212.琥珀のリング
よろしくお願いします!
ユーリは机の引きだしを開け、ころんとした黄褐色の透明なカボションカットの石をとりだした。手にとりやわらかい布でかるく擦ると、布が吸いつくような感触がある。
「琥珀……?」
「ええ、母の瞳に合うものを探させました。琥珀なら土属性への親和性も高いし、これに魔導回路を刻みます」
琥珀は天然の樹脂が長い年月をかけて化石となったものだ。海から打ちあげられた琥珀が海岸線でみつかることもある。
わたしは琥珀を窓辺にもっていき日に透かした。澄んだ黄褐色からヨーロッパでは『太陽の石』と呼ばれることもある、その優しい色合いはリメラ王妃の瞳によく似ていた。
「魔道具では魔石を使うことも多いのに、なんでわざわざ琥珀を?」
「なくなってもいいものなら僕のチョーカーみたいに術式を刻みやすい魔石を使いますが、魔石は魔素を凝縮した塊ですからもろいんです」
「もろい?」
「そうです。魔石は半永久的に存在するものではなく、魔素をすべて失えば崩れさる……魔石が魔石として存在するのは、使用者と魔力のやりとりがあるからです」
「崩れさる……」
そういえば魔石はどれもきれいだけど、消耗品のような扱いだ。魔素の塊だから術式を刻むと魔道具の核として使える……ぐらいの認識しかなかった。レオポルドの身を飾る護符もキラキラしているけれど、ただそれだけで壊れたらすぐ取りかえるのだろう。
「母のまわりで陶器が壊れる現象は、母が感情を乱すと原料である粘土がそれに反応しているからです。母は土属性が強いので」
ユーリに琥珀を返すと、彼はそれを作業台において脇に魔法陣の設計図をひろげた。
「なのでその乱れを整えて波動を調律して……母の感情がそのまま正しく、その感情を向けるべき相手に向かうようにすればいい」
「そのまま正しくその感情を向けるべき相手に……?」
「ええ……理論上は、ですけど」
そういいながらユーリは術式に気になる点をみつけたのか、一部を消してまた書き直す。オドゥが眼鏡のブリッジに指をあててそれをのぞきこむ。
「でもさぁ、それしちゃっていいの?相手が相手だけに、いままで誰もやろうとしなかったんだろう?」
「そうなんですけどね……父は鈍いから母のティーカップが割れたぐらいでは、母の気持ちは伝わらないと思うんですよ……よし、これでいいかな」
ユーリは紙に書いた術式をもういちど見直すと、納得したようにうなずいた。
「じゃあ、オドゥお願いします。魔素の波形をみたいので、この石を手に持って感情を乱してもらいたいんです」
「簡単にいうけどさぁ、ティーカップが割れるほど感情を乱すって……それだけリメラ王妃の土属性が強力だからであって、ふつうじゃないからね?」
顔をしかめたオドゥにユーリはにっこりと笑顔を返す。
「だからこそオドゥに協力をお願いしてるんです」
ふぅ、とオドゥはため息をついた。彼が眼鏡をはずすと切れ長の深緑の瞳と端正な顔があらわになり、ふだんの彼から感じる特徴のない平凡な印象はガラリと変わる。
底知れぬ淵のように昏い深緑色をした瞳で、オドゥはユーリから受けとった琥珀をみつめた。
「土はすべてを育み、またすべての終わりを司る。その属性は愛情深く優しい……損な性分だよね」
オドゥがいいおえるなり、いまさっきみんなでお茶を飲んだカップにビシビシと亀裂が走った。
(……え?)
そのままパリンと砕けたカップよりも、わたしはオドゥの顔から目を離せなかった。琥珀をみつめたまま、オドゥは深緑の瞳からただ静かに涙をこぼしていた。
ユーリの指が空を滑り、紙に描かれた術式をなぞるように同じ術式を空中に描きだす。
「水が命を生み、生まれた命は風が運び、炎がその運命を変える。そして土は命の終焉……すべては星へ還る」
描かれた魔法陣はオドゥの手の上にのった琥珀に収束していき、吸いこまれるように琥珀の中に刻みこまれた。
それと同時に割れたカップに修復の魔法陣が発動し、カップがその形をとり戻しはじめる。ユーリがオドゥに声をかけた。
「終わりました……ありがとうございます、オドゥ」
「もういい?」
オドゥが自分の手で涙をぬぐって眼鏡をかけると、術式が刻まれ静かに光をはなつ琥珀以外、部屋のなかは何もかも元通りになった。
「オドゥ、泣いて……」
オドゥは眼鏡のブリッジに手をかけて、力なくほほえんだ。
「……少しね、悲しいことを思いだしただけだよ」
「あとはこの琥珀を台座にセットし、リメラ・エクグラシアに紐づければ完成です」
ユーリがとりだした金の台座に慎重な手つきで琥珀を固定したとき、窓のそとが暗くなり羽ばたきの音とともに窓ガラスがビリビリと震えた。
「グオオオォゥ!」
「この声……ミストレイ⁉︎」
窓を震わせるドラゴンの唸り声にあわてて窓辺へ駆けよると、研究棟前の広場に蒼竜ミストレイと白竜ツキミツレが舞い降りている。綺羅綺羅しいミスリルの鎧を身につけたライアスが、こちらにむかってうっとりするような笑顔をみせた。
「ネリア、遠征でとれた素材を持ってきたんだ。ミストレイがどうしても自分が届けると聞かなくてな」
「ライアス!デニスさんも!ありがとう、いまそっちにいくね!」
わたしはそのままユーリの部屋から広場に転移した。
ツキミツレを降りたデニスさんが、ドラゴンの足に固定して運んだ荷物をはずしはじめた。かなりの量だ。
三階の窓からみおろせたミストレイも、地面におりればみあげるほどの巨体だ。けれどその目は優しく、「ほめてほめて!」とねだっているようにみえる。
「荷物を運んでくれて、ありがとうミストレイ!」
「ちょっと待……っ!」
ライアスが制止するまえに、わたしはミストレイの顔に抱きついて、頬ずりをする。……といっても、ミストレイの鼻先に顔をこすりつけただけだけど。
ミストレイは「キュルゥ……」と、とてもかわいらしい声をのどの奥からだして、甘えてくる。本当に愛嬌があってかわいいんだから!
「……団長?だいじょうぶですか?」
デニスさんが心配そうにライアスの顔をのぞきこむと、顔を赤くしたライアスが口ごもりながらうなずいた。
「だいじょうぶだ……まにあった」
すぐにみんなもやってきて、ミストレイが運んできた荷物を、わいわいと工房に運びこむ。ミスリル鉱石の他にもゴリガデルスやマウントダボス、それにガルバードといった、道中で退治した魔獣からとれた素材ももってきてくれたらしい。
ライアスたちはすぐに帰ったけれど、ソラやアレクの手を借りて素材の整理と片づけをしていたら、わたしはユーリの研究室でオドゥに「オドゥの研究室もあとでみせて」といったことをすっかり忘れてしまった。
オドゥはしばらくユーリの部屋から広場を見おろしていたが、やがて二階にある自分の研究室にもどった。部屋のすみでは彼の使い魔であるルルゥが、オドゥの顔をみて首をかしげた。
「ネリアに『研究室をみせて』といわれたときは焦ったよ。みられて困るものは片づけておかないと……ライアスがきてくれて助かったな」
ひとりごとのようにつぶやいて眼鏡をはずし、部屋をみまわしたオドゥの視線は本棚の一角でとまる。
「ネリアがこの部屋にきたら、そのまま捕らえて閉じこめようか……けれどまだ素材が足りないな。それに僕はネリアが大好きだからね。あの子が生きて動いているのを眺めるのは、僕にとって人生の喜びそのものだ」
ルルゥが「カァ」とひと声鳴くとオドゥはくすりと笑い、吸いこまれそうに深い淵をおもわせる、深緑の瞳をかくすように眼鏡をかけた。
ありがとうございました!









