25.帰りたいのに帰れそうにない
ヒルシュタッフ宰相が国王に確認する。
「陛下、よろしいのですか?」
「よろしいも何も……昔っからグレンは好き勝手にやってきた。彼から大いなる恩恵を得た以上、我々はその遺志を無視することはできん」
「それはそうですが」
アーネスト陛下は顔をしかめ、獅子を思わせるみごとな赤髪を、ガシガシとかきむしる。髪を乱すとライオンっぽさがさらに増した。彼はわたしに赤い瞳を向けた。
「だからネリア・ネリス!もうお前でいい!速やかに錬金術師団長の座につき、事態を収拾するように!」
「えぇー『お前でいい』とか言われても。断りたいです」
わたしがげんなりして答えると、国王は威厳を保ちつつも下手に出てきた。
「即答せず検討しろ!だが断らないでほしい!」
『断らないでほしい』とか言いながら、断らせない雰囲気だよね。さっきまでみんな反対してたくせに!
「嫌な予感しかしないです。それにこういう勘はよく当たるんです!」
「何が不満だ!待遇はグレンを超えないまでも善処する!」
「全部ですよっ!さっきからずいぶん無茶振りしてきますよねっ⁉︎」
こういうおっさんの威圧は相手を怖がらせることに無頓着か、知っててやっているのだ。ただデカい声出せば相手が黙ると思って、無理難題押しつけてんじゃないわよ!
グレンともさんざん怒鳴り合ったのだ。言い募るアーネスト陛下相手に一歩も引かず、わたしが押し問答をしていると、警備兵が突然知らせを持ってきた。
「失礼します!錬金術師団に異変が!ヴェリガン・ネグスコが大量のグリンデルフィアレンを放ち、研究棟を占拠しました!」
「グリンデルフィアレン?」
それが何かわからないわたしに、知らせを受けた国王が必死に迫る。
「ネリア・ネリス!お前ならなんとかできるだろう!頼む!本っ当になんとかしてくれ!」
「ええ?帰りますよぅ……」
わたしはクオード・カーター副団長をチラリと見る。さっと目ぇ逸らしたよ、この人!なんとかする気ないの⁉︎
ライアスは緊張感あふれる、キリっとした表情でうなずいた。
「ネリア、グリンデルフィアレンは魔樹だ。我々竜騎士団も力を貸そう」
わぁ、力を貸してくれるって……頼もしいね。わたしはちょっとだけ遠い目になった。魔樹のグリンデルフィアレンて……どんなのだっけ。
帰りたい。
なのに帰れそうにない。
「……しかたないですね」
はぁ、とため息をつく。このまま放っておくわけにもいかないんだろう。
「師団長を引き受ける条件がふたつあります。ひとつは、ここにいる全員がわたしを、錬金術師団長として認めること」
引き受けるにしてもこれだけは約束させなければ。アーネスト陛下がホッとしたようにうなずいた。
「うむ。それはもちろんだ。もうひとつは何だ?」
「ふたつめは錬金術師団に、竜騎士団と魔術師団双方が協力することです」
「…………」
レオポルドが口を開くより先に、アーネスト陛下が力強く言い切った。
「王都三師団が協力し合うのは当然だ。保証しよう!」
うん、ゴリ押し大切ね。わたしは大きく息を吸い、ライアスとレオポルドに向かってにっこりと笑う。
「グリンデルフィアレンの件も、ゴールディホーン竜騎士団長とアルバーン魔術師団長が、わたしを手伝うならば引き受けましょう」
銀髪の魔術師は心底嫌そうな顔をしたけれど、彼とライアスがいれば、よく知らないグリンデルフィアレンも、何とかなりそうな気がする。
「おふたりは新米師団長のわたしを支えてくれますか?」
「まかせてくれ!」
「…………」
ライアスは快活に即答し、レオポルドは唇をぎゅっと引き結んで無言のままだ。
「レオポルド、頼んだぞ!」
アーネスト陛下に促されてようやく、彼は不機嫌そうにうなずいた。これで言質はとった。その強力な魔力、使わせてもらいますとも。
「カーター副団長、魔樹グリンデルフィアレンとヴェリガン・ネグスコについて教えて」
「…………」
ギリッと音がするほど奥歯を噛みしめ、わたしを睨みつけたクオード・カーターは、への字に口を歪める。うわぁ、答える気ないね。
「クオード・カーター!」
アーネスト陛下の叱責に、すっと背筋を伸ばした副団長は、わたしに向かって嫌味たっぷりの口調で言う。
「ヴェリガン・ネグスコは魔法植物の専門家だ。北の大地に育つ魔樹グリンデルフィアレンは、春の雪解けとともに大地を覆いつくす。気温が上昇すればその勢いは増す。ここシャングリラの気候なら、あっというまに研究棟を覆いつくすでしょう」
「研究棟を……覆いつくす⁉︎」
「封じられた師団長室ごと、グリンデルフィアレンで研究棟を封鎖したのか」
レオポルドが眉をひそめれば、クオード・カーターは吠えた。
「錬金術師団長室は現在、〝エヴェリグレテリエ〟によって閉ざされている。〝ネリア・ネリス〟とあのオートマタを接触させるものか!」
「エヴェリグレテリエ?」
またわからない単語だよ。聞き返したわたしに、レオポルドが渋々説明してくれる。うん、ごめんね、何も知らなくて。
「師団長室の管理者にして、グレンの最高傑作と言われるオートマタ。グレンが創り、奴が契約した精霊の魂を込めてある、動く『人形』だ」
「……人形……」
『王都に行ったら、お前は驚くだろうな』
グレンはそう言っていたけれど、それは人形のことか彼に息子がいたことなのか……驚くことがいろいろありすぎる。
カーター副団長がわたしに向かい、わめき散らした。
「お前が師団長の座を継ぐだと!お前が『エヴェリグレテリエ』の主になるのか⁉︎あの素晴らしい『人形』がお前のものに⁉︎なぜだ!認められん!許せるものか!あの造形!あの美しさ!あの動き!私の物だ!ずっと手元に置いて研究したいと思っていた!それなのに!」
「カーター副団長、王の裁定だ!」
「…………」
ライアスが一喝し、カーター副団長はギリリと歯を食いしばって、ふたたび黙りこんだ。
(なんなの?副団長が執着しているのは『エヴェリグレテリエ』という人形?)
わたしを睨みつける彼の目は血走り、額には血管すら浮きでて、ぎょろりとした目は狂気を感じる。
「時間が惜しい!グリンデルフィアレンについては、見ればわかる。行くぞ!」
レオポルドが素早く転移陣を敷き、わたしたち三人はそろって〝竜の間〟から転移した。
転移陣から三人の姿が消え、エクグラシア国王アーネストは大きく息を吐いた。
「あきれるほど物怖じしない娘だったな、宰相」
「まったくですな。陛下にへり下ることもなく、あのアルバーンに正面から魔力でぶつかろうとするとは、さすがグレンの後継者と言うべきか」
国王と宰相が退出した後、〝竜の間〟に残され歯を食いしばったままうなだれるカーター副団長に、デゲリゴラル国防大臣が声をかけた。
「残念だったなカーター、私は君を推したのだがね」
(役立たずめ)
心の中で罵りながらも、クオード・カーターはデゲリゴラルに向かい神妙に頭を下げる。
「いえ……大臣にはいつもお引き立ていただきまして」
デゲリゴラルは鷹揚にうなずくと、クオードの肩を親しげにポンと叩いた。
「まぁ、これまで通り何も変わらん……師団長なんぞただの『お飾り』だ。実質的に錬金術師団を切り盛りしているのは君だ」
(ふざけるな)
国防大臣を殴り飛ばしたくなる衝動に駆られながら、クオードはさも同意するように、笑みを浮かべ深くうなずく。
「左様でございます、これまで通り……何も変わりはありません」
クオード・カーターは怒りを抑え、余裕たっぷりに見えるように、大臣と笑みを交わし合った。
本当は、喉から手が出るほどその『お飾り』の椅子が欲しくてたまらなかった。相手がグレンだからあきらめたのだ。
だがグレン以外の錬金術師には、負ける気も譲るつもりもない。『エヴェリグレテリエ』も必ず手に入れてみせる。
(追い落とすチャンスはいくらでもある)
クオード・カーターは必死に自分に言い聞かせ、震えそうになる自分の拳を押さえた。
ありがとうございました。