒラと手をふるオドゥの姿はすぐに、魔導車が巻きあげる土煙で見えなくなった。
ジルの車が見えなくなると、オドゥはすぐに荒野のなかで何もない一点を見つめた。
「さてと……隠形の術を解くところからか……グレンの術式は見慣れているけれど、時間はかかりそうだな」









