281.知らずの湖
レオポルドのむかう先はすぐにわかった。前方にそびえたつ高い山が見えてきて、どうやらそこにむかっているようだ。
「あの山は……」
「ヴェルヤンシャ山だ。知っているか?」
「……名前だけは」
カーター副団長と魔術学園のダルビス学園長が、ふっとばされて救出されたのもヴェルヤンシャ山だし、〝ニーナ&ミーナの店〟でアイリが淹れてくれた紅茶は、ヴェルヤンシャの中腹で摘まれたものだ。
シャングリラ近郊でいちばん高い山だと聞いた。ダルビス学園長が連れている使い魔のリリアンテの故郷だっけ……。山のてっぺんから周囲を見渡すつもりかな?
そんなことを考えていると、雪をうっすらとかぶり白くなったヴェルヤンシャの頂を横目にみながら、レオポルドはライガのスピードも緩めずそのまま進んでいく。
「山に降りるんじゃないの?」
「目的地は山のむこうだ……ところでひとつ聞きたいのだが」
「なぁに?」
レオポルドは表情ひとつ変えず淡々と聞いてきた。
「……これはどうやって下に降りる」
…………!
「そういうの、ハンドル握りながら聞かないでくれる⁉」
困ってるならそういいなさいよっ!
たしかに聞かれてもいないし教えてもいなかったけど……飛ばした後から考えるって……。レオポルド、やんちゃなうえに無鉄砲だったよ!
「とにかく操縦かわって!」
着地は一番難しいんだよ……平地ならともかく山に激突とかしたくないし。レオポルドはハンドルから手は離さずに、主導権をわたしに明け渡した。
「どこに降りればいいの?」
「山を越せば見えてくる……あの湖だ」
「湖?」
レオポルドが指さす方角に、銀色に光る湖面が見えてくる。重力魔法の術式にこめた魔素をゆっくりと解放していく。それと同時に、風魔法の術式は逆に急降下を防ぐため強化する。空気の抵抗をとらえ着地の衝撃をやわらげるためだ。
わたしは彼の指示に従い、木立に囲まれた湖岸のひらけた場所に滑るように着地した。
「今夜は月があるから、ここからの眺めが一番綺麗だろう」
腕輪にライガを収納したわたしは、彼に言われてふりむき言葉を失った。月明かり以外の光のない湖面に映りこむのは、満天の星空と雪をかぶったヴェルヤンシャの山。それらが二つの月とともに波もない鏡のような湖面に、上下反転の世界を創りだしていた。
「なんて綺麗……」
「ここは〝知らずの湖〟と呼ばれる。ヴェルヤンシャの頂上からなら見おろすことができるが……街道からも登山道からも外れた場所にあり、訪れるものも滅多にない。ドラゴンでくるしかない場所だ」
わたしは彼がうらやましくなった。彼はきっと自由自在にあちこちでかけているのだ……そう思ったから彫像のような彼の横顔に語りかけた。
「すごいよ……レオポルドは仕事で国内あちこちに転移してるって聞いたけど、こんな綺麗な場所も知ってるんだね」
「ちがう……」
なのに、レオポルドはゆるく首をふった。
「仕事は関係ない。ここは母が好きだった場所だ」
わたしの心臓がドクンと跳ねた。
「お母さん……レイメリアの?」
わたしは魔道具のことをまだ何も話していないのに、レイメリアの話がでてくるなんて……。レオポルドは湖を見つめたまま静かに話しだす。
「昼間なら……赤く染まった湖畔の樹々が水面に映りこみ、緑なす山に白い稜線がくっきりと空に浮かぶ。赤い樹々に囲まれて、母の髪は風にそよぐと炎のようだった。記憶があやふやで探すのに時間がかかったが……」
レオポルドが脚を踏みだすと、さく……と彼の足元の砂が沈む。イグネラーシェでもこうして彼と歩きながら話した。彼は記憶をたどる時は、歩きながら考えるくせがあるらしい。
「ここは母の故郷の景色によく似ている……アルバーン領にある湖水地方の光景に。だから母は好んでよくここにきていたようだ」
「そっか……レオポルドにとっても懐かしい景色なんだね」
そういうと、レオポルドは無表情にかぶりをふった。
「いや、私はアルバーン領では自分の部屋から、ほとんどでることがなかった。窓から見える月と遠くに見える木立だけが……私にとって世界のすべてだった」
「え……体が弱かったとか?」
わたしが首をかしげると、湖を見ていた彼はわたしに顔をむけて聞いてきた。
「……お前は〝魔力封じ〟のある部屋とは、どんなものか知っているか?」
「知ら……ない」
こちらを見るレオポルドの瞳は、わたしが答えることを期待していなかったのだろう。わたしの返事をきいてもその色が揺らぐことはなかった。
「魔力持ちの子どもはやっかいだ。感情のままに魔力を使い、もしも魔力暴走を起こせば自己や周りを破壊してしまうこともある。子どもに限らず……そういった魔力の制御ができなくなった者を閉じこめておく部屋だ」
「魔力の制御ができなくなった者を……閉じこめる?」
「封じられればわかる……魔力持ちは魔素がなくなれば、手足を思うように動かすこともままならない……巨大な枷をつけられて過ごすようなものだ」
「そんな……どうしてそんな部屋に……」
レオポルドの表情は動かなかった。
「泣いていたからだろう。それと……父に似ていたせいだろうな」
(……え?)
わたしは耳を疑った。子どもの頃のレオポルドが、泣いていたというのも気になるけれど……。
(いまレオポルドが、グレンのことを『父』と呼んだ?)
「祖父は私の容姿を嫌った。目に触れさせるな……と、部屋に閉じこめるよう命じた。当主のいうことに逆らう者など公爵邸にはいない」
『窓から見える月と遠くに見える木立だけが……私にとって世界のすべてだった』
冷涼な気候だという北のアルバーン領……王立植物園でみたような花畑を、彼は見ることもなく育ったのだろうか。わたしが言葉を返せないでいると、彼がまた話しだした。
「過去のことだ。魔術学園に入学してオドゥやライアスに会ってからは、自由に行動している……魔術師団に入団して成人してからは、アルバーン領も見てまわった。湖水地方は春が美しい。雪がとけるのを待ちきれないかのように草が芽吹き、大地があかるい緑に染まる」
そこで言葉をくぎり、レオポルドはわたしの瞳をじっとみつめてきた。
「ちょうどお前の……その瞳によく似ている。母も昔はそのような色をしていたらしい……祖父や父が愛した色だ」
「わたしの……」
無表情に言葉を続けるレオポルドの顔は、月の光に照らされてすこし寂しげだった。
「生まれていたのが私ではなく、お前のような母に似た娘であればよかったのだろうな」
ちがうよ!……喉からでかかった言葉は、なにかにひっかかったみたいにでてこなかった。
わたしの瞳はおそらくきっと、レイメリアのために用意されたものだ。
「グレン・ディアレス……私がいだくあいつのイメージは世間と大差ない。気難しく偏屈で、研究のためなら何を犠牲にしても気にしない変わり者。だがお前を見ていると、そんな男でも人を愛することがあったのだと思える」
わたしはギュッと拳をにぎりしめた。
「グレンからレイメリアさんの話を聞いたことはないけれど……彼は彼女のことを愛していたし、大事にしていたと思うよ」
さっきの魔道具の記憶を、いまここで彼に見せられたらいいのに。
「お前にひとつ頼みがある」
レオポルドが不意にいった。彼が頼みごとなんてめずらしい。
「どうしたの?」
「デーダス荒野の家へいきたい……お前はきてもかまわないといったな?」
遠征前の師団長会議で、わたしは気楽にレオポルドを誘った。
『えっ?もちろんいいよ!というか、デーダスの家にだってきていいんだよ?グレンの息子さんなんだし』
でもあのときレオポルドは声を荒げたので、話はそれきりになって……。
「デーダス荒野……いいけど、なぜ急に?」
「……確かめたいことがある」
この月明かりの下なら、わたしの顔が青ざめたとしても彼にはわからないだろう。
「すぐでなくともいい。秋の対抗戦もある……マリス女史に予定を調整させる」
わたしはなるべく明るく声をだした。
「うんいいよ、でもその前にいちど研究棟の居住区にきてくれる?」
「居住区に?」
「そう……今日ね、寝室のそばの小部屋で古い魔道具を見つけたの。ほかにも何かあるかもしれないし……いちどあなたに見てもらいたいの」
「わかった」
そう、これでいい。彼に居住区にあった魔道具を見せよう。そしてデーダス荒野の家へ連れていけばいい。たとえ工房の中は見せられないとしても、彼にはその権利があるのだから。
イラストの使用についてはいずみノベルズ様とよろづ先生の許可を得ていますm(_)m
本編はここで一旦区切り、299話から再開します。
次回は番外編として1~2巻を振りかえる内容のものを用意しています。
読者様と双方向で楽しむ企画~第4弾!
今回はユーリのSSテーマ投票は9/17で締めきりました。Twitterあわせて投票総数15でした!
1.ユーリと竜騎士団 3票
2.ユーリとグレン 5票
3.ユーリとカディアン 1票
4.学園生ユーリとサルジア皇太子リーエン 6票
結果は4番でした。296話『ユーリとリーエン(学園時代)』に掲載しています。
投票ありがとうございました!












