201.旅立ちと帰還
次回、202話『師団長会議で報告』で完結です。
完結したら、またお休みと3章以降の改稿作業に入ります。
ネリアが『命の水』の湧く場所でひろった金の鎖は、こびりついていた石灰をきれいにはがして、リリエラに渡された。
それは今リリエラの手のなかで、鈍い輝きを放っている。
(これでもうあの人はどこにもいかない……それがうれしいなんて、魔女の性かねぇ)
本当は、そんないい話じゃなかった。『命の水』を欲しがった人間の男は、人魚のリリエラをだましてあの場所に案内させた。リリエラが海の精霊をひきつけている間に、『命の水』を盗もうとして死んだ。
精霊に戦いをいどみ傷を負ったうえ、男にだまされた悔しさで目の前が真っ赤になり、怒りをぶつける先のなくなった感情が吹き荒れて、リリエラは半狂乱になった。
「なんだよ畜生っ!殺せばいいだろう⁉なぜあたしを生かそうとする!」
男の甘い言葉と野心あふれる眼差しは、リリエラを酔わせた。裏切られても自分がこのままここで命を落としてもいい……と思うぐらいには、男に惚れていたのだ。頼んでもいないのにカケラをよこした精霊に怒りをぶつければ、暗闇の中で精霊はわらったような気がした。
『お前の命は吾がもらおう……わが目となり手足となり、世界を見てこい』
「……どういう意味だい」
『死にたがる命など吾は要らぬ……吾が欲しいのは生きた記憶……お前の目を通して世界を知りたい。吾が満足したら解放してやろう』
「ふざけるなっ!そんなものにあたしはならない!あんたの傀儡になるなんざ、あたしはごめんだ!」
『傀儡などではない……好きに生きるがよい。ただし死ぬことは許さぬ』
精霊の感覚は人間とはちがう。海の精霊の血をひくといわれている人魚にさえ、その思考は理解しがたい。精霊のカケラを受けいれた時点で、リリエラは精霊の一部になった。それならそれで、精霊が満足するまで生きるしかない。
(男ひとりぐらいじゃ、女は死ねないってことかね……)
リリエラを助けたのは、赤茶色の髪と黄緑色の瞳を持ち、魔力の塊のような……けれど魔女としてはまだまだ未熟な娘。あの子はなかなか面白い。
それに海の底でその娘を抱きしめて語りかけていた青年……水のなかでは人魚の聴覚は、かなり遠くの音も拾える。
(いまのところはあの子を守るつもりのようだけど……あの子をどうするつもりなんだ?)
人の世は、リリエラの目から見てもせわしない。海の底にいる精霊は地上のことが知りたいのだろう。好きに生きろというからには、たぶんリリエラが見たいと思うものを、おなじように見たいのだ……そう思うことにした。
そしていま、マウナカイアの駅前にある古物商に、ひとつの古びた金貨のついた鎖が持ちこまれ、古物商はていねいにそれを査定すると、金額を告げた。
「これは……二百年前のビリオス金貨だね、きょうの相場なら八十万エクってとこだ」
「それでいいわ。旅費には十分ね」
「すぐに用意しよう」
形見の鎖をさっさと処分し、取引を終えて席を立ったのは、藍色の長い髪と瞳を持つ、誰もがふりむくような美貌の女だった。身の丈よりも長かった髪は膝丈ぐらいの長さにカットし、露出は少ないが肉感的なラインがでる紫色の上下を着こんでいる。
濡れたように光る藍色の潤んだ瞳とそれをふちどる長い睫毛、ふっくらした紅い唇……どちらかといえば妖艶な女だが、爪はシンプルに切りそろえただけのきれいな桜色をしていた。
古物商の店をでた女は、通りのむこうに見覚えのある赤茶色の髪の娘をみつけて、笑顔になった。
「ネリア!」
「……リリエラ⁉」
ユーリとふたりでビーチ沿いの道を歩いて帰る途中、駅前でなんとリリエラに遭遇した。人魚でないリリエラに会うのは、はじめてだ。人間になってもリリエラの美貌は相変わらずで、道行く人がふりかえっている。
「あたしは生粋の人魚だからね……脚で歩くなんてはじめてだけど、サマになっているかい?」
リリエラがスカートを少し持ちあげると、すらりと伸びる形のよい脚がのぞいた。
「リリエラ、とっても似合ってる!でもどうしたの?」
「あたしは海の精霊のカケラを受けいれて生きることを決めた時点で、もう精霊の一部なんだよ……精霊はあたしの目を通して世界を見るのさ。精霊からは好きにしていいっていわれているし、海のなかは知り尽くしているから、陸を見てまわることにした。これから魔導列車に乗るつもりだよ」
「魔導列車に……?」
その言葉にユーリが反応した。
「ネリア、まだ時間もあるし、リリエラを駅まで送りましょう」
「うん、そうだね」
マウナカイア駅はリゾートの玄関口らしい、白い壁に貝がらを埋めこんだ、こざっぱりとした建物だった。その駅長室にわたしたちは通され、ユーリは「ちょっと待っててください」と、いったん部屋をでていった。
「リリエラはどこにむかうとか決めているの?」
「さぁねぇ……とくに決めてはいないけど、まだ海のそばのほうが安心できるから、タクラあたりを目指そうかね」
「でもリリエラを通して世界を見るかぁ……リリエラって精霊の『端末』なんだね……」
「たんまつ?」
路線図をみながら話していると、やがてユーリが駅長さんと一緒に戻ってくる。
「お待たせしました」
初老の駅長さんがにこやかに微笑んで差しだしたトレイの上には、1枚の金色に光る乗車券。
【エクグラシア王立魔導列車乗車券】
【区間:全域】
【期限:無期限】
……無期限⁉わたしもビックリしたけれど、リリエラも驚いたようだ。
「エクグラシアの王族専用のパスを、リリエラさん用に発行しました。こちらにこの銀のペンでサインを記入すれば、これはリリエラさん専用になります」
「……いいのかい?」
ユーリはうなずいた。
「ええ。エクグラシア国内であれば、これが身分証がわりにもなります。リリエラさんには必要かと。何かあれば僕に連絡がくることにはなりますが」
「……居場所を把握しておきたいってことか……」
「あなたの魔力が暴走したときの姿をみていますからね……念のためです」
リリエラはふっと笑うと、銀のペンを受けとり、乗車券にサインをする。術式が発動し、光る四角いプレートは変形して、シンプルな金のリングになった。リリエラはそれを指にはめた。
「指輪やブレスレット、ペンダントの形にして持つことができます」
「気がきいてるねぇ」
「いいなぁ……わたしも欲しい」
「ネリアが僕と結婚したら作ってあげますよ。本来は王族専用ですから」
うらやましそうにしていたら、ユーリがにっこりと笑い、ユーリのうしろで駅長さんも穏やかにうなずきながらほほえんでいる。
「えっ⁉いい!ごめん、間違い!いまの忘れて!」
「……そんな全力で否定しなくてもいいのに」
ユーリがむくれて、ユーリのうしろで駅長さんが残念そうに肩を落とした。違うんです、誤解なんです、本当にすみません!うろたえるわたしの横で、リリエラが笑いころげた。
リリエラを見送って、夕方になり長距離転移陣を動かすために、錬金術師団のみんなで海洋生物研究所につくと、復活したのかこざっぱりとシャツを着こんだカイがいた。
「カイ!カナイニラウに帰ったんじゃないの⁉」
「俺がいなくなると、水槽のなかのやつらが寂しがるんだよ。それに……」
カイ・ストロームは転移魔法陣を指さしてニヤリと笑った。
「それ使えば、ネリアにすぐに会いにいけんだろ?」
「フラれたくせに、しつこいですよ!」
「うるせぇな!お前も似たようなもんだろうがよ!」
ユーリとカイの言い合いも、もう見られないと思うと……うん、ほっとするね。みんなで転移陣に移動する際、カイからわたしの片手にすっぽりおさまるぐらいの、小さな袋を渡された。
「やるよ」
「何これ」
「おっと、保全の術式がかけてあんだ。いまは開けんなよ。じゃあなネリア、またいつでもこいよ」
「またいつでもおいで!こっちは大歓迎だよ!」
「ほむ。『ヘリックス』の研究成果を楽しみに待っておれ」
研究所長のポーリン・リヴェと、カイ、それにウブルグの三人に見送られて、わたしたちは王都へ転移した。
デーダス荒野での暮らしもそれなりに楽しかったけれど、グレンはもういない。
だけど、わたしはちゃんと帰りたい場所、帰ってこられる場所を見つけた。
それはもともとの、わたしの帰りたい場所ではなかったけれど……だから、永遠ではないかもしれないけれど、いま、わたしはここにいる。
そして、ここでしか会えない人がいる。
「ただいま、ソラ!」
「おかえりなさいませ、ネリア様」
師団長室では、水色の髪と瞳をした精霊の魂をもつ人形が、ほほえみを浮かべてわたしを待っていた。
海の中ってマニキュア塗らないと思う……塗ったとしても材質違うよね。なのでリリエラの爪はシンプルに切りそろえただけのきれいな桜色です。
カイもリリエラも、5章だけのゲストキャラのつもりで書きましたが、それぞれに魅力的なキャラになってくれたと思います。
リリエラは『魔術師の杖』を担当することになったイラストレーターさんの絵を見て、「この方にセクシーお姉さんを描かせないのはもったいない!」と、登場させました。それぐらい、絵に色気がある。いえ、描いて下さるかは分かりませんけども。












