189.脱獄
やむを得ない事情により、10日ほど更新をストップします。いい所なんですが、すみません。
さっきの様子では、人魚たちは好意的だった。リリエラのいうとおり、待っていればここをでられるのかもしれない。でも……。
わたしは牢に不規則にはまっている格子をつかんでみる。こんな海の中だから鉄ではないだろうけれど、金属のような素材でできている。
「これ、何か特別な金属でできているの?」
「千年もつと言われている、アダマンティン鋼だよ。あたしが繋がれているのもアダマンティンの鎖だ。あたしが牢獄に閉じ込められて二百年は経っているけれど、いまだびくともしない」
「二百年⁉」
カイが六十歳というぐらいだから、長命の人魚ならめずらしくないのかもしれないけれど、長い藍色の髪をうねらせ、その中心に座る美しい魔女は、とてもそんな年齢にみえない。
「うっかり手にいれてしまった『精霊の力』のせいだろうね……ちゃんと髪も伸びるのに、自分の時間だけが止まったように進まない。年老いていかないんだよ。みんなあたしが『精霊の力』を使い果たして、力つきるのを待っているのにさ」
リリエラは悲しそうに、シワもシミもない自分の白い手を見つめた。
「あたしにとっての罰は、鎖に繋がれ牢獄に閉じこめられたことじゃない……自分だけが生き残り、あの人がいなくなった世界で、永劫の時を過ごさなければならないことさ」
「あの人?」
首をかしげると、リリエラは寂しげに微笑んだ。
「昔好きだった人さ。宝探しのつもりでいっしょにでかけたんだ……『命の水』の湧く場所で、あの人は命を落とした。あんなに危険な場所だったなんて……」
リリエラは目をつむり、顔をしかめた。長い睫毛に縁どられた藍色の瞳は、薄暗い牢獄のなかで泣いているように見える。
沈んだ空気を追い払うように、わたしはリリエラにたずねた。
「リリエラはここをでたら、何かやりたいことはある?」
「やりたいこと?」
「そう!わたしは海王を説得して、レイクラを迎えに行ってあげてほしい。それに、地上に……みんなのところに戻りたい」
そういうと、リリエラはしばらく考えこんでから答えた。
「あたしは……あたしも海王にはガツンとやってやりたいね。それに、かなうなら、あの人が亡くなった場所に行って、ちゃんととむらってやりたい」
「『命の水』の湧く場所だっけ?危険なところなんでしょう?」
リリエラは微笑んだ。
「かなうなら、だよ。鎖がはずれて自由になれたらの話だ。思うだけなら自由だろう?」
「そうね……鎖がはずれれば……」
その時、『海の魔女の牢獄』に声が響いた。
「ネリア!」
声がしてみあげれば、人魚になって泳いでくるのは見知った顔だ。
「カイ⁉それにオドゥも⁉」
それに、さっき食べ物を差しいれしてくれた、人魚たちの一人を連れている。人魚は「女の子がしゃべってる……」と目を丸くした。
「悪ぃな、ナジに案内させたんだが、鍵を手にいれるのにてまどった」
「やぁ、無事みたいだね。いま鍵をあけるよ」
オドゥがにこにこと手をふり、ガチャリと音をさせて重たそうな鍵をあけると、牢の扉は簡単にひらいた。カイに差しだされた腕をとり、ようやくわたしは自由の身になれた。
「わたし、レイクラさんに人魚のドレスを着せられて……」
「あぁ、知ってる。レイクラはときどき、身寄りのない娘をカナイニラウに送っていたんだ。本人が望んでもいないのに、しかも『海王妃のドレス』を着せるなんて、無茶しやがる。すまなかったな」
「そうじゃないよ。レイクラさんはたぶん……海王に自分の気持ちを、伝えて欲しかったんだよ。迎えにきてほしいって」
カイがいぶかしそうな顔をする。
「迎えに?だがネリアは転移魔法陣でここにきたんだろ?レイクラは『海王妃のドレス』さえ着れば、すぐにカナイニラウに戻れたんだ。俺が迎えにきても断りつづけたんだぞ?」
「レイクラさんは海王が迎えにこない自分は、もう帰る資格がないと思いこんでる。自分からカナイニラウに戻る勇気がないんだよ」
「だが、海王は……」
「カイもいっしょに、海王を説得して!夫婦なんだからどんな結果になろうと、たがいの気持ちをちゃんと話しあわせないとだめだよ!」
カイにわたしが懸命に訴えていると、オドゥがわたしのむかいの牢に目をやった。
「ネリア、彼女がリリエラ?」
リリエラは今度は寝たりせず、どこか面白そうにわたしたちの様子を見守っている。
「そう。牢獄にいれられたわたしに、親切にいろいろと教えてくれたの」
「うわぁ……アダマンティンの鎖に繋がれていても、力にあふれた魔女だねぇ。人外レベルって、レオポルドやネリアの他にもいたんだなあ」
カイはリリエラを警戒するように見やった。
「話には聞いていたが、実際に見るのははじめてだな。いくぞネリア、こんなところに長居は無用だ」
「待って!リリエラも牢からだせないかな?鎖を解いてあげれないの?」
わたしの訴えに、カイはきっぱりと首を横にふった。
「ダメだ……『海の精霊』の力は、カケラであっても恐ろしいほどの力だ。野放しにするわけにはいかねぇんだ」
「そんな……」
わたしがリリエラのほうを見ると、リリエラは心得たようにひらひらと手をふった。
「いきなよネリア、これでおわかれだ。あんたと話せて楽しかった」
そんな……こんなわかれかたはしたくない。そう思ったそのとき、ガチャリという音とともに、オドゥがリリエラの牢の鍵をあけた。
「オドゥ⁉何しやがる!」
「ん~?僕はネリアが望むことをしただけだよ?」
カイが叫んでもオドゥはしれっと返事をして、そのままリリエラの牢にはいると、彼女の鎖を持ちあげた。
「うわぁ……堅いし重いねぇ。で、ネリア……このあとどうするの?」
「オドゥ、でてこい!その魔女は本当に危険なんだ!」
どうするって言われても……。鎖も牢の格子もアダマンティンという同じ素材だという……わたしは考えこんだ。
あれ?でも待って……金属なんだもの……どんなに強固であろうと、腐食してしまえばその結晶構造はもろくなるんじゃ。
「そうよ!金属なら腐食する。金属原子が電子を失うことで、イオン化して表面から脱落するの!状態保全の術式がかかっているのでなければ、もしかしたらその鎖の構造は、かなり脆くなっているかもしれない。そうでなくても腐食を進ませればいい!」
「あんた、何を言ってるんだい?」
リリエラが眉をひそめたにもかかわらず、わたしは興奮して叫んだ。
「腐食を進ませるの!錆びさせるのよ!必要なのは酸素、酸化還元反応を起こすの!そして腐食を促進するのは水……それに酸。金属のイオン化傾向が水素イオンより高ければ、金属は遊離する。大丈夫、海の中なんだもの。すべてそろうわ!」
「ネリア……⁉」
おそらく、この海のなかでアダマンティンが強固な結晶構造を保っているのは、表面を覆う酸化した被膜のせいだ。その被膜をはがせば、結晶構造はむきだしになる!
さっそくわたしは鎖にむけて、魔法陣を展開する。錬金術師の魔力は物質に作用する……アダマンティンのまわりに必要な物質をあつめ、その結晶構造を揺るがせるための反応をうながした。
みなが息を呑んで見守るなか、やがてアダマンティンの色が変わり、もこもこと表面が盛りあがると、ぼろぼろと鎖が崩れだした。
「鎖が⁉」
リリエラが驚きに目をみひらく。
「あんた……千年もつと言われている丈夫な鎖を……まさか時を進めたのかい⁉そんな魔術、精霊だって使えないのに!」
リリエラは、わたしがアダマンティンの時を進めたと思ったようだ。鎖の劣化だけを見れば、そう思えるかもしれないけれど、わたしは化学反応を促進しただけで、時は何ひとついじっていない。
「ちがうけど……それに近いことはしたよ」
「あんたいったい……」
リリエラは呆然としたままわたしを見て、鎖が崩れさって自由になった手首をさすり、それから自分の首にもふれた。
「まさか本当に……『時』がきたんだね。万が一があるのならと、それを信じてひたすら待ちつづけた」
しぼりだすようにつぶやくと、リリエラの様子が一変した。
「よくも二百年も鎖に繋いでくれたね……こんどこそ海王の息の根を止めてやる!」
そのとたん、すさまじい水流が巻きおこり、わたしたちは牢獄の壁に叩きつけられた。
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