262.ネリア変身する
よろしくお願いします!
そういえばこっちにパンティストッキングなんてない。いまから紡績工場を建てても間に合わない。
仮縫いのときはフィッティングだけだったから、ニーナたちもガーターベルトのことをいわなかったのだろう……。
「ウソでしょ、のっけからハードル高すぎる。でもつけないとストッキングがずり落ちるし……」
わたしはガーターベルトを抱えたまましばらく一人で見悶える。けれど夜会はすでにはじまっていて、ほかにも準備がある。わたしは必死に気持ちをきりかえた。
「コ……コスプレだと思えばいいのよ。バニーガールの格好やおへそをだすよりも恥ずかしくないわ、そとからはみえないんだし!」
これはコスプレ。アケミお姉ちゃんもつけたんだもの、わたしだってやれる。お前がつけてもセクシーじゃない……なんて意見は受けつけない!
「ええい、女は度胸……っていうしね!」
こうしている時間も惜しい……わたしが果たしたい本当の目的……そのために覚悟をきめ、もうひとつの準備にとりかかる。
ふたたび収納鞄をひらき、持ってきたものを机に並べていく。
おろし金に小鍋と茶漉し……使うのは錬金釜じゃなくて小鍋でいいらしい。
魔術学園の生徒たちが遊びでつくるものだから、道具が簡単なものですんでよかった。
まず加熱の魔法陣を敷くと小鍋を置いた。
わたしは収納鞄からとりだした口を縛った袋をふりあげ、近くのテーブルの角にゴスンとぶつけてから紐をほどく。
植物園で採ったパパロスはちゃんと芋の形をしていて、わたしはホッとするとそれを浄化の魔法できれいにしてからおろし金ですりおろす。
そこにパパロスをいれ水といっしょに薬草をいくつか足して変身の術式を紡いでいく。
混ぜれば混ぜるほど小鍋の中身は青紫色になっていき、クツクツと煮ることで鼻が曲がりそうな強烈なにおいとドロドロとした粘性はさらに増したようだ。
なんか魔女っぽい。魔女っぽいけど……うわぁ……。
薬草茶のしあげは〝変身したいもの〟の一部を入れて完成だ。
変身したいもの……そこまできてふと考えた。
わたしの体はどこからどこまでが〝わたし〟なんだろう。
「骨格は変わらない気がするけど、骨を取りだすわけにもいかないし……」
わたしは自分のふわふわした赤茶色のくせっ毛をつまみ、目の前に持ちあげる。
「髪……は、ちがうような気がする」
わたしは自分の指先をみつめた。うん、これなら大丈夫かな。
持ってきたメイク道具から小さなハサミをとりだし、切った爪のカケラをクツクツとあぶくをたてる小鍋に放りこんだ。
できあがったら小鍋の中身をゆっくりと漉して、部屋に備えつけのティーカップに注ぐ。
湯気とともにたちのぼるにおいに思いっきりむせた。
「合言葉は……『パパロッチェラ・パパロッチェリ・パパロッチェン、変身せよ!』……だったかしら?」
涙目になったわたしはカップを手にもち深呼吸をした。もういちどこれを飲むことになるなんて……でも!
「パパロッチェラ・パパロッチェリ・パパロッチェン、変身せよ!」
わたしは息をとめて一気にパパロッチェンをあおった。すごい臭いと味に涙がでて胃がひっくり返りそうになる。吐きだしそうになる本能と戦って、わたしは必死にパパロッチェンをのみくだした。
「飲めた……!」
はぁはぁ……と息をつき、自分の体をかき抱いてその場にしゃがみこむ。強烈な臭気が胃からあがってきて戻しそうになる。お願い……なんとかおさまって!
「うっ、く……っ!」
変貌までどれぐらい耐えればいい?目に涙がにじんで視界がぐらぐらとゆがみ脂汗が垂れる。
十分か二十分……もっと短い時間だったかもしれない。
永遠にも思えるひたすらしんどい時間が過ぎて、目をつむり吐き気と戦っていたわたしは肩をすべる髪の感触に気づいた。
おそるおそる開けた目に腕にかかる艶やかな黒髪が飛びこんでくる。
ついにきた……跳ねるように立ちあがりすぐに鏡をさがした。
鏡越しに映るその姿に震える手を伸ばす。三年ぶり……になるのだろうか。
「ふふ……ひさしぶりだね、奈々。すこしおとなになった?」
鏡のむこうにいる〝奈々〟は、わたしをみて泣き笑いのような表情をうかべた。
〝ネリア〟みたいな強い輝きを放つことはない黒い瞳……ふわふわした赤茶色のくせっ毛とちがい、長い黒髪は艶があって光を反射し輪を描く。
指をとおすと絡まることもなくするりと毛先まで流れた。
「うん、この感触!」
でも……。
『パパロッチェンでその対象に変身できるのは、なんであろうと一度きりですからな』
カーター副団長の言葉がよみがえる。
「〝奈々〟でいられるのも一度きり……」
自分のつぶやきが寂しそうに聞こえたのを頭からふりはらう。それでも……いまのわたしは〝松瀬 奈々〟だ。
パパロッチェンの効果が切れるまで数時間……それならじゅうぶん!
わたしは浄化の魔法にエルサの秘法を使ってさっぱりすると、ひろげられたドレスにむきなおった。
使った道具を収納鞄にしまい部屋を片づけて、そのまま鞄をぽいっと師団長室に転送させる。
そしてわたしはそっと控え室のドアを開けた。
テルジオに教えられたとおり部屋をでて左にまっすぐすすむ。
「つきあたりに扇をひろげた貴婦人がいるって……これかな?」
廊下のつきあたりに赤い髪と瞳の貴婦人が扇をひろげた肖像画が飾られている。
わたしはひとつ深呼吸してから、扇子をひろげて優雅にほほえむ彼女にむかってささやいた。
「我通ることを許されし者」
すると絵のなかの貴婦人が手に持っていた扇子をパチリと閉じ、同時に扉が壁にあらわれる。
扉をそっと押すと音楽とざわめきが聞こえてきた。
会場に身を滑りこませて扉を閉めれば会場側の面には取っ手はなく、吸いこまれるように扉は壁の一部になった。
(隠し扉……だったのかな?)
わたしがでた場所は会場のすみにかかるカーテンの影で、人目につきにくくなっている。
突然あらわれたわたしを気にする者はいない。わたしは近くにある飲食スペースにむかった。
(パパロッチェンの残り香がまだあるかもしれないし、なにか臭い消しになるものでもとろう)
いつも居住区ではソラや自分たちで用意した食事だから、王宮の料理人が腕によりをかけた宮廷料理は、贅を凝らしたものばかりでどれも珍しい。
目移りしていると給仕の男性に声をかけられた。
「レディ、お飲み物をどうぞ。食前酒はいかがですか?」
うわ、イケメン!制服ってやばいよね!それをいうならライアスも格好いいけどさ!
「ありがとう!」
差しだされたグラスを笑顔でうけとり、いかにも場慣れしています……といった風情で口をつけ、給仕の男性にほほえみかえすとうやうやしい一礼がかえってくる。
「おいしいわ!」
「どういたしまして」
女は度胸と愛嬌、こういう場ではとにかく堂々としてればいい……とばっちゃがいってた!
淑女たちにも食べやすいようにつくられた、つまみやすいカナッペを差しだされた銀のお盆から手にとると、お盆を手にしたスタッフがにっこりと微笑みかけてくる。
「レディ、そちらが気にいられたのでしたら、こちらもぜひおすすめですよ。エカテのムースにサルザ湖でとれるナレガス魚の卵とオリガテの雫を添えたものです」
「ほんと、おいしそうね。ありがとう!」
「どういたしまして。夜会はまだはじまったばかりです。ゆるりと今宵をお楽しみください」
ニーナが作ってくれたドレスは衣擦れの音も耳にやさしくて、ミーナの靴はとても軽くて音楽に合わせていまにも踊りだしそうだ。
ふだんは身につけない真珠とクリスタルガラスのキラキラしたアクセサリー。煌めきが踊るさまも目に楽しくて、首をかしげれば耳元でイヤリングがしゃらりと揺れる。
なんだかすこし浮かれてくるりと回ってみたい気分だ。
(ふふっ、お姫様気分でたのしもう。本物のお城の舞踏会だよ、奈々!)









