192.上と下へ
よろしくお願いします!
「ネリア!ひとまず転移陣を探して地上に戻ろう!ここは危険だ!」
カイと海王の影のふたりがかりなら、リリエラに負けることはないかもしれない。けれど……リリエラはカナイニラウにきていきなり牢獄に入れられたわたしに、親切にいろいろと教えてくれた。それは牢獄で退屈していた魔女にとっては、ただの気まぐれだったのだとしても。
『あんたと話せて楽しかった』
わたしにむかい、そうほほえんだリリエラ。
何もない海底の牢獄で二百年も鎖に繋がれていたという、リリエラ……。
『あたしにとっての罰は、鎖に繋がれ牢獄に閉じこめられたことじゃない……自分だけが生き残り、あの人がいなくなった世界で、永劫の時を過ごさなければならないことさ』
うつむいたリリエラは、泣いているようにも見えた。もしかしたらずっと二百年の間、彼女は海の底の牢獄で、ひとり泣いていたんだろうか。
(わたしは……わたしは、リリエラだって助けたい!)
「ネリア!いこう!」
わたしをうながすオドゥに飛びつくと、わたしはその首にカイに渡された転移陣の鍵をかける。
「うわっ!ネリア⁉」
「オドゥ、ごめん!あなただけ戻ってレイクラを連れてきて!お願い!」
いうなりわたしは、三つ巴で戦う三人のもとへむかった。
「ちょっ!ネリア!」
まっすぐに戦いの中に飛びこんでいく、白いドレスをまとって人魚となった娘を見送って、オドゥは呆然とつぶやいた。
「ネリアって……ホント、僕の予想を超えてくるよね。あまりにも簡単すぎて、僕を試しているのかと疑いたくなるよ……」
すきをみて手にいれるつもりだった転移陣の鍵は、あっさりとオドゥの手元に転がりこんできた。これさえあれば、カナイニラウの出入りは自由だ。『命の水』についても、リリエラに案内させるつもりだったが、カイがヒントを教えてくれた。
『海の精霊のもとで海王は眠りについている』
海王は海の底で精霊とともに眠っている。きっとその近くにオドゥの探す『命の水』もある。いまは早くここを離脱して地上にむかうべきだ。そうわかっているのだが、オドゥもその場を動けなかった。
王宮の壁がくずれ、柱が折れて貝殻の灯りが床に転がり落ちるなか、まるで光の塊のような娘が巻き起こる激流をものともせず、白く輝く海王妃のドレスを身にまとったまま、一直線に突っこんでいく。
オドゥ・イグネルは、そのさまから目が離せなかった。
リリエラの何度目かの体当たりに、海王の影はその身体を思いっきり床に打ちつけると、ついにその輪郭がゆらぎ霧散した。
リリエラは一瞬目標をみうしない動きをとめたけれど、その視界にカイをとらえると、次いでその鋭い牙でカイに襲いかかろうとする。
カイが身構えたその瞬間、わたしは防壁ごと二人の間に飛びこんだ。わたしの防壁に弾かれたリリエラは、悲鳴をあげながら巨体をくねらせ玉座にぶち当たり、玉座が粉々に砕け散る。
「ネリア⁉お前……何やって⁉」
目の前に現れたわたしを見てカイが目を剥く。
(わたしが王宮にきたとき、海王の影は王宮全体をビリビリ震わせながら怒鳴り散らしていた)
『相手の頭蓋骨を震わせるんだよ。言葉を伝えたい相手に、直接届けるんだ』
わたしは、リリエラにむけて思いっきり叫んだ。届け!
「やめて!」
声は間違いなく、リリエラの頭に大音量で響いたのだろう。リリエラが体をビクッと震わせるとその動きがピタリと止まり、大きな藍色のシャチのような巨体の目が、怒りに燃えてわたしの姿をとらえた。
ギュラルルルルアアァ!!
リリエラは咆哮をあげると、わたしにむかって突進してくる。わたしは体を反転させ、一目散に王宮の外に飛びだした。
「おいっ!ネリア!」
カイの叫びが聞こえたが、グレンの三重防壁がわたしを守っている。だから何があろうと平気!
もしかしたら『海王妃のドレス』にも、海のなかで自由に行動できる特別な仕掛けがあるのかもしれない。生身の人間が深海にいきなり身を投じて水圧に耐えられるわけないし、その逆もそう。深い海への潜水から急に上昇すると、体の血液のなかに溶けている窒素が泡に変わって人は死ぬ。
体に異常が起こらないなら、魔力頼みでぶっ飛ばすのはライガで慣れている。巨大魚たちの群れが、マリンスノーが舞う深海を、猛スピードで突き抜けるわたしとリリエラの接近に、あわてて逃げた。
(とにかくリリエラを、カナイニラウから引き離そう)
太陽の光を感じながら、明るく澄んだ海を楽しめるのはせいぜい水深数メートル。水深二十メートルを超えれば、青以外の光はすべて水に吸収されて、世界は青一色になる。そして二百メートルを超えるような深海では、光はまったくない暗黒の世界がひろがる。
どのぐらいの深さかはわからないが、深海の暗闇のなかで存在感をしめすように、海王妃のドレスは光を放つ。それを目印にリリエラが追ってきているか確認すると、わたしは更にドレスに魔力をこめて進む。
上へ。
もっと上へ。
ついておいで、リリエラ。
「信じられない……ほんと魔力が底なしだね、あの子……グレンが何がなんでも助けようとするわけだ」
王宮から飛びだすネリアと、それを追ったリリエラとカイを見送って、オドゥはようやくわれにかえった。
(上にむかったか……)
さすがにオドゥもネリアの魔力には追いつけないが、転移陣を探せばひと足さきに陸に戻ることは可能だろう。だがそれではここまできた意味がない。
(まぁ、転移陣の鍵は持っているんだし……)
オドゥの目指すものは、ここにはない。そして上にむかったネリアはきっとレイクラを連れて戻ってくる。
(海王の本体が眠る場所……海の精霊のいる場所、そのちかくに『命の水』はある)
「なら、ひと足さきに探索させてもらおうか」
オドゥは砕け散った海王の玉座にむかい、持ってきた魔道具を放つ。オドゥの発動した魔法陣の術式に従い、深海を泳ぐヒカリウナギのように光を発する魔道具は、しばらくあたりを泳ぎまわり、いまなお濃厚に漂う海王の影の気配を嗅ぎまわった。
「いけ、『本体』を見つけるんだ」
彼の命令に従い海の底へと泳ぎだした魔道具を追って、オドゥはネリアたちとは逆に下へむかった。
「マジかよ……」
ネリアとリリエラの後を追い、王宮を飛び出して猛スピードで泳ぎながら、カイは自分の目が信じられなかった。ネリアたちは凄いスピードで海面にむかって上昇していく。泳ぎの得意なカイでさえ、必死に歯を食いしばらないと振りきられそうだ。
人魚たちと海のなかでも会話ができて、海王妃のドレスを着て飛ぶように泳ぐ娘。そんな人間が陸にいるなんて、思いもしなかった。もしもいたとしたら、それはカイの理想そのものだ。
けれど、あいつは……。
(王都に帰る人間だ……くそっ!わかっているから、深入りしないようにしてたのに!)
目をそらそうにも、暗闇の中で輝く光の塊のような娘は、「自分だけを見ろ」とでもいっているかのようだ。もしもあの娘に追いついたりしたら、とんでもないことを口走りそうで、カイはそんな自分にぎょっとした。
だけど、このまま離されることも許せなくて、カイはさらに歯を食いしばると、前を進む光を一心に見つめつづけた。
ええと……確か休暇中だったはず。そう、だからこれはきっと海中水泳大会(遠い目