268.予想外のできごと(ミラ視点)
すみません!ちょっと力尽きてました……。
今回は別視点からみたらどう見えていたか、というお話です。
それはむしろ静かにはじまった。
大広間の一角でどよめきがあがり、ついで静まりかえった。
すぐに楽隊が演奏をはじめたため、ミラ・アルバーン公爵夫人はさして気にせず娘とともに貴族たちと談笑していた。
(なんだかやけに音が大きく聞こえるわね……)
そう思いながらもミラはサリナにむけられる賞賛に、ほほえみを浮かべ応じていた。
だがなにげなく大広間に目をやったものがひとり、またひとりと言葉を失い沈黙していく。
流れる音楽の音が大きいのではなく、みながおしゃべりをやめ大広間に注目していると気づいたのは、目の前にいたメイビス侯爵夫人がとつぜん話をやめたからだ。
「今回の夜会にあわせてデビューされたご令嬢のなかでも、サリナ様が一番だとみな申しておりますのよ。それに……」
そのあとに続く言葉はなかった。
おしゃべりな侯爵夫人の目はおどろきにみひらかれ、口もぽかんとあいたまま表情をつくることすら忘れている。
「メイビス侯爵夫人、どうなさったの?」
ミラが小首をかしげて問いかけても返事がない。そういえば楽隊がいつまでたっても演奏をやめない。どうやら踊りをとめないようにわざと曲をループさせて演奏を続けているようだ。
(そんなに注目するようなダンスなのかしら……?)
メイビス侯爵夫人がみているほうへ目をむけたミラも衝撃にかたまった。
いつのまにか雲隠れしていたレオポルドが、見知らぬ黒髪の娘と大広間の中央で踊っている。
もちろん夜会なのだし彼がだれと踊ろうとかまわないのだが。
「レオ兄様があんなにたのしそうに……」
ミラの隣にいたサリナもそれっきり声がでないようだ。
気難しいレオポルドはいつも不愛想で、サリナと踊るときでさえ無表情だった。
それなのに彼の腕のなかにいる黒髪の娘が笑顔で話しかけると、レオポルドもそれに返事をして笑みをかえす。
みつめあう二人はとてもたのしそうで、楽隊が演奏をやめられなくなったのもわかる気がした。
「お母様……」
青ざめたサリナを元気づけるはずの自分まで声が震えた。
「だ、だいじょうぶよサリナ……きっとお知り合いをみつけたのよ」
(ふ……ふん、あんなみすぼらしい灰色のドレスを着た娘など。めずらしいのは黒髪だけよ、サリナのほうがずっと……!)
だが次の瞬間、ミラはもっと信じられない光景を目にすることになる。
レオポルドが黒髪の娘をみつめ何事かをつぶやき魔法陣を発動させると、くすんだ灰色にみえた娘のドレスがオーロラ色に輝いて染まる。
ドレスに縫いつけられた飾りがその輝きを乱反射させ、まばゆいばかりにきらめいた。
それは太古の昔、エクグラシアという国もなかったころの精霊たちの物語……神話ともよばれるもの。
だれもが聞いたことがある、夜の精霊に〝星空〟を贈ったとされる月の精霊の物語。
太古の昔、月の精霊が夜の精霊に恋をした。
はずかしがりやの夜の精霊は昼間姿を隠してしまう。
月の精霊は日が沈めばいつも夜の精霊に寄りそっていたけれど、新月の日は一緒にいられない。
さびしがりやの夜の精霊に何か心をなぐさめるものを探そうと、月の精霊は地上におりた。
そして朝露を集めてきらめく美しい蜘蛛の巣をみつけた。
月の精霊はその光る蜘蛛の巣を持ち帰り、夜の精霊に衣として贈ったという。
蜘蛛の巣についていた朝露のしずくは〝星空〟となり、月のない日も夜の精霊をやさしく包む。
やがて夜空にもうひとつの〝月〟が生まれたという。
それはほんとうに昔々のだれが語ったのかもわからない神話の一節。
けれど子どもたちのだれもが知るおとぎ話、詩人たちが詠む恋唄の題材……それがまさしくいま目の前で起きたのだ。
さっきまで星屑のようにひそやかな輝きを散らしていた地味な灰色のドレスは、いまや銀にも紫にもみえるオーロラ色に光をはなつ。
散りばめられた真珠は朝露のしずくのようで……乱反射するビーズの輝きはまさしく、夜の精霊が贈られたとされる星々がきらめく銀河の衣を思わせた。
おどろいたように目を丸くする黒髪の娘にむかい、レオポルドが実に晴れやかな笑顔をみせ、ミラの周囲にいた貴婦人たちから悲鳴があがる。
「ミラ様、レオポルド様と踊られているあのご令嬢はどなたですの?」
「まるで〝夜の精霊〟ではありませんか、〝月の君〟とはどういうご関係で?」
「さ、さぁ……わたくしも知らな……」
ぼうぜんとしていたミラはうっかり返事をしてしまい、ハッと気づいたときには遅かった。
「まぁ……ミラ様もご存知ないかたですの?」
すぐ近くにいたアンガス公爵夫人が目を楽しそうに細めると扇子をひろげた。それだけであとはさざなみのように貴婦人たちの間にひろがっていく。
「公爵夫人もご存知ないかたですって……レオポルド様がご自分で選ばれたかたということ?」
「それならミラ様の目からは絶対に隠しておきませんと……ねぇ?」
「えぇ……だって公爵夫妻はお認めにならないでしょうし……」
どうかしている。きょうはサリナの華々しいデビューの日なのに、みなレオポルドと黒髪の女性のことを話している。
ミラは何もしていないのに、恋人たちの仲を引き裂こうとしているかのようにいわれている。そのうちにだれかが気がついた。
「あのドレス……〝ニーナ&ミーナの店〟のものじゃなくて?すその切りかえしに特徴がありますわ!」
「それじゃ公爵夫人が〝ニーナ&ミーナの店〟との取引をやめられたのって……」
「きっとそうですわ、ニーナなら若い恋人たちを応援するにきまってますもの!」
「おかしいと思いましたのよ、それで公爵夫人はご機嫌をそこねられたのね」
ある婦人は予約をキャンセルしてしまったことを嘆いた。
「どうしましょう、もういちど予約を取りなおせるかしら。あのドレスと同じものを……いいえ似たものでもいいわ!」
ある令嬢は母に必死に訴えた。
「お母様おねがい、わたくしもあのドレスがほしいわ!」
「ええ、もちろんですとも!」
おかしい。小さな服屋など公爵夫人の機嫌ひとつでどうとでもなったはずだ。
ひろめたかったのはサリナとレオポルドはもうすでに婚約したも同然……という話なのに。なんとかいいつくろわなければ……!
ところが焦るミラに追い打ちをかけるように、王族たちがそろっていた壇上でも動きがあった。そちらを注目していた一団から悲鳴があがる。
「まぁ、あのかた……レオポルド様の次はライアス様とも踊られるわ!」
「なんてことなの……王都三師団の輝かしい師団長どちらとも踊られるなんて……!」
曲がようやく終わり二人が身を離した瞬間、王族たちと壇上にいたはずの竜騎士団長ライアス・ゴールディホーンが二人のもとへかけよった。ライアスはそのまま娘に話しかけて彼女の手をとる。
(どうして……この夜会で一番華やかに話題をさらうのはサリナのはず。あの娘、何者……⁉)
「お母様……」
ミシリと音がするほど扇子をにぎりしめたミラを、サリナがおびえたようにみる。近くにいたメイビス侯爵夫人がとりつくろうようにほほえんだ。
「で、でも……これでサリナ様も無事デビューされましたもの……ね?」
(無事……これが無事だとでもいうの?すべてがだいなしにされたのに?)
ミラはギリリと歯を食いしばった。
そして娘がライアス・ゴールディホーンからさらにユーティリス王太子に引き渡され、王太子と踊りはじめたとき……ついにミラの扇子はたえきれずバキリと折れた。
無自覚に見事なフラグクラッシャーぶりを発揮。












