ソラとフルーツ
ネリアがマウナカイアに行っているあいだの、ソラのお留守番の様子です。
浄化魔法で部屋はきれいになるが、仕上げは手で磨いたほうが金具にもツヤがでる。ソラはネリアたちがマウナカイアに出かけているあいだ、金具をひとつひとつ磨いていった。
これでネリアがいつ帰ってきても、師団長室はすがすがしい空気に満ちているはずだ。ふわふわとした赤茶の髪と濃い黄緑の瞳をもった娘は、元気よく戻ってくるだろう。ほかになにを用意しておこうか……。
ソラが師団長室をみまわしていると、ふと風のゆらぎを感じた。ソラはコランテトラの木精であり、地の精霊に属するが、『竜王』の守護するシャングリラにいるおかげで、だいぶ風の精霊の影響もうけている。
侵入者は二名……研究棟の三階、第一王子の研究室だろう。いぜんはグレンの師団長室のみが狙われたが、立太子の儀をひかえて、第一王子を探ろうとするものが増えた。
師団長室を出て移動するソラには、人としての気配はない。滑るように侵入者に近づき、小さな体を利用してみぞおちに一撃、一人が倒れこむまえに、もう一人の頭をつかむとユーリの部屋の壁に打ちつけ、脳震盪をおこさせる。人間にはありえない早さで二人をとり押さえた。
始末してもかまわないが、研究棟を血で汚すのはネリアは好まないだろう。せっかく磨いた金具を磨きなおすのもめんどうだ。素性を調べるために、ソラは精霊術で侵入者の情報をあらかた抜きとると、竜騎士団に連絡し身柄をひきわたした。
精霊術で情報を抜くと、あたまのなかをかき回されたような気分で、夜な夜な悪夢にうなされるらしいが、ソラは気にしなかった。医術師のもとでちゃんと治療をうければいいのだし、そのためには竜騎士団の取り調べにも素直に応じればいいだけだ。
ふたたび師団長室にもどり、ネリアの帰還にあわせてなにを用意しようかと考える。ソラは自分を『エヴィ』と呼んだ女性のことを思いだした。
「……あら、あなたがコランテトラの精霊ね、おなまえは?……そう、エヴェリグレテリエっていうの?エヴィって呼んでもいいかしら?」
『竜王』と契約し、赤い髪と瞳をもつレイメリアには、建国の祖バルザムとおなじように、コランテトラの木の精霊が視えていたし、その土地にふるくから息づく精霊との相性は抜群によかった。
そこにただ『在る』だけの存在だった精霊の体を創るよう、グレンに頼んだのはレイメリアだ。
「グレンにエヴィの体を創ってもらいましょうよ!そうしたら私たち、エヴィを抱きしめられるし、エヴィだって私たちを抱きしめられるわ!」
グレンが最初に創ったエヴェリグレテリエの体は、伝説の聖獣をイメージしたらしい、白いモフモフした何かだった。レイメリアは喜び、その体を抱きしめるだけでなく、ちゃっかりとあれこれ教えこんだ。
「エヴィ、グレンが起きたらすぐに、朝食をベッドに持っていってあげて。放っておくと食事すら忘れて研究をはじめるんだもの」
『塔』で働く魔術師でもあるレイメリアは、家を留守にすることも多かったため、グレンの身の回りの世話をエヴェリグレテリエに頼んだ。それだけでなく、掃除の仕方なども教えた。
「素材はホコリがつかないようにしてね、資料庫の掃除はときどきでいいけれど、換気をして湿度を保って、年に一度は虫干しをしてちょうだい」
レイメリアがくるまえの師団長室は、デーダス荒野の家とおなじくらい、ひどいありさまだった。師団長室はモノで埋もれ、足の踏み場もなかった。
ひとにものを頼むぐらいなら、自分でやってしまったほうが早い。それをせずにだれかにやってもらうには、なにをどうすればいいかを、きちんと伝えなければならない。
こどもの頃から人にかしずかれ、世話されることに慣れていたレイメリアの指示は的確だった。彼女はどういう状態が理想かを、エヴェリグレテリエに伝えて、その状態を保つためには何をすればいいかを、ひとつひとつていねいに教えていった。
そのおかげでいま、ネリアは師団長室でとても快適に暮らせているのだが、そのことをネリアは知らない。
「グレンったら!パンと肉しか食べてないじゃないの!」
「じゅうぶんだろう!」
グレンの反論も気にせず、レイメリアは料理の品数をふやした。いまもエヴェリグレテリエがフルーツがたくさん盛られた器を運んでくると、うれしそうに声をあげた。
「まぁ、エヴィ!頼んでいたものを用意してくれたのね!どれもみずみずしくて、とってもおいしそう!」
「フルーツなど、腹の足しにもならん。水っぽいだけだろう」
グレンがそっけなく言うと、レイメリアは頬杖をついて、かわいらしく唇をとがらせた。
「もぅ!つかれて帰ってきたときに、フルーツを食べるとリフレッシュするのよ。色鮮やかで目にも楽しいし……それにね」
赤い瞳をいたずらっぽく輝かせて、レイメリアはテルベリーの実をつまむ。
「『あーん』……ってしたい!」
「……は⁉」
「だから、『あーん』よ」
レイメリアはグレンの当惑などおかまいなしに、さっそくフルーツを選びはじめた。
「ねぇ、どれにする?エヴィに頼んでいろいろ用意してもらったの!甘く熟したテルベリーもおすすめだけど、酸っぱいのならピュラルよね!それとも歯触りのいいミッラがいいかしら?グレンがコランテトラの実を好きなのは知ってるけど、まだちょっと時期が早いのよね……」
「……」
『あーん』とは、あの『あーん』だろうか……だがあれは、母親がおさなごにするものではないか?
「……グレン?」
レイメリアの期待にみちた視線を、グレンはだまって受けとめていたが、やがてあきらめたようにため息をついた。
「……ミッラでいい」
男が仮面に手をかけると、女はそれこそ花がほころぶような笑顔をみせた。
やがてシャクリ、シャクリとミッラを咀嚼する音が聞こえてくる。しばらく咀嚼音がつづいたのち、男がたまらず声をあげた。
「……もういいだろう!どれだけ食わせる気だ!」
「あっ、ごめんなさい!グレンが『あーん』ってしてくれるのがうれしくて!」
男が顔をしかめるそばでころころと笑ったあと、女の声が艶を帯びた。
「ねぇ、私にも食べさせて?」
男の長い指が器に盛られたミッラを取ろうとすると、女がとめた。
「そっちじゃないわ」
女の白い指が熟してぷっくりとふくれたテルベリーをつまみあげ、男の口にほうりこむ。さっきまでのクセで、つい口を開きそれを受けとめた男の唇に、そのままゆっくりと女の柔らかい唇が重ねられた。
ソラはまばたきをした。人間にとっては二十年という歳月はとても長いものだろうが、樹齢五百年のコランテトラの木にとっては、ついこのあいだの出来事のように感じる。
もうすぐネリアが帰ってくる。居住区にたくさんのフルーツを用意しておこう。生で食べなくともネリアはジャムにしたりスイーツを作ったり、たのしそうにフルーツを使っている。
いつかみたあの光景がまたみたいけれど、あの娘が「あーん」をするのは、まだ先だろうから。
読者の皆様はだれも期待していなかったであろう、まさかのグレンの激甘エピソードでした。












