191.クッキーを焼こう(ユーリ視点)
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エクグラシアを守護するドラゴンが、平和なマウナカイアビーチまでおとずれるのは珍しい。前日までの激しい嵐はおさまったものの、海の波はまだ高く、ビーチの散策をするぐらいで暇を持てあましていたひとびとは、白く美しいドラゴンの姿に歓声をあげた。
紺の髪をなびかせた竜騎士レインとシャングリラ魔術学園初等科教諭のウルア・ロビンス二名を乗せた白竜アマリリスは、そのままビーチ上空を通りすぎ、王家所有の別荘がある島へむかった。舞いおりた白竜の羽音と雄叫びを聞いたユーリが、館をとびだし出迎えに駆けつける。
「ロビンス先生おひさしぶりです。急なことにもかかわらず、きてくださってありがとうございます!」
「やあ、ユーリ・ドラビス。まさかドラゴンで旅することになるとは思わなかったよ」
レインの手を借りてドラゴンから降りたウルア・ロビンスは、帽子をとるとユーリに笑顔を見せた。
「お疲れでしょう、まずは部屋へ」
「いや、荷物だけ部屋へ運んでくれ。さっそく魔法陣について検討をはじめよう」
「ではこちらへ」
ユーリがうながし、ロビンス先生を談話室へと案内した。
別荘の談話室には、背を丸めるようにして座る小さな老婦人がいた。ロビンス先生はその女性の前にたち礼をとる。
「お初にお目にかかります、私はウルア・ロビンス。シャングリラ魔術学園の初等科教諭で、魔法陣研究を専門にしております。どうぞお見知りおきを……海王妃レイクラ・ストローム・カナイニラウ」
「あたしはカナイニラウから逃げだした人間です。その名で呼ばれる資格は……」
首を振ってうつむいたレイクラを前に、ロビンス先生は眉をあげる。
「では、カナイニラウを、人魚の王国を伝説にしてしまってもよいと?」
「それは……」
不安そうに視線をさまよわせ、言葉を濁すレイクラにむかい、ロビンス先生は彼女を安心させるようにほほえんだ。
「レイクラさん、あなたがいまここにいることが重要なのです。まだわれわれと人魚たちとのつながりは切れていない。知恵をだしあいましょう」
「先生、こちらに」
談話室にある大きな丸テーブルで席につくと、ロビンス先生は「失礼」と、いったん丸眼鏡を外してレンズを丁寧に拭いた。それから丸眼鏡をもういちどかけると、席についた全員の顔をみまわす。
談話室にそろったのは、到着したばかりのウルア・ロビンス、竜騎士のレインと、レイクラに錬金術師のユーリ・ドラビス、ヌーメリア・リコリス……そして王子の補佐官であるテルジオ・アルチニ、オーランド・ゴールディホーンの七名だ。カーター副団長とヴェリガン・ネグスコは海洋生物研究所の手伝いに駆りだされている。
「では整理しましょう、レイクラさんの導きによってネリス師団長が姿を消し、おなじくカイ・ストロームという海洋生物研究所の助手とともに、錬金術師オドゥ・イグネルが海に飛びこんだ。そして三人の行き先はおそらく人魚の王国カナイニラウ……これであっていますか?」
「そうです」
ユーリがうなずくと、ロビンス先生は思案するようにあごをなでた。
「ふむ、行き先がわかっているのでは、行方不明とはいえませんな」
「だが肝心のカナイニラウの場所がわからない。手がかりはこちら……カイ・ストロームが転移の際に海面に描いた転移魔法陣です。記憶にある限り写しとりましたが、欠損している部分もあります」
ロビンス先生はユーリから魔法陣の紙を受けとり、目を通すと感嘆の声をあげた。
「これは……送られた資料でも拝見しましたが、魔法陣全体が古代文様で描かれているものを見るのははじめてです。私もカナイニラウにぜひともいってみたい……いや失礼、失言でした」
「それで先生、解読のほうは?」
ユーリがうながすと、ロビンス先生は魔法陣の描かれた紙を机上におき、指し示しながら解説をはじめる。
「これがカナイニラウへの転移魔法陣であることはたしかです。転移先にわざわざ〝空気〟がある場所を指定している。陸上で転移するのに〝空気〟を指定する必要はありません。指示が細かいのは、カイ・ストロームのよく知る場所ということでしょう」
だがロビンス先生は魔法陣の欠損した部分を、残念そうに指でなぞった。
「そしてカナイニラウの位置は……〝距離〟と〝深さ〟はこれでしょう……だが肝心の〝方角〟を表わす場所が欠損しています」
「距離と深さがわかっただけでも……やはり外洋か。オーランド、マウナカイア周辺の海図を」
オーランドが海図を広げながら、銀縁眼鏡をキラリと光らせた。
「船を手配しますか?」
「いや、外洋は危険だ。船を準備するとなると時間がかかる」
ユーリはマウナカイアを中心に距離をとり、コンパスのように片方の端をもち、赤い線で円を描いた。
「カナイニラウは、この円周上のどこかということか」
「ドラゴンで飛んでみますか?」
ベテラン竜騎士のレインが提案するものの、ロビンス先生はあごをなでつつ難しい顔をする。
「ふむ、何かてがかりが欲しいですな。珊瑚礁のそとの外洋部分に限るといっても、かなりの範囲になる」
「僕にひとつ心当たりがあります。カイがネリアと僕を連れていった砂浜、そこで人魚の男たちは愛をささやくとカイはいった……あの砂浜はカナイニラウの近くだったんじゃないかと思う」
ユーリはその砂浜の特徴を説明したけれど、その砂浜が具体的にどこにあるのかは、カイについていくのに必死だったため、ユーリにも見当がつかない。
「ほう……そこからは陸はみえず、見渡す限り海と空だけだったと。そうすると陸の近くははずせますが、それでもまだ範囲がひろい。ほかに何かてがかりは?」
てがかり……そういえば……ふと思いついたユーリは顔をあげた。
「ロビンス先生、きょうはここまでにしましょう。やらなければならないことを思いだしました。ひょっとしててがかりが見つかるかもしれません」
「ええ、どうぞ。私はもうすこしレイクラさんの話を聞いてから部屋に戻ります」
ユーリは立ちあがると、テルジオに声をかける。
「テルジオ、例の荷物は僕の研究室から届いているか?」
「はい、届いております。広間に運びこんでありますが」
「わかった。メレッタとカディアンにも、あとで広間にくるよう声をかけてくれ」
「かしこまりました」
談話室をでたユーリは二階にあがる階段へむかう。
(海で転移陣に飛びこんだあのとき、オドゥは眼鏡をかけていなかった……)
ユーリはオドゥ・イグネルに割りあてられていた部屋までくると、気を落ちつかせるようにひとつ深呼吸してからドアをあけた。
「ルルゥ」
呼びかけると、使い魔のルルゥは羽をひろげて「カァ」と返事をした。嵐のなかを飛んで帰ってきたときは、ずぶ濡れになった体を震わせていたのに、いまは羽も艶をとりもどし、ベッドのうえでくつろいでいるようだ。
「ずいぶんと落ちついているね、きみは主が心配じゃないの?」
ユーリの問いにルルゥは答えない。ユーリは部屋にはいりなかをみまわした。
もともとオドゥの荷物はすくなかった。ベッドのそば、小机のうえに小さなケースが置いてあるのが目に留まる。
ユーリが取りあげてそのフタを持ちあげると、なかにはオドゥの黒縁眼鏡がきちんと収められている。父の遺品だと、たいせつなものだといっていた眼鏡。彼はそれを置いていった……。
「オドゥは最初から、カナイニラウにいくつもりだったのか?」
ユーリのひとりごとのような問いかけにも、ルルゥは黙ったままだ。だがルルゥの両目はよくみれば深緑色をしている。
「ルルゥ、きみの目は黒じゃなかったか?」
それは飼い主とおなじ色……暗く沈んだ色のはずが、ルルゥの黒い体をバックにすると深緑も鮮やかにみえる。
「……クッキーを焼かなきゃ」
ユーリはぽつりとつぶやいた。オドゥが前にいっていた。
『クッキーがルルゥの好物でね』
クッキーを焼かなければならない。使い魔にあたえるための、魔力を練りこんだクッキーを。それとあの魔道具の最後の仕上げを。
ありがとうございました!