27.ヌーメリア・リコリス
ブクマ&評価ありがとうございます。
レオポルドが詠唱を終えたらしい。
彼の杖に魔力が集まって行く。
杖は埋め込まれた緑玉を輝かせると、膨大な魔力を制御し統率し、魔素を最大限に増幅させる。
魔術師団長ともなると、立派な杖を持つのね。
彼が創り出した炎は、白い色だった。
全てを焼き尽くす、高温の炎は。
眩いばかりの白焔だった。
『研究棟』全体が炎に包まれる。
合図とともに騎士団が耐火防壁の魔法陣を張り巡らしながら、『音速剣』を繰り出す。
直接切りつけるのではなく、振りぬいた剣の斬撃に風の魔力を載せて、衝撃波を繰り出す技だ。
白焔の中でグリンデルフィアレンが蒸散し、消し飛んでいく。
『研究棟』の入り口が崩れて、穴が開いた。
出口を見つけた館内の炎が、一気に噴きだし、各自が張った耐火防壁に、熱気と渦巻く炎が押し寄せてくる。
「うわ!」
「息をするな!炎耐性に身体強化!肺まで焼けるぞ!」
皆が耐火防壁の向こうで身をすくめる中、わたしは『研究棟』に向かってゆっくりと歩きだす。
熱と光と、物が焼ける匂い……グリンデルフィアレンがバチバチと爆ぜる音。
感覚はしっかりあるから、炎に近づく恐怖心に足がすくみそうになる。
平気だと分かっていても、炎の中に入っていくのは怖い。
それでも。
一歩一歩。
足を動かす。
耐火防壁の向こうで見守る竜騎士達が、呆然と呟いた。
「マジか……あの嬢ちゃん、この炎の中を普通に歩いていったぞ……」
「建物全体に、あのアルバーン師団長の炎魔法を防ぐ防御魔法とか……すげぇもん見た……」
少しでも気が緩めば、建物全体が燃え上がってしまう。『研究棟』全体に掛けた防御魔法を維持するためには相当の集中力が必要だけど、おかげで中の構造がある程度把握できた。
(入口を入って右に進めば師団長室の扉……その前に地下に進む階段……)
まだグリンデルフィアレンは燃えていて、パラパラと焼け落ちてくる。
階段を降りるとすぐにうずくまる人影を見つけた。錬金術師団の白いローブを羽織った、灰色の髪の二十代ぐらいのおとなしそうな女性だ。
「ヌーメリア・リコリス?」
「ひいいいい!許じでええええ!」
ヌーメリア・リコリスはそれはもう、涙と鼻水でグシャグシャになって、うずくまってぷるぷる震えながら泣いていた。
わたしの防御魔法が、ヌーメリアにも働いているはずだけど、中に閉じ込められていた彼女は、そんな事知らない。
『研究棟』の内部に居たら、突然グリンデルフィアレンに拘束された。それだけでもパニックになるのに、その次はグリンデルフィアレンが燃え上がったのだ。
ヌーメリアにとってはグリンデルフィアレンごと、火あぶりにされたような気がしただろう。考えが足りなかったのが申し訳なくて、慌てて駆け寄る。
「ヌーメリア⁉︎落ち着いて!大丈夫だから……」
「ごめんなざいごめんなざいごめんなざい許じでごめんなざいごめんなざい許じでぇえ」
「ほら、防御魔法効いてるから!熱くないし、痛くないよ?」
「ごめんなざいごめんなざいネリア様本当ごめんなざいまじで……許じでぇえ」
「えっと、何をそんなに謝ってるの?」
「いっぱい毒薬づぐっだがら、ひっ、火あぶりにぃ!ごめんなざいいいい!ゆるじでぇぇえ!」
「毒薬?」
「わっ、わだじ……いっぱい殺じだいひどが居て……だっ、だがら、いっばい毒薬づぐっだのぉ……」
ヌーメリアは、えっぐえっぐ泣きながら物騒な事を言う。
「まさかの殺人鬼⁉」
「ち、違う……本当に殺ずんじゃなぐでっ」
小さな頃から引っ込み思案で人と打ち解けられず、虐げられて育ったヌーメリアには、いっぱい殺してやりたい相手が居た。
冷淡な両親、意地悪でわがままな姉、上から目線の親戚のおじさん、近所の悪ガキ、近所の噂好きなおばさん、通りすがりに絡んできた酔っ払い……etc.。
魔力を持つヌーメリアは成長して魔術学園で毒薬の基礎知識を学んでからは、毒薬づくりにのめり込んでいった。
嫌な奴をどんなふうに殺すか考えながら、毒を作っていると心が癒される。
もちろん本当に殺したりするわけじゃない。
あくまで想像するだけだ。
嫌な目にあったら、毒を作る。
そうすると、嫌な事も笑って受け流せる気がする。
外にでたり人と接するのは、いまだに怖い。
そういう時にお守りがわりに毒を持っていると安心する。
そんな気弱なヌーメリアが魔術学園を卒業し、錬金術師団に入って十年。
『研究棟』の中でも人目を避け、恨みつらみを詰め込んで、ひっそりこっそり毒薬を作り続け……。
気がつくと、ありとあらゆる毒薬をたっぷり作っていた。
「うわぁ……なんというか……」
これ一度タガが外れたら、絶対ヤバい事になっていたやつだ。
「ね、ネリア・ネリズにも、いろいろ用意、じ、じでで……」
「わたしに⁉︎」
カーター副団長に「ネリア・ネリスに錬金術師団が乗っ取られるかもしれない」と聞かされ、自分の安息の場がなくなるのでは、と心配したヌーメリアは、『研究棟』の地下でひっそりと毒薬を準備している最中だったらしい。
「ど、毒だけど死なないやつ、目が見えなくなるとか、全身の痛覚が鋭敏になって、痛みにのたうち回るとか……」
「おおぅ……死ななくても十分えげつないねー!」
「ひっ火あぶり……やめでぇ……」
なるほど。十分やましい事はあったわけね。助けない方が良かったかしら。グレンが状態異常をブロックする魔法陣を掛けてくれててよかった。
とはいえ、現時点ではヌーメリア・リコリスはまだ何もしていない、むしろグリンデルフィアレンの被害者だ。彼女のこれからの事は、ここをでてから考えよう。
「……なんにせよ、これだけたくさんの毒を作ったって事は、それだけ辛い事があったって事だよね……それでも一度としてそれを使おうとしなかったんだから、あなたは優しい人なんだと思うよ」
「えっ」
ヌーメリアは、涙で濡れた顔を上げた。
わたしはちょっとだけ魔法陣をいじって、地下にたっぷりあった毒薬を浄化する。せっかくレオポルドの『浄化の炎』が部屋を埋め尽くしているのだ、利用させてもらおう。そしてヌーメリアに向かって安心させるように微笑む。
「とりあえずここからでよう、師団長室に行こうね」
「ひぃいっ!」
わたしは優しく微笑んだつもりなのに。ヌーメリアには毒を舐め尽くしながら燃え上がる地獄の業火を背景に、赤毛の仮面の魔女が仁王立ちしているように見えたらしい。
「あ」
……そう言えばグレンの仮面をつけたままだった……。
本当は無人の『研究棟』に突入する予定でしたが、毒薬の小瓶を抱えて震えている気弱な魔女がひょんっと頭に浮かび、前話分も含めて慌てて書き直しました。
結構気に入ったので、またどこかで出したいです。