28.ソラ
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師団長室の扉の鍵になっている、首から下げた護符のプレートのひとつをあてると、師団長室の扉はあっさり開いた。
グリンデルフィアレンも師団長室の中には入り込めなかったのね……師団長室全体にグレンの魔力が満ちている。主が居ない今、グレンの魔力は徐々に薄れてしまうのだろうけど。
「し、師団長室……はじめて入りました……」
ヌーメリアがキョロキョロしている。ガラクタ置き場みたいなのを予想していたのに、中は思ったより片付いていた。
「十年も錬金術師団に居て、入ったことなかったの?」
「わ、私、極度の人見知りで……師団長室には『エヴェリグレテリエ』も居ますし……」
「ねえ、その『エヴェリグレテリエ』って……」
どんなの?と聞いた途端、ヌーメリアはがくがくと震えだした。
「怖いです!……侵入者は排除されますっ!に、逃げましょう!」
「逃げないから!」
「『人形』だから毒が効かないんですよぅ……怖いぃぃ」
「……すぐ毒を使おうとするの、やめようよ」
なんだか気の抜けた会話をしつつ、師団長室の奥の扉を開けると、そこは執務室だった。
中庭に面した広いガラス窓の手前に執務机があり、壁は一面本棚になっている。部屋の左右にもドアがあるから、また別の部屋に続いているんだろう。
机の上に、柔らかな光を放つ魔導ランプが置いてあり、それに照らされるように、瞳だけが赤い、髪も肌も全身真っ白な人形……『エヴェリグレテリエ』が居た。仕立ての良さそうな服に身を包んでいる。
人の形をしているものは、それだけだったから、きっとこれが『エヴェリグレテリエ』なのだろう。
【師団長室の管理者】
【グレンの『最高傑作』のオートマタ】
【精霊の魂を込めてある、動く『人形』】
色々な説明を聞いたけれど、そのどれもピンとこない。真っ白な全身と赤い瞳が特徴的だけど、華奢な外見は十二、三歳ぐらいの少年か少女のよう。とにかく綺麗すぎる顔で性別が分からない。グレンが創るものはいつもセンスがいい……というか人目を奪う美しさがある。
この『人形』なら、たとえ動かなかったとしても欲しがる人は居そうだ。
「あれがエヴェリグレテリエ?」
「お待ちしておりました、ネリア様」
「ひぃっ!」
『人形』が動き、澄んだ高い声が返事をする。その滑らか過ぎる動きに目を瞠っていると、ヌーメリアが喉の奥からひきつったような声を上げ、わたしの後ろに隠れた。
『人形』はわたしの前までやって来て、自然な仕草でこちらを窺うように小首をかしげる。
「ネリア様、新たな名をくださいませ」
「新しい名?う~ん、『エヴェリグレテリエ』は言いにくいものね……んんん……」
わたしは今日飛んだミストレイの背から見た空を思いだしていた。うん、王都初上陸の記念にピッタリじゃない?
「ソラ!ソラでどうかな?」
「……ソラ」
「気に入らないかな?」
簡単過ぎたかもしれない。わたしが心配になって眉尻を下げると、『人形』は首を横に振って銀のナイフを差しだしてきた。
「新たな主より新たな名を得て……新たな契約を……『血の約定』をここで。ネリア様には防御魔法がかかっておりますから、ご自分で」
『血の約定』……『精霊契約』の最上位だね。まさか自分がやる事になるとは思わなかったけど。
銀のナイフは研ぎ澄まされていて、左手の薬指の先に軽くあてただけで簡単に傷をつけることができた。
血の滲んだわたしの指先を、『人形』は自分の口元に持っていき、そこから小さく舌を出して、血液を舐めとった。
その滑らかな仕草はとても自然で、まるで生きているみたいなのに。
その手は人としての温もりを全く感じさせない、ひんやりとしたもので。
「……っ!」
デーダスの家の術式が書き換わった時と同じように、体の中の魔素がごっそりと抜かれていく感覚。
『人形』の体からたくさんの術式が放たれて部屋中に拡がり、また集まり収束して、ひとつの魔法陣を形作っていく。
「ひっ……!すっ……凄い……!これが……これが、『精霊契約』……!まさかこの目で見られるなんて……!」
わたしの背中に隠れていたヌーメリアまで、怯えていた事を忘れたように目を見開き、魔法陣に見入っている。
わたしの魔力が魔法陣に向かってどんどん流れ込んでいき、魔法陣自体が光りながら回転を始めると、巻き起こる風とともに『人形』の外見に変化が現れた。
『人形』の赤かった瞳の色が薄くなり、瞳孔の中心から水色が広がっていく。白かった髪も根元から水色に。血の気がなく透き通るようだった冷たい肌にも、わずかに赤みが差したように見える。
「……ソラ?」
「ネリア様、『色』をいただきました。お疲れになったでしょう」
ソラがわたしの顔を覗き込む。透き通った水色の瞳はガラス玉のようで綺麗だ。ああ、空だ。わたしのイメージ通り。
「ソラって、グレンの『最高傑作』なの?」
本人に聞いてみると、ソラは水色の瞳を瞬かせて、こてりと首をかしげた。
「グレン様は、ソラの事を『試作品』だとおっしゃいました」
「ふふ、グレンなら言いそう……何作っても、次はああしたらどうだ、いやこうしたらどうだ……って言いはじめるもの……」
燃えるものを燃やし尽くして、炎は消えたらしい。師団長室の外が騒がしくなってきた。
わたしがソラを伴って、ヌーメリアと師団長室の扉を開けると、ライアスやレオポルドの他に、いつの間に来ていたのか、クオード・カーターもいた。ソラを見るなりショックを受けてぶるぶる震えている。
「あ……あ……あぁ……何という、何という事だ……契約が成されてしまった……グレン老の最高傑作とも言われる『エヴェリグレテリエ』が……へ、変な色に……」
うん、なんかごめん。契約しちゃった。でもわたしは空色が気に入っているし、変えるつもりもないけど。ああ、そうだ。
「ソラ、グレンがわたしを指名したみたいに、わたしも誰かを『引き継ぐ者』として指名することってできる?」
「はい」
それを聞いて、うなだれていたクオード・カーターががばっと顔を上げる。
「な、ならば私を……!」
「じゃあわたしが死ぬような事があれば……動けなくなるような事があれば……全ての権限を、レオポルド・アルバーンに」
「なんだと⁉︎」
「断る!」
クオードとレオポルドがほぼ同時に叫んだ。何度もひどい目にあってるのに、クオードに譲るわけないでしょうが。レオポルドを見ると、やっぱめっちゃ睨んでた。でもこの中で貴方が一番適任なんだもの。
「そのぐらいやってよ。グレンの息子でしょ?要らないなら貴方が処分すればいいし、錬金術師団の誰かに渡してもいい。ま、せいぜいわたしが死なないように祈ってて」
なんだか体がとてもだるい。本当は立っているのもやっとな感じ。力の抜けたわたしの体を、すかさずソラが受け止めた。小さいのに力持ちだね。ソラのひんやりした腕に身を任せる。自分が小柄でよかった。
「執務室の奥、中庭を挟んで、師団長のための居住区になっております。ベッドにお連れしましょう。ネリア様のお世話は、このソラにお任せを」
寝泊まりできる場所もあるんだ、それは助かる。
ソラはわたしを抱き上げ、固唾を飲んで見守っていた皆の方に向き直ると、凛とした澄んだ声で宣言した。
「皆様方はお引き取りを。ネリア様には休息が必要です」
ソラにすぐ改名する予定でしたので、最初の名前は、『言いにくい』かつ『覚えにくい』ものにしました。
『エヴェリグレテリエ』は忘れて大丈夫ですよー。












