184.捕まる女と逃げる男
よろしくお願いします!
魔法陣から投げだされたあと、わたしは白い真珠色に輝く『人魚のドレス』に包まれたまま、ゆっくりと暗い水のなかを墜ちていった。
重力に逆らう浮力とドレスの重さが拮抗し、まるで無重力の世界をただよっているようで、どちらが上か下かも分からなくなりそうだ。
水に濡れたドレスは、ゆったりとヒレが大きくリボンのようにひろがり、まるで金魚の尾ビレのように揺らめいている。
スピードをだすというよりも、みばえ重視なのだろうか……ずいぶんと存在感を示すように作られたデザインだ……陸上ではただの白いドレスに見えたけれど、水を含むと半透明になる部分もあり、立体的で優美な動きを見せている。
目立たなかったラインは虹色に明滅し、ドレス自体が幻想的な光をはなち、自分が深海を漂う海月になったような気分になる。
(ここ……かなり深い?)
雨が降っていたとはいえ、陸上ではまだ昼間だったというのに、上を見あげても明るさが感じられない。光が届かないほど深い海の中に、転移魔法陣で飛ばされたんだろうか……。
そして、わたしに見えているのは巨大な海底都市……たぶん、あれがカナイニラウ。
珊瑚で彩られし麗しの都、カナイニラウ……泡の王宮ともよばれる宮殿は、エクグラシアの王城とはちがい、高くそびえたつものではなく、横に大きく広がった形をしていた。まるでタコが大きく脚を広げたようだ。
それを彩る光は熱を感じない冷光で、エクグラシアの魔導ランプのような温かさはない。暗闇のなかで生きもののように明滅する冴えた光は、むしろ近未来的な印象を与えた。
天然の地形を利用しているのだろう、家の窓辺は珊瑚でふちどられ、巨大な魚礁ともなっているようだ。まだ人々……というか人魚の姿は見えない。
ところどころにゼリーのような泡に包まれた場所がある。墜ちていきながらカナイニラウの様子に見いっていると、突然わたしのすぐちかくを巨大な魚影が横ぎった。
(でかっ!)
そういえば今いるここって……浅くて太陽の光が届く珊瑚礁ではなく、海の魔物もいるという外洋なのでは。
それでもってよく考えたら……人魚のドレスを着たわたしって、もしかしなくても海の中で非常にめだつんじゃ……。
まわりをみまわせば暗闇のなか、時折ぬぅっとしか見えないが、ゆうに人の二~三倍はありそうな、巨大な魚影がいくつもまわりを泳いでいる気配がする。マジですか⁉
(まさかのここで魚のエサ⁉そんな人生の終わりかたってある⁉)
波止場で雨が降りだしたので、店に戻ろうとレイクラに手を伸ばしたら、レイクラはその手をつかみ、わたしを海に押しだした。
そして海に落ちたわたしは、転移陣でカナイニラウの近くに送りこまれ、そこで巨大魚のエサになって……おわり。
(いやだあああ!)
わたし美味しくない!きっと美味しくない!ぜったい美味しくなんかないから!
でも食物連鎖のほぼ頂点にたつ雑食性のホモサピエンス……味としてはどうなんだ?……ちがう!自分の味について考えている場合じゃない!お魚さんの味覚とかどうでもいいから!
なぜわたしの体は、かみつけば体がしびれるような毒を持っていないんだあああ!
そう、無理!あの口でパクってされたら終わる!
逃げる!逃げよう!逃げましょう!
許してくれとも、ごめんなさいとも通じなさそうな相手を前に、わたしは逃げることを決めた。
上に逃げる?下に逃げる?
……ひとまずカナイニラウに逃げこめば何とかなるんじゃ?
わたしは覚悟を決めてドレスに魔力をこめると、眼下に広がるカナイニラウへと急降下した。
巨大魚たちはわたしを追いかけてきた。先頭の一匹がガバッと大きな口をあけると、横に並ぶ鋭い牙がみえる。
(ひぃいいい!)
ガチン!と音が聞こえそうな勢いでかみついてくるる巨大魚の口を、ヒレ一重の差でかわす。魚たちは争うようにわたしに喰いつこうとするので、互いにぶつかろうと気にならないようだ。
美味しそう⁉そんなにわたし美味しそうなの⁉
大丈夫!グレンの防壁があるから、かみつかれても大丈夫!たぶんだけど!
(……やっぱりいやだあああ!)
わたしは半泣きになりながら、ひたすら魔力頼みで海の底へ底へと降りていく。カナイニラウに近づくと、宮殿のほうから数人、銛を手にした屈強な人魚達が飛びだすように現れ、すぐにわたしのまわりを固めた。そこでようやく、魚たちも追いかけるのをあきらめたようだ。
ほっとしたものの、人魚たちはみな険しい表情で、歓迎されているのか警戒されているのかわからない。けれどわたしを包囲して、王宮の中心へと誘導していく。
バルコニーのようにせりだした岩礁から、床に古代文様が刻まれた王宮の広間のような場所に入りこんだところで、突然広間に大きな声が響きわたった。
「『海王妃様』が戻られたぞ!」
(え?ちがう!それひとちがい!)
わたしの叫びは海のなかでは言葉にならない。あっという間に両脇を人魚の兵士たちに固められ、海王の前に引きずるようにわたしは連れていかれた。
「海王妃様?」
「二十年ぶりだな……」
「あれが?」
「ずいぶんと貧相ね」
柱の影からのぞく人魚たちのささやきが聞こえる。悪口もしっかり聞こえるのに、「ちがう!」と言おうとしても、わたしの口はパクパクするだけで、声となって言葉がでてこない。
玉座に座る海王は、見上げるほどの巨体で……普通の人間のサイズのカイに慣れていたわたしは、腰を抜かした。しかもわたしを見下ろす海王は怒りの形相で……わたしの顔を見るなり、王宮全体が震えるような声でどなった。
「海王妃ではないぞ!なんだこの娘は……!」
「ですが海王様……このかたはいままでの娘とちがい、『海王妃のドレス』を着ておられます。魔力もラプラたちを振りきるほどの速さで……」
海王のそばにいた人魚が、取りなすように何事かをいう。ラプラというのが、さっきの巨大魚のことだろうか。
「こんな娘が海王妃だと……?このような娘で吾をたばかる気か!即刻、牢にほうりこめ!」
(ちょっと待って!これはレイクラが……!)
説明しようにもどうしたらいいのかわからない。わたしを連れてきた人魚たちは、顔を見合わせたものの、命令通りわたしを連れていこうとする。海王のそばにいた人魚が、すいっと泳いでわたしに近寄ると、すまなそうな顔をした。
「すまんな、悪いようにはせんから……ひとまず海王様に従ってくれ。」
(説明!どういう状況か説明して!)
わたしの口パクもむなしく、人魚の王国にきて早々……わたしは、最下層の牢獄に閉じこめられた。
オドゥが息を吸いこむと、潮の香りが強く肺に流れこむ。深い緑の腰巻は水をふくみ体は濡れているが、転移先はちゃんと空気があり、暗いけれどどこかの部屋のようだ。緑の髪にエメラルドグリーンの瞳を光らせた男が、こちらを見ていた。
「なんだ……思ってたのとちがうヤツがきたな。あの元気のいい王子はどうした?」
「……間に合わなかったみたいだね。ていうか、ここは?僕、海の中にきたとおもったんだけど」
オドゥは頭をふって雫を飛ばすと、ゆっくり立ちあがり、周囲をみまわした。
「いきなり海ん中じゃ人間にはキツいから、空気のある場所に案内してやったんだ。俺なりの親切だぜ」
「じゃ、カナイニラウであってる?空気があるんだね……」
「カナイニラウの王宮は、『泡の王宮』ともよばれている……人魚となって連れてきた人間も、ときどきは脚をだしてくつろげるように、泡に囲まれて空気がある場所がある……ここはその一角だ」
「ネリアはどこ?」
「……まずは情報収集だ。俺だってここに戻るのは久しぶりなんだぜ」
そっと部屋の外をうかがうカイに、オドゥは首をかしげて聞いた。
「なんでコソコソしてるの?もっと正面から堂々といけば……」
「シィッ!でかい声だすな!」
だがちょうど、廊下のむこうからヒタヒタと歩いてやってきた人間が、カイたちの姿を見つけて叫んだ。
「カイ様!家出息子が今までどこに⁉はやく海王様に知らせを!」
「家出息子ぉ⁉」
「そういうわけだ!とっ捕まるまえにずらかるぞ!」
ありがとうございました!












